〜 1月 〜

選手たちが他の部活動の部員となってから、原川は来春からやろうと考えている2つの構想に向けて動き出した。
その一つ目の構想とは、同じ地区内の神田工業、郁徳館高校を巻き込んで、三校でのリーグ戦を立ち上げることだ。宮古高校のAチーム、Bチームに加え、神田工業、郁徳館高校の各校からも2チームを編成してもらい、6チームでのリーグ戦を考えている。うまく賛同が得られれば、大学野球のように、春季リーグと秋季リーグをやりたい。そういう構想を描いている。
原川の頭の中には、高野連の大会はない。
高校野球は忙しすぎる。原川はそう思っているのだ。
新年度が始まるとまず、春の大会が始まる。これは、甲子園には結びつかないが、勝ち上がれば地方大会まである。それが終われば、夏の甲子園をかけた選手権が始まる。ここで負けた時点で三年生が引退し、チームは新チームとなる。新チームは、結成して間もなく、早速新人戦という公式戦を戦い、それが終わればすぐに秋季大会が始まる。この秋季大会は、勝ち上がれば地方大会となり、地方大会での成績は、来春のセンバツ大会の重要な資料となる。地方大会で優勝したチームは、明治神宮大会という各地方の優勝校が集う大会が待っている。要するに、秋季大会は負けられない大会ということだ。
ということで、甲子園を目指すのなら、まずは結成間もない新チームで秋季大会を勝ち上がって、センバツに選ばれないといけない。そしてセンバツに選ばれたとなると、開幕は3月下旬なので、そこに合わせて冬を越し、春を迎える必要がある。そしてセンバツが終わればすぐに夏の選手権だ。
だから、甲子園、甲子園となると、じっくりと個人の技術を上げる時期がないのである。チーム優先、勝利優先になり、その結果、甲子園を目指すなら、促成栽培になってしまうのだ。
原川は、そこを懸念する。だから「甲子園は目指さない」になるのだ。
原川は、選手たちにはとにかく先を見て欲しいと思っている。高校で野球人生を終わりにして欲しくない。そう思っている。
宮古高校の野球部員にも、高校野球を一つの区切りと考えている選手が多い。これは宮古高校に限ったことではない。全国の多くの高校球児が、高校野球で一区切りを付ける。保護者にもそういう考えの保護者が多い。甲子園があまりにも大きくなりすぎたのかもしれない。あまりにも大きくなりすぎたため、子供の頃から甲子園を意識して野球をやり、甲子園を目指して成長し、そして高校球児として甲子園を目指し、高校野球で野球を終える。
原川は、それをなんとか変えたいと思っている。
甲子園や、甲子園を目指すが故の促成栽培が、選手の燃え尽き症候群に繋がっているのなら、甲子園は目指すべきではない。
高校を卒業しても野球を続けて欲しい。野球を続けている限り上手くなる。そしていつの日か、大輪の花を咲かせることになるかもしれない。その可能性は、みんな秘めている。宮古高校からメジャーリーガーが誕生するかもしれない。それは決して夢物語ではない。
原川は、真剣にそう思っている。
リーグ戦の立ち上げに関して、各高校の了承は苦労なく取り付けることができた。というよりも逆に、どの高校も乗り気だった。
春と秋に各校から2チームを編成した6チームによるリーグ戦の開催。
原川の構想の一つが、現実のものとなろうとしていた。
ただ、神田工業と郁徳館高校は高野連の大会にも参加するため、リーグ戦の日程は、高野連の大会日程を優先して開催されることとなった。
リーグ戦構想の交渉が終わると、原川はもう一つの構想の実現に向けて動き出した。
この構想は壁が高い。かなり高い。とてつもなく高い。そしてかなり分厚い。とてつもなく分厚い。
ここは校長に動いてもらうしかない。
宮古高校の校長、永藤校長は、県高野連の会長を務めている。頼みはこの人だ。
永藤校長は、原川が宮古高校で野球をやっていた頃の野球部長だった人である。本職は柔道だったのだが。
原川は永藤に、自分の構想を熱く語った。そして原川の構想は、永藤校長の興味をそそった。
「面白いっ!!いいなぁ、原川。やろうじゃないか。よし。任せとけ。やってやろうじゃないか。」
あとはこの人に任せるしかない。頼みますよ。永藤校長。
二つの構想の取り掛かりが一段落つくと、原川は毎日のように冬季限定入部制度により各部活動にお世話になっている野球部員を見て回るようになった。
久しぶりに見る野球部員は、どの部活動でもそれなりにそれっぽく競技をこなしていた。少なくとも足手まといにはなっていない。特に、境をはじめとした投手陣がお世話になっている陸上部では、境たちは1500メートルタイムトライアルで本職の陸上部員に負けず劣らずのタイムを叩き出していた。また、インターバルトレーニングでも陸上部員に必死に食らいついていた。投手にとって、回復力を必要とするインターバルトレーニングは大事だ。野手陣も短距離の走り方を研究し、それに特化したトレーニングを積んだ結果、50メートルの記録会では、6秒台前半の記録を出す選手も出ていた。陸上部の顧問の先生から、今後の助っ人を頼まれるくらいだ。
バスケ部の野手陣もドリブルが板についている。ハンドリングがかなり上達していることだろう。
卓球部では、これまた卓球部員が、野球部員相手に本気のラリーを繰り返している。ものすごい動体視力、反射神経。
どの部活動もうまくいっている。
原川は、何度も何度もうなずいた。

  ー つづく ー


 これまでの内容はコチラ↓
⚾️   僕の書いた小説 ⚾️