更新が遅くなり申し訳ありません。少し体調不良が続いておりました。
前回、私が初めてかかった精神科のクリニックの先生が、とても面白い方だったという話を振ったところで終わっていたかと思います。
その先生のお話をしていきたいと思います。そのクリニックを選んだのは、ちょっと失礼な話かもしれませんが他に選択肢がなかったからです。
私がセクハラ、パワハラによるPTSD症状を自分でも自覚し精神科を受診しようとした頃、私は通話手段を持っていませんでした。相手からの頻回なLINEや着信(ひどい時は一晩で100通きたこともあります)に、携帯がひどく恐ろしいものに見えICカードを抜いて、携帯が壊れたと職場にいってあったのです。そもそもそういう行動をしている時点で精神状況の不安定さに気付くべきだったのでしょうが、その余裕すらないほど追い詰められていたのだと思います。
仕事の昼休みに10円玉を何枚ももって職場から少し離れた公衆電話から、事前に職場のPCで調べていた近所に精神科に予約の電話をして行きました。一件目は早くても予約をとれるのは3週間後との返事でした。この時は、とりあえず仮予約をしておいてもっと早く見てもらえるところがあるならキャンセルすればいい、くらいに考ていました。正直3週間も今の自分の状態が持つとも思えませんでした。しかし二件目、三件目立て続けに再診患者で一杯で初診は無理と言われました。嫌な予感がしました。それは的中し、その後十件近くかけたクリニックは全て予約でいっぱいとの返事でした。頭が真っ白になりました。精神科に頼れないならどうすればいいんだろう、3週間耐えられるか、なんで診察してくれないんだろう、そんなことをぐるぐる考えながら午後の診察に戻りました。
家に帰ってから、今度は市外のクリニックに電話をかけました。答えはどこも同じでした。初診は無理、とれても何週間後。おそらく二十件ほどのクリニックに電話をかけたと思います。最後の方は電話ボックスで泣きながら、かけては断られかけては断られ。
もうかける病院がないとなった時に、ふと転勤先近くの病院なら、引越しを理由に有休を取って行けないかと思いつきました。一件目は同じように断られましたが、二件目でようやく来週ならとのお返事をもらえました。ほっとして日時の確認をされながら、返す声が震えてしまったのを覚えています。
こうして通うことになったのが、私に初めてPTSDの診断を下した先生ののクリニックでした。その後職場に引越しの下準備のためと休暇をいただき、飛行機ではるばる受診に行きました。クリニックは少し古いオフィスビルの上の階にありました。
入ってまず、まずいなとおもいました。私の職場(◎◎系病院とします)があまり好きではない先生らしく受付には◎◎への批判張り紙がありました。自分が◎◎系と分かったらちゃんと見てもらえないかもしれないと心配で一杯でした(杞憂でしたが)
待合室で手が震えて止まらなくなったのを必死で抑えていました。狭い環境に多くの人 がいるのがとてもこわかったのです。自分の名前が呼ばれ診察室に入りました。
先生は初老のちょっと強面の先生でした。
問診票を見て先生が口を開きました。
「セクハラってなにされたの?」
私は、電話やメールが異常な数くること、人前で性的な暴言をはかれたこと、無理難題を言われ深夜まで拘束されること、なんども恋愛感情がないといってもつたわらず行動がエスカレートしていくこと、スケジュール帳に私の行動がこっそりメモされていたこと、などを時系列もうまくまとめられずにポツポツはなしました。
「それ完全に犯罪だよ。精神科じゃなくて警察に行くべきだ」先生はおっしゃいました。
警察にはすでにいっていること、証拠が携帯くらいしかないため刑事事件にするのは難しいと言われたことをつたえました。
「相手誰?」
「私は◎◎の医師です。相手は上級医の他科の先生です」
「はぁ?あなた◎◎の医者なの?」
「そうです」
「ごめんね。私◎◎系大っ嫌いなんだ。労働条件とか上下関係とかで何人死んでると思う?その男何科?」
「△△科です」
「自分△△科の医師も嫌い。私の娘とあなたはおなじくらいの歳だけどね。自分ならだまっちゃいないよ。あなたの親御さんは?」
「父が話をつけるといってくれていました。でも職場に迷惑をかけてしまうと思い断りました。」
「ねぇ、あなたはさ。何を守ろうとしてるの?」
私は言われた意味が分かりませんでした。
「ここまで体調崩して働けなくなって、それってその男と何も助けてくれない職場のせいなのに、そこに迷惑はかけれないって。一番守るべきは自分じゃないの?」
つっけんどんな言い方なのにその言葉は私の心にすごく沁みました。
「あなたのやるべきことは大騒ぎをすることだよ。セクハラだパワハラだ!って周囲に言って、病院長に直談判しにいったっていい。みんなを巻き込みな。特に偉い人を。それでも動いてくれない組織だったら、あなたが病気になってまでいる必要はない」
私は今までずっと耐えてきました。それがもう直ぐ転勤だから、ここで問題を起こすと次に響くかもしれないから、だからなんとかここを乗り切って次にいければ。そんな考えがザッパリ切り捨てられたようで、それでいて不愉快な気持ちは全くありませんでした。それは、先生のおっしゃることが全くの正論だったからです。
それからいくつかの心理テストや問診が続き、最終的に私に出されたのはPTSDの診断でした。
精神科の先生の問診テクニックは色々あります。例えばお母さんのように無条件の共感を示すかのように接するタイプ、逆に坦々とドライな姿勢を崩さないタイプ、さらさらと聞き流すタイプ、説得型のタイプ、さらにそれぞれの複合体。どれも間違ったスキルではなく様々なアプローチ法があるのです。
私は精神科医ではありませんが、研修医の時精神科で勉強していたことがありました。色々なタイプの先生を見てきましたが、このなんとも無愛想な(失礼な言い方で申し訳ありません)先生の言葉は不思議と私の心にすっと入って行きました。
結局私はその後症状を悪化させ自殺未遂をしてしまい入院となるのですが、この先生のことは今でも忘れられないインパクトを持っています。
次回は私の入院生活について記載したいと思います。

ところで今の私の状況が気になっておられる方もおられるかと思います。
現在の私は、色々あって(この辺りもゆくゆく書いて行きたいと思います)退院後も職場復帰できず、辞めざるを得ない状況になり退職し無職となっています。
弁護士さんを通じ前職場とやりとりをしていますが発病してからほぼ一年、進展はほぼありません。セクハラの事実も認めてもらっていません。セクハラをしてきた相手は今でも同じ役職で医師を続けています。
私は今の非条理な今の状況に抗う精神力も体力も万全とはとてもいえません。が、このまま何もできない自分もつらいのです。どうか私の社会復帰までゆっくり長い目で見守っていて下さい。そして、セクハラパワハラ被害者の気持ち、PTSDという病気に興味を持ってくださる方が一人でもいてくださったら幸いです。