私には兄が二人いて、
以前麻雀業界で仕事をしていた長男と、
昔はよく麻雀を一緒にやっていたけどちゃんとした会社で働いている次男がいます。
二年前の秋、世の中がコロナで騒がれる前、
家族や旧友とみんなで飲んでいた時、
次男「最近食事するとき喉につっかえる感じがするんだよね~。」
私「えー!?それってヤバイやつなんじゃないの?」
次男「来週胃カメラの検査するよ。」
そんな会話をしました。
そのうち私もそのことは忘れかけていて、
2ヶ月たった頃次男から、
「あの時の検査で胃がんであることがわかりました。
ステージⅡbです。
来週手術します。
特にお見舞いなと必要ありません。
お母さんにもそう伝えてください。」
という連絡が来て衝撃が走りました。。。
その当時次男は42歳でした。
次男は中学生の頃、生徒会長をやっていました。
わりと人前に出るのは好きな方だったんだと思います。
私とは年子ということもあり、
いつも次男の影響を受けていました。
中学生の頃は知らない先輩たちに、
あ、会長の妹だ!
と、廊下を歩くたび言われていて、
思春期真っ只中の私はそれが嫌だった記憶があります。
兄妹みんな勉強部屋は同じだったので、
勉強でわからないことはいつも次男に聞いていました。
だから塾に通わなくても平気だったし、
次男が数学が得意だったので自然と私も数学が好きになりました。
私が静大に行けたのも次男のおかげかもしれません。
高校を卒業してからは、
長男、次男ともに首都圏の大学に通っていたので、
私がプロ試験を受けたり研修があったり、
試合や仕事があった時は、
一緒に飲んだり家に泊まらせてもらったりしました。
何も知らない田舎者が静岡から東京へ通うことができたのも、
先に兄たちが首都圏に住んでいたからだと思います。
世間一般の兄妹がどれくらい仲がいいのかわかりませんが、
多分私たち兄妹は仲がいい方だと思います。
次男とはあまり喧嘩したという記憶はないし、
次男のために飲み会をひらいてあげたこともあるし、
年末年始はいつも家族で集まって飲んだりしてたし、
取引先の人が理恵のこと知ってたぞ!と、
次男は笑いながら話したり。
兄妹それぞれ結婚してからも家族間の交流はある方でした。
私があまりに太りすぎたので次男にはよくイジられたし、
私の子供たちを次男は自分の子供のように可愛がってくれました。
娘はすっかり懐いていました。
次男の突然の胃がん宣告に驚きながら、
すぐに胃がんについて調べました。
胃がんステージⅡbならまだ回復の見込みがある!
早く見つかってよかった!
そう思いました。
しかし術後スキルス胃がんのステージⅢCであることがわかりました。
スキルス胃がんと聞いただけで背筋が凍ります。
5年生存率を見ただけで絶望感でした。
でも手術できただけでもよかったんだ、
あとは転移さえしなければ大丈夫かもしれない、
そう思っていました。
術後2年が過ぎ、
抗がん剤の影響で一時髪の毛は抜け落ちましたがそれも元に戻り、
以前に比べたらかなり体重は落ちましたが、
ちゃんと仕事もこなしていました。
ちょっと安心していた矢先、今年の春に転移していることがわかりました。
スキルス胃がんステージⅣです。
私は泣きました。
心の準備をしておかなければならないと。
スキルス胃がんはかなり厄介ながんで、
全身にがん細胞が回ってしまうと、
放射線治療も効きづらく抗がん剤もいずれ効かなくなり、
回復の見込みは薄いということ。
それでも何とか治療を続けながら半年以上過ごしましたが、
年末にさしかかる頃、急激に体調が悪化してしまい、
回復することなく、今日、天国へ旅立ちました。
年末にこれが次男と話せる最後のチャンスかもしれないと病室を訪れた時、
私は
「この兄妹で良かったよ。結構楽しかったよ。」
と伝えたかったのに顔を見ると急に照れ臭くなってしまって、
言うことができませんでした。
私の代わりに奥さんが伝えてくれました。
コロナの影響でお見舞いも人数や親戚のみという制限があって、
友人は会うこともできませんでした。
でもこれが2ヶ月前なら私たち家族も病室にすら入れてもらえない状況だったので、
最後に会って話をすることができてよかったです。
ただお母さんはつらいはず。。。
私の前では涙は見せないですが、
自分の子供に先立たれることほど辛いことはないと思います。
お兄ちゃん、どうか安らかにお眠り下さい。
このブログを読んでくださっている皆さん、今年もお世話になりました。
新年の挨拶は控えさせていただきます。
また来年も引き続きよろしくお願いします!
平岡理恵