どうも、じゃにおかです。

 

まずは近況。

 

 

〇近況

・2回目の経過観察はクリア

・治療後5か月半。やたら髪が生えてきたけど、毛根を見ると全快じゃないと思われ。あと細い。天パは相も変わらず。

・二枚爪はほぼ直ってきたか。爪の黒い線はあと一週間で消える?

・病院で検査したら無精子症だった。わずかでも居るかと思ってたんやけど、残念。1割にまだ入れていない。

 

 

 

 

 

 

ということで、今回ご紹介するのは僕が体験した一年間の旅の話。

 

旅といっても、本の話になります。

 

遡ること三年前。

 

留学中、自分の能力・知識のなさに辟易していたころに、ジョン・ルイス・ギャディスというイェール大学の歴史学者が書いた「大戦略論」という本を読みました。

 

曰く、

 

 

アイザリア・バーリンというイギリス人の政治哲学者は、「ハリネズミと狐 トルストイの多様性と一元性という書籍」において、ギリシアの詩人アルキロコスの詩の断片「狐はたくさんのことを知っているが、ハリネズミはでかいことを一つだけ知っている」から着想を得て、様々な芸術家を二分類した。

 

キツネ型は、ダンテ、ヘロドトス、アリストテレス、モンテーニュ、エラスムス、モリエール、ゲーテ、プーシキン、バルザック、ジョイス。ハリネズミ型は、シェークスピア、プラトン、ルクレティウス、パスカル、ヘーゲル、ドストエフスキー、ニーチェ、イプセン、プルースト。

 

 

これをギャディスが解釈した時に、スピルバーグの映画で描かれるようにリンカーンはキツネの感性を持ち、ハリネズミの様な緻密さ(要修正)もある。また、もっとも偉大な戦略家はトルストイとクラウゼヴィッツであると。

 

この本の一番大事な章の一つが「第7章最も偉大な戦略家たちートルストイとクラウゼヴィッツ」というのはなんとなく分かった。ただ、クラウゼヴィッツの戦争論はマイケル・ハワードの英訳版を持ってるけど、分厚すぎて、また難しすぎてまだ読んでない

 

ていうか、ギャディスはこう言っている。

 

>クラウゼヴィッツは1831年に世を去り、未完の「戦争論」が残された。矛盾に満ちた難解かつ膨大なこの本を逐一読み解こうとしたら、頭がおかしくなるぞと私は学生たちに警告している。

 

こんなん今の自分には読めるわけない。(ちなみに、ギャディスの本は滅茶読みやすい。高校生・大学生向け)

 

ふむ。

 

なら、トルストイの「戦争と平和」を読んでみるか。

 

でもこれ滅茶苦茶分厚いんだよな。。。と思いながら、2年くらい経ったころに病気になる

 

 

その頃に丁度「戦争と平和」の新訳版(望月訳)が発刊される。

 

 

読み始めたことは、いつかのブログに書きましたが、ようやく読み終えたのが先月。

 

 

・・・

 

 

「戦争と平和」は、とんでもない本でした。男性は戦闘シーン、女性はロシア貴族のシーンを好むと言われますが、僕は前者も後者も楽しめました。また、細かいミクロの戦闘の描写から、いきなりトルストイの歴史観なマクロの描写に戻されたり、読んでいる者からすると、ローラーコースターのように揺り動かされる。面白かった。

 

ようやく読み終えたから、バーリンの「ハリネズミと狐」を読んでみるかと読んでみると、難解な本だけど滅茶苦茶頭に入ってくる。

 
ほんで、ついにギャディスに戻るかと読み直したのが先週ぐらいの話。
 

読み直したタイミングは、出張で大学の恩師に会っていた時。

 

大学の恩師に自分の病気の話をしつつ、先生は「人生は綱渡り」的なことを仰っていました。

自分の中では、非常に濃厚な時間を共有させていただきました。

 

その翌日に、ギャディスの最終章(第10章 アイザリアーふたたびグランド・ストラテジーについて)を読む。

 

曰く、

 

 

>「およそ複雑な活動を巧みに遂行するためには、相応の知性と気質という素質を必要とする」とクラウゼヴィッツは書いている。そうした素質が際立ち、何か卓越した業績をやってのけるとき、その素質の持ち主を「天才」と呼ぶという。思うに「知性」は何をめざすかを決め、「気質」はどうやってめざすかを決めるクラウゼヴィッツの言う天才とは、知性を絶えず修正して気質に合わせられる人のことだろう。いかなる政治も純粋ではあり得ず、したがっていかなる「 グランド・ストラテジー」も予期せぬ出来事に影響されずにはいられないからだ。

綱渡りをする人が必ず長い棒を持っているのは、棒が身体を安定させる役割を果たすからである。 身体がぐらぐらしていたら、長い綱の上を進むことなどとてもできない。ただし、棒を操るのは感覚であって思考ではない。棒のことばかり考えていたら、あっという間に落下してしまうだろう。気質は、戦略において同様の役割を果たすのではないだろうか。気質は、方位磁石ではない。磁石は知性だ。だが気質はジャイロスコープ、あるいはクラウゼヴィッツの「心の目」を補う内耳に当たる。綱渡り の長い棒と同じく、落下と成功のちがいを生むのは気質なのである。

 

(中略)


>すなわち人間は、キツネとハリネズミのやり方をうまく組み合わせて種として生き延びてきたということだ。キツネは急激な変化に適応しやすく、ハリネズミは安定した時代に子孫を増やす。このことは、フィッツジェラルドの「第一級の知性」にもつながる。頭の中だけでなく、行動においても、二つの相反する考えを同時に持ちつつ、しかもきちんと働く知性のことだ。そう考えると、「よい判断」とは「綱渡り」であって、「自分の世界観を維持しつつ、おおもとの前提を考え直す」ことが求められる、というテトロックの意見にも納得がゆく。かんたんに言ってしまえば、どれほど高いところにいても常識を忘れるな、ということである。

 

 

全く昨日の話と同じやん!キモイ!

 

一年かかった旅の終着点が、自分の人生経験で考えていたことを補強するものでしかなかったときに、とんでもない高揚感、カタルシスを覚えました。

 

仕事のことを話せないので、この投稿を読んでいる方からすると、僕が書いた文章がごっちゃごちゃになってますが、自分の内面的には色んな点が繋がって一つの大きな物語になっています。

 

それ故に怖い。こんな楽しいことがあっていいのか。

 

 

 

武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり(山本常朝)

 
ないしは、
 
我々は、この時代に生まれたのであり、そして我々の定められているこの終局への道を勇敢に進まなければならない。これ以外に道はない。希望がなくても救いがなくても、絶望的な持ち場で頑張り通すのが義務だ。(シュペングラー)
 
 
Life is like a roller coaster.
 
 
 
じゃあの。
 
 
 じゃにおか拝