どうも、じゃにおかです。

 

今回はいつもとは違う変化球を。

毎年2月下旬に開催されることが多いアカデミー賞受賞式ですが、今年はコロナの影響もあって、4月に延期になったみたいですね。
15年前に当時受験生だった自分も、前期試験の結果にやきもきしつつ、後期試験の勉強をしながら、アカデミー賞授賞式の生中継をWOWOWで見ていたことを思い出します爆  笑

米国のアカデミー賞は、「時代を映す鏡」だと言われることがありますが、このコロナ禍では、NetflixやAmazon primeといった大手の動画配信サイトのオリジナル作品が、アカデミーの各賞にノミネートされることが、多くなりましたね。

ということで、今回ご紹介したい映画は、アカデミー作品賞や主演男優賞等にノミネートされた「サウンド・オブ・メタル」という映画(Amazon primeでは、昨年12月から公開中。昨日見たばっか。)

 


ストーリーは、こんな↓感じ。(ちなみに、音楽ジャンルのメタルは関係ない)

バンドのドラマーとして活躍していた主人公が、突然の聴覚障害により、耳がほとんど聞こえなくなってしまい、かかった医者からも「回復の見込みはない」と言われる。「人生詰んだな・・・」と自暴自棄になりつつも、いざ、ろう者コミュニティーに参加してみると、小さい子供を含め、同じような症状の患者は沢山いるし、みんな楽しそうに生活している。徐々に、コミュニティーに馴染んでいくにつれ、コミュニティー側からも必要な人材だと思われていく。
そんな中、愛する人のために、自分なりの決断をして、新たな一歩を歩んでいく。

主人公の演技、音響演出が素晴らしく、「もし自分が、ある日突然、(マイノリティである)聴覚障害者になったらどうなるのか?」を追体験することが出来ます。

もちろん病気は違いますが、特に手術を終わったタイミングということもあって、この一連の主人公の心の動きが、まさに今の自分の心境にハマったように感じます。

というのも、例えば、抗がん剤のみの治療だと、治療が終わってしまえば、二次癌や無精子症といったリスクはありつつも、髪や髭も生えてくるし、回復後の見た目は多くの人と変わりません。
しかし、今回の手術によって、もう後戻りすることができない、ある種の「分水嶺(※)」を越えてしまったように感じます。
もっとも、リハビリ次第では、予想以上に回復する見込みはありますし、この時点で書くことではないかもしれません。
なお、「手術以外の方法を選択すれば、良かった」なんて、1ミクロンも思っていません。
僕の場合、手術が合理的な局部制御療法だったので、しょうがないアセアセ

(※)前回の投稿では、しったげに戦術家(ジョミニ)の言葉を引用して、decisive pointと表現しましたが、全く同じ意味です。今回の場合、「選択の結果、生き残るために必要な犠牲を払うこと」と解釈できようかと。

 


ようは、頭(理性)では理解しているものの、心(感情)がなかなか追いついていないというのが、正直な気持ちでしょうか。


他の人は「時間が解決してくれるよ」と簡単に言うでしょうし、5年後の自分も今の自分に対して、全く同じことを言うと思います。
ただ、当の本人からすると、どうも腹の底に落ちない感覚が。
学生時代のじゃにおかを知っている人は、「お前いつも、そんな感じで悩んでいただろ」と言うでしょうし、恩師は「じゃにおかくん、考えすぎや」と言うでしょう。
大人になって、少しは成長したと思ったのに、またこんな気持ちになるなんて。。。ガーン


そんな心のうやむやを解消する方法の一つは、この映画でも出てきたコミュニティーの存在だと思います。


少なくとも本ブログを通じて、同じような病気の経験者とは繋がることが出来ていますし、体調が落ち着いてから、いずれ患者会に出れば、もっと多くの方々と繋がることが出来るでしょう。
自分だけの殻に閉じこもっているだけではなく、社会的な交流を続けば、時間なんてあっという間に経っていくと思いますチョキ

 


そういえば、この病気になって以来、旧友からSNS上で連絡が来ることが多く、12年間も音信不通だったアメリカ人の友人からも、「写真見たけど寒そうだな!帽子作ったから送るわ!」とメッセージが来たりと、なんだかんだで悪いことばかりではないなと思います。

 

 

・・・

 

 

この映画では、主人公がノートと鉛筆を渡されて、一人部屋に閉じこもり、思ったことを書き綴る描写がありますが、今回の投稿はそれを真似しています(笑)

 

映画レビューから大きく脱線してしまいましたが、まずはリハビリを頑張りますグッグッ

 

引き続きよろしくお願いします。


じゃあの。


 じゃにおか拝