こんなのを見つけた。
従軍慰安婦の大嘘 英語版 拡散用です
2014-10-14 | 日記
朝日新聞がいかなる理由でか、従軍慰安婦の誤報(実体は捏造)を
認めたのはいいのですが、韓国はむろん、国連も無視の構えです。
それどころか、日本のテレビ(テレビ朝日がとりわけ酷い)は
いわゆる識者を使って、強制性がなかったからといって
慰安婦の存在を肯定してはならない、と論点を根こそぎ
すり替えてきています。
これは「朝まで生テレビ」でも同じことでした。
敵は国内あり、という状況もまだ変わらぬまま、闘いはまだまだ続きます。
以下は、英文の拡散板で、精読はしていないのですが、よく出来ていると思いました。
拡散の場を持っている人は、どうぞよろしくお願いします。
ーーー
このブログに書かれている他の記事に関して、書かれている事の半分くらいしか
理解できないのは、俺がこの国の国民として疎いからなのだろうか。
改憲派の人達は憲法のどの部分を変えたいのだろう?と正直思った。
護憲派も平和や基本的人権などとは別に、時代にそぐわない部分が
あると認識していないのだろうか。
そういった情報に口をつぐんではいないだろうか。
ありえないことだが、いまの天皇やその直系とその辺でばったり出会ったとしよう。
人として敬意ははらうだろうが、特別な感情を多分俺は持たないだろう。
しかし、国の象徴とされているのは確かなことなのだ。
彼らが外国に出たときに、そこで雑な扱いを受けたとするとナンダカ腹が立つ。
それは多分王族を持つ他の国の国民でも同じだろう。
しかし俺のそれをアイデンティティーとは思っていない。
例えば最愛の息子を表では、うちの愚息です。
ということと同じ心理なのだ。(日本人的ではあるが)
王族を持ち、憲法にも(扱いはともあれ)謳われているこの国の民主主義とは
いったいなんなのだろうか。(日本の場合、神が絡んでくるので分かり難い)
それとは別に、権威を金儲けのタネにする輩に憤慨している。
アイデンティティーと神というキーワードが出たところでこれ。
香港のデモは米国の陰謀なのか?
> かりに米国のシナリオがあったにせよ、若者たちは自由な香港を守りたい一心で街頭に集っているのだ。
ーーー
世界から、いや少なくとも日本から見れば香港市民も中国人なのだが、
彼らの言う
>中国全人代による選挙制度の押し付けに反対する
そのためのデモであることは理解できる。
香港がイギリスの植民地であったことは彼らも当然知ってのことだろう。
彼らのアイデンティティーは何処にあるのだろうか。
彼らの文化の拠り所とはなんなのだろうか。
箸で食事するのだろうか。ナイフとフォークなのだろうか。
彼らは 話し合いの用意がある としている抗議相手とどうして話し合わない
のだろうか。
具体的にどういった選挙制度を望み、どういった政治の方向性を望んでいるのか
よく分からない。
反対し、その先のビジョンがないならば、話し合いにもならないだろう。
なにを目指しての権力との闘いなのかを明確にしなければ、応援もできない。
因みにこのデモの間、香港ドル対アメリカドル比はどうなっているかなども
考慮しているのだろうか。
何故、香港は元でなく香港ドルなのかを説明できるのだろうか。
BRICSって知っているのだろうか。
彼らの血や汗が、金儲けに晒されてることを懸念せざるを得ない。
公平公正な選挙手段を行使して何を達成したいのだろうか。
そういうことを権力側と公開討論すればいい。
今度は沖縄の話。
同じようなことだが、基地移設は反対だが、建設に落ちるカネは欲しいのか
そもそも、それをしてしまったら恒久化してしまう基地自体の建設をさせないのか。
そういう意思表示をするべくの知事選なのだろう。
不正投票は気を付けなければならないだろう。
どうしても承認撤回取消確約できない翁長雄志氏
翁長氏陣営は、何としても「埋立申請撤回取消の確約」をせずに、知事ポストを手中に収めたいと考えているのだと思われる。
その延長上にあるのは、県民への裏切りであるリスクが限りなく大きい。
知事選が、辺野古米軍基地建設の是非を問う選挙ではなく、県知事利権の争奪戦に転落している様相を色濃くしているのだ。
「埋め立て承認への対応について、翁長氏側は「選挙結果をもとに日米両政府へ基地建設中止を求めるなど、ありとあらゆる方法や手段で取り組む必要があり、承認の撤回や取り消しも選択肢の一つである」との考えを示した。」
この表明は次のように読み取るべきである。
「辺野古に基地は造らせない」の公約を掲げるが、「埋立申請承認の撤回または取消」は明言しない。
「選択肢の一つ」というのは、典型的な霞が関用語である。
どこにポイントがあるのかと言えば、撤回または取消をしない場合の「口実」になるのである。
「あらゆる方法や手段で取り組む」のなら、
「他の方法で打開できない場合には、埋立申請承認の撤回または取消を行う」
と明言すればよい。
これを明言しないのは、埋立申請承認の撤回または取消に消極的であることの証左なのであると捉えられて当然である。
翁長氏の支持者から「なぜ埋立申請承認の撤回または取消を確約しないのか」との声が上がると、陣営が厳しい締め付けを行なって、こうした声を封殺されるとの声が随所から届いている。
---
早朝の3時から5時にかけて耳を澄ませていると、ある紙束を配って歩く音が聞こえてくる。
その音は最近すぐに立ち去ってしまう。
配る件数が極端に少なくなっている。
ここ数年で明らかに変わってきているのが分かるだろう。
総務省のワンフロア、記者会館、地方の情報既得権益など、壊してしまわなければならない
慣習が多く存在する。
守るものがあるとすれば、それは生きる権利であり身近な文化なのではと思う。
こんなことを許してはいけない。
従軍慰安婦の大嘘 英語版 拡散用です
2014-10-14 | 日記
朝日新聞がいかなる理由でか、従軍慰安婦の誤報(実体は捏造)を
認めたのはいいのですが、韓国はむろん、国連も無視の構えです。
それどころか、日本のテレビ(テレビ朝日がとりわけ酷い)は
いわゆる識者を使って、強制性がなかったからといって
慰安婦の存在を肯定してはならない、と論点を根こそぎ
すり替えてきています。
これは「朝まで生テレビ」でも同じことでした。
敵は国内あり、という状況もまだ変わらぬまま、闘いはまだまだ続きます。
以下は、英文の拡散板で、精読はしていないのですが、よく出来ていると思いました。
拡散の場を持っている人は、どうぞよろしくお願いします。
ーーー
このブログに書かれている他の記事に関して、書かれている事の半分くらいしか
理解できないのは、俺がこの国の国民として疎いからなのだろうか。
改憲派の人達は憲法のどの部分を変えたいのだろう?と正直思った。
護憲派も平和や基本的人権などとは別に、時代にそぐわない部分が
あると認識していないのだろうか。
そういった情報に口をつぐんではいないだろうか。
ありえないことだが、いまの天皇やその直系とその辺でばったり出会ったとしよう。
人として敬意ははらうだろうが、特別な感情を多分俺は持たないだろう。
しかし、国の象徴とされているのは確かなことなのだ。
彼らが外国に出たときに、そこで雑な扱いを受けたとするとナンダカ腹が立つ。
それは多分王族を持つ他の国の国民でも同じだろう。
しかし俺のそれをアイデンティティーとは思っていない。
例えば最愛の息子を表では、うちの愚息です。
ということと同じ心理なのだ。(日本人的ではあるが)
王族を持ち、憲法にも(扱いはともあれ)謳われているこの国の民主主義とは
いったいなんなのだろうか。(日本の場合、神が絡んでくるので分かり難い)
それとは別に、権威を金儲けのタネにする輩に憤慨している。
アイデンティティーと神というキーワードが出たところでこれ。
香港のデモは米国の陰謀なのか?
> かりに米国のシナリオがあったにせよ、若者たちは自由な香港を守りたい一心で街頭に集っているのだ。
ーーー
世界から、いや少なくとも日本から見れば香港市民も中国人なのだが、
彼らの言う
>中国全人代による選挙制度の押し付けに反対する
そのためのデモであることは理解できる。
香港がイギリスの植民地であったことは彼らも当然知ってのことだろう。
彼らのアイデンティティーは何処にあるのだろうか。
彼らの文化の拠り所とはなんなのだろうか。
箸で食事するのだろうか。ナイフとフォークなのだろうか。
彼らは 話し合いの用意がある としている抗議相手とどうして話し合わない
のだろうか。
具体的にどういった選挙制度を望み、どういった政治の方向性を望んでいるのか
よく分からない。
反対し、その先のビジョンがないならば、話し合いにもならないだろう。
なにを目指しての権力との闘いなのかを明確にしなければ、応援もできない。
因みにこのデモの間、香港ドル対アメリカドル比はどうなっているかなども
考慮しているのだろうか。
何故、香港は元でなく香港ドルなのかを説明できるのだろうか。
BRICSって知っているのだろうか。
彼らの血や汗が、金儲けに晒されてることを懸念せざるを得ない。
公平公正な選挙手段を行使して何を達成したいのだろうか。
そういうことを権力側と公開討論すればいい。
今度は沖縄の話。
同じようなことだが、基地移設は反対だが、建設に落ちるカネは欲しいのか
そもそも、それをしてしまったら恒久化してしまう基地自体の建設をさせないのか。
そういう意思表示をするべくの知事選なのだろう。
不正投票は気を付けなければならないだろう。
どうしても承認撤回取消確約できない翁長雄志氏
翁長氏陣営は、何としても「埋立申請撤回取消の確約」をせずに、知事ポストを手中に収めたいと考えているのだと思われる。
その延長上にあるのは、県民への裏切りであるリスクが限りなく大きい。
知事選が、辺野古米軍基地建設の是非を問う選挙ではなく、県知事利権の争奪戦に転落している様相を色濃くしているのだ。
「埋め立て承認への対応について、翁長氏側は「選挙結果をもとに日米両政府へ基地建設中止を求めるなど、ありとあらゆる方法や手段で取り組む必要があり、承認の撤回や取り消しも選択肢の一つである」との考えを示した。」
この表明は次のように読み取るべきである。
「辺野古に基地は造らせない」の公約を掲げるが、「埋立申請承認の撤回または取消」は明言しない。
「選択肢の一つ」というのは、典型的な霞が関用語である。
どこにポイントがあるのかと言えば、撤回または取消をしない場合の「口実」になるのである。
「あらゆる方法や手段で取り組む」のなら、
「他の方法で打開できない場合には、埋立申請承認の撤回または取消を行う」
と明言すればよい。
これを明言しないのは、埋立申請承認の撤回または取消に消極的であることの証左なのであると捉えられて当然である。
翁長氏の支持者から「なぜ埋立申請承認の撤回または取消を確約しないのか」との声が上がると、陣営が厳しい締め付けを行なって、こうした声を封殺されるとの声が随所から届いている。
---
早朝の3時から5時にかけて耳を澄ませていると、ある紙束を配って歩く音が聞こえてくる。
その音は最近すぐに立ち去ってしまう。
配る件数が極端に少なくなっている。
ここ数年で明らかに変わってきているのが分かるだろう。
総務省のワンフロア、記者会館、地方の情報既得権益など、壊してしまわなければならない
慣習が多く存在する。
守るものがあるとすれば、それは生きる権利であり身近な文化なのではと思う。
こんなことを許してはいけない。