丸見竜介記述日和 -2ページ目

妖怪はこわくない。

妖怪と言っても人それぞれ考え方が違う。と昨日書きました。

今日は、私の中での妖怪像を書かせていただきます。


妖怪の話しをすると、「こわいから止めて」と言われたことがありました。
そんな時、ふと考えたんです。本当に、妖怪はこわいんだろうか。そもそも、こわいって、なんだ?

こわいと言う言葉を表現するとき、「恐い」と「怖い」二通りの表し方をします。

少し前に流行った鬼嫁なら、「恐い」でしょうし、暗いところは「怖い」でしょう。
私は、高いところが「恐い」ですし、一般的にホラーや怪談は「怖い」ものだと思います。

これは、恐怖のレベルの問題なんだと思います。「恐い」のほうが、もう、間違いなく恐ろしい。しかし、「怖い」は何だかよく分からないことに怯えている感じでしょう。

じゃあ、妖怪がこわいといったら使うのは?
きっと「怖い」のでしょう。

人が怖くなるためには、「わからない」ことが大切です。この先どうなるかわからないから怖いんでしょうし、どうして起きるかわからないから怖いんです。

だとしたら、妖怪は怖いんでしょうか。
いや、怖くはないんです。
その理由は、そもそも日本人が妖怪というものを作り上げたその原因が関係してるんですが。

今日は眠くなってきたのでこの辺で。
それでは。

妖怪の面白さ。

これから、妖怪について詳しく書いて行きたい訳なんですが、その前に、私にとって妖怪がなぜそんなに面白く感じるのか。ということの理由の一つついて、適当に書きなぐらせていただきます。

私にとって、妖怪が面白いと感じるのは、一口に妖怪といっても、人によって括りが大きく異なるからなんです。

妖怪という言葉を世間に向けて初めて使用したと言われている、井上円了は、妖怪を江戸以前には、原因が分からなかったけれども、科学があれば解明できるもの。と考え、自らの書で「妖怪現象」の解説をしていきました。

次に、民俗学者の柳田國男は、「妖怪とは零落した神である」とし、様々な文献や弟子の調査による、世間で語られる伝承の調査をしていきました。

他にも、水木しげるは、なんだかよく分からないけれど、古くから人間とともにこの世に存在するもの、と書き、京極夏彦は妖怪として、キャラクター化されており、コピーライトが付かないものであると書いています。

また、妖怪研究家の多田克己は、人が不思議だと感じた全ての事象が妖怪だと語り、村上健司は、多田克己と京極夏彦の案を合わせたようなものを妖怪であると感じているようです。

このように、妖怪と言う言葉は、人によって考え方が違い、人それぞれ、自らの妖怪の形を思い浮かべて、語っているのです。

多分、これを読んでいる人が思い浮かべている妖怪の形も、その人特有のもののはずです。(だから、ばかにする人もいるし、真剣に話しを聞いてくれる人もいる、ということなのでしょう。)
もちろん、私も妖怪好きとは言っても、自分の中にある妖怪像を追いかけているに過ぎません。

このように、一つのことでも見方が人によって違うことが、妖怪の大きな魅力の一つであり、様々な本を読んで楽しむことが出来る理由の一つなのです。

これを、読んだ方が妖怪の魅力に少しでも気づき、少しでも興味を持ってくれることを願って、今日は、この辺で。

それでは、また。

妖怪に、市民権を!!

私は、塾講師をしています。
以前は、某大手小中学生専門塾で働いていたわけですが、妖怪好きの私にとって、大変許せないことが何度かありました。

それは、何人かの講師の反応です。
私が初めて妖怪好きだと話したときのことでした。なんと、鼻で笑ったんです。

妖怪とはなんたるか。私だってまだ行き着いていないのに。何も知らない講師達が鼻で笑ったんです。
許せなかった。というよりも、情けなくなりました。

その時、決意しました。必ず、妖怪を世間が正しい認識を出来るようにしよう。
誰も鼻で笑わないものにしようと。

このブログは、その第一歩です。

今後ともよろしくお願いいたします。