JANICのウェブの左側に、3カ月おきに発行している「シナジー」のことが掲載されていることをご存知かと思います。これはJANICが始まった当時から発行してきた「地球市民」というニュースレターを、2006年から名称を変更し、発行し続けているものです。


今回は145号で、特集記事は「新世代NGOの好感力」で、結構評判いいです。サイトからも購入できますので、ぜひお買い求めください。


その中で、「シナジーするNGO」というエッセイのページがあるのですが、そこで私が特集にちなんだ、エッセイを掲載しますので、ご紹介します。シナジーの方の原稿は、スペースの都合で短くなっていますが、ここで掲載しているのは、その前のやや長いバージョンです。


ご意見、感想があれば、お寄せください。


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還暦を迎えるエイティーズNGO



エイティーズNGOとは


 エイティーズ(80’s)NGO。これは、私が勝手に命名した日本のNGOグループの名称だ。80年代に設立されたNGO群のことを意味している。

80年代。インドシナ難民問題に立ち会い、アジアの国々に触れた日本の若者が、次々とNGOを立ち上げた最初の時期だ。この頃のNGOグループが日本のNGOの気質を最初に形成したといっても過言ではない。この頃に設立されたNGOに、日本国際ボランティアセンター(1980年)、幼い難民を考える会(1980年)シャンティ国際ボランティア会(1981年)、シェア=国際保健協力市民の会(1983年)と、いくつも老舗のNGOの名前が挙がってくる。



市民に近かったエイティーズNGO


 80年代は、NGOがまだ社会から認知をされていない時代だった。NGOスタッフは全員無給と思われていたし(給料をもらっていてもかなり貧しかった)、社会からはTシャツとGパンを身にまとったマニアックな存在として映っていたのではないだろうか。恋人の家で「NGOで働いています」と相手の親に言えば、シーンとなってしまうような、特異(アウトロー的)な存在だった思う。その分NGO間の仲間意識(同時に対立)も強く、独特の自尊心(よく言えばボランタリズム)のようなものがみなぎっていた。

資金源も限られていた。どのNGOの貧しく、そのことで苦労もしていたし、工夫もしていた。NGOを支える市民とスタッフの関係は強く、「市民に支えられる存在である」ことに誇りのようなものがあった。市民とのつながりは資金だけに留まらず、会の活動方針を一緒につくる仲間であり、スタッフと支援者が連帯感を高める合宿や集いが盛んに持たれた。事務所で何時間も議論をしたこともあった。NGOにとって市民は近い存在だった。

同時に、この時代はODAの額が急激に増加した時代で、ODAと日本企業の癒着や無駄がマスコミから辛らつに叩かれた時代でもある。片方で、小さくとも草の根で活動するNGOは「善的存在」として取り上げられることが多く、NGOはODAを強く批判し、「NGO vs ODA」といった対立構造が常にあった。ピュアな時代だったと言えるのかもしれない。



還暦を迎えるエイティーズNGO


80年代初頭30歳だったNGOスタッフは今年はそろそろ還暦を迎える。その後NGOをとりまく状況は大きく変わった。

90年代はODAの資金がNGOに大量に流れるようになった。その額は増え続けている。「政府連携ありき」が今は当然で、「NGO vs ODA」という単純な構造ではなくなった。また、いくつもの欧米NGOが日本に事務所を開き、洗練された資金回収マネジメントや援助トレンドで、活発に活動をすることが日常となった。JANICの88団体の正会員の中で16団体がそうしたNGOであり、資金獲得上位5団体はすべて欧米を起源するNGOによって占められている。日本のNGOもこうしたトレンドに影響をうけつつ存在している。



寄付文化の醸成


NGOの組織機能を高度化させ、資金回収・活用能力の強化することが必要だと、最近あちこちの関係者の中で叫ばれている。「寄付文化の醸成」といった言葉も、そのひとつかもしれない。確かに日本市民の寄付に対するNGOアレルギーをなんとかしないといけないし、確かに寄付はNGOへの重要な参加方法のひとつだ。だが、日本の市民を「寄付者化」することに必死になりすぎてないだろうか。NGOは、そのために開発途上国の一面的なイメージをばらまき続ける存在でいいのだろうか。経営意識が突出しすぎ、お金にならないことはやらないといったムードが、自分も含めてあった。NGOがマネジメント能力を身に着けていく上で、必要なプロセスだったのだろし、2000年代はそういった空気が強かった。



エイティーズNGOのもつ意味の再生


私はエイティーズNGOが、市民ともっと向かい合った時間や取り組みを、振り返るべき時だと感じることが多くなった。量的な支援者拡大のエネルギーの中で、お金以外の多様な市民のかかわりを創造することがきっと必要になる。支援者の率直な気持ちを感じとり、対話をし、一緒に考えるといった、経営的視点に立てば、無駄なことに思えるかもしれないことを、エイティーズNGOはずいぶんやっていたように思う。それをもう一度振り返り、再生することがいつか重要になると思う。市民と寄付以外の部分で向かい合う試行錯誤。「寄付者化」の次にあるNGOの時代を、ときどき創造している。

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