方言と標準語が飛び交う場所 思い出の上野駅
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僕は首都高に乗って横浜から銀座方面を目指していた。
目的地まではたぶん1時間くらいか。
ある人が駄々をこねて、上野まで迎えに来いというのだ。
せっかくの休みに、わざわざ車で都内に行くのは気が進まないんだけどなぁ。
1月末に、おばあちゃんの看病で実家に帰った母さん。
母さんがいない間、母さんの代わりとして僕が家事に洗濯に獅子奮迅の働きをしてきた。
自分としては頑張ったつもりなので、「獅子奮迅」という表現は適切だと思っている。
そして2ヶ月近くが経ち、母がやっとこっちに帰ってくるというのだ。
だからといって、わざわざ上野まで迎えに行くのは腑に落ちないけれど。
この日の2日前、母さんからメールがあった。
本文:12時過ぎに上野着く
上野を見たい
楊胡も来るまで来なさい
ここで大抵の人が引っかかるだろう「来るまで来なさい」という表現。
ただの変換ミスで、「車で来なさい」が正しい。
これくらいの変換ミスは日常茶飯事で、いつの間にか瞬時に脳内で補正できるようになった。
そして、このメールを一般的な日本語に意訳すると
「12時過ぎに新幹線が上野に到着する。
せっかくだから上野観光をしたい。
楊胡も上野観光に付き合う?
来るんだったら車出してよ」
となる。
文体は命令口調だけど、強制している訳ではないところがミソ。
おそらく、僕でなければ“母さんの意図”を理解できないという難解な言語だった。
このメール口調のせいで母は、姉(常識人)とよくケンカしている。
おそらく姉の方が正しく、ホイホイ聞いている僕も母と同罪なのだろう。
首都高の上野ランプを下りると、ハンドルを握る手が汗ばんできた。
都内は走り慣れていないせいだろう。
もはや駐車料金などはどうでもよく、ひたすら空いている駐車場を探した。
停めたのは上野駅からちょっと離れた大型デパートの駐車場。
上野駅付近で駐車場探してアタフタしたくなかったので、大きなところなら十分な空きがあるだろうと、ね(^_^;)
上野駅まで500mほど歩き、待ち合わせ場所でもう着いているだろう母さんの姿を探した。
人は多くすぐには見つからないと思ったが、予想に反してすぐに見つかった。
それもそのはず。
上野には東京には似つかわしくない格好をしたポッチャリしたご婦人が、東京を着こなしているサラリーマンの群れの邪魔にならないよう端っこにちょこんと立っていた。
ご婦人はカバンを横に置いて、肩身の狭そうな面持ちでゆっくりと首を左右に振って誰かを探していた。
わざわざ人ごみに行きたがるようなバイタリティある年齢はとうに昔のことで、母さんが「上野を見て回りたい」と言った時、少なからず驚いた。
でも同時に、母がいつだったかこんな事を言っていたのを思いだした。
「上野は母ちゃんが田舎から出てきた時の終着駅なんだ。
母ちゃんにとっては都会の入り口。
上野駅では同郷の人がすぐにわかったもんだよ。
みんなほっぺが真っ赤なんだもん。
方言と標準語が飛び交う雑多な雰囲気、それが上野」
母さんが金の卵ともてはやされて上京した時はそうだったかもしれない。
でも今は、そんな昭和情緒あふれる光景など拝むことはできない。
母さんの知る上野の面影がまったくなくなった駅構内。
小洒落たなショップが立ち並ぶ様を、足早に歩く身奇麗な若人たちを、母はどういった心境で見ていたのだろう。
「母さんやい」
「おお、やっと来たか」
「なんか変わった格好してるね。
そんな帽子持ってたっけ?」
「ああ、これね。
ばあちゃんが着ないっていう服もらってきたのよ」
「なるほど。どうりで…ね。
あれ?荷物ってそれだけ?」
「大きなのはダンボールで送っといたのよ」
「ダンボール…
どうせ空きスペースに南部せんべい詰め込んでるんでしょ?」
ギクリ
「むしろ、南部せんべいがメインなんでしょ?」
「うるさいうるさい!もうキレた!
お前には一つもやらん!」
「心配せずともいらないよ」
ひと通りの軽口を叩き終わった僕は母の荷物をひょいと持ち上げ、サラリーマン溢れる人の波に乗った。
僕の後ろを歩く母は、どういう訳か人波を歩くのが下手だった。
もう40年も都会に住んでいるというのに。
「で、どこに行くの」
「上野と言えば上野公園。
もっちー!もっちー!」
変なポーズを取りながらもっちー!と連呼する母。
まったく。東京のど真ん中だというのに。
2ヶ月ばかり忘れていたが、僕の母はこういう人なのだ。
おかしな母のいる僕の日常が、また始まった。
「もうキレた」が母の口癖。
沸点の低さは若者の比ではありません。
キレる老人は、キレる若者よりもタチが悪いようです。
次回も上野の話が続きます。
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