
☆不幸の底にあるもの
数十年前に月刊誌でみた記事を、記憶をたどってお伝えしたいと思います。
ある若い女性が人生相談に来ました。
「両親と私の3人暮らしで、もとは近所でも評判の仲の良い明るい家庭でした。ある日突然、父の会社が倒産し家族は路頭に迷うことになります。父親は仕事を失ってからだんだんと生活が荒れ、日中から酒を飲むようになりました。世間体を考え父に口答えをする母に、いつかしら父は母に手を上げるようになりました。最近では日増しに理由もなく暴力がエスカレートし、日に何度も殴る、蹴るの暴行を受けています。今では母も口答えもせずにじっと耐えていますが、それでも鎮まることはありません。先日、私の目の前で父に乱暴された母が、口から血を流しながら動かなくなったので、私は母をかばうように覆いかぶさり「お母さんが死んじゃうよ!」と叫びました。それでも容赦なく父の暴力は続きました。その時、一瞬ですが父が目に涙しているのを見ました。今、思えば父も辛かったのかも知れません。意識の無くなった母の上で私はなすすべもなく、ただ涙を流しながら耐えるしかありませんでした。しばらくして意識を取り戻した母でしたが、もうまともに立って歩ける身体ではありませんでした。このままでは父に殺されてしまいます。翌日、警察にこのことを知らせて、病院にゆこうと母に言いましたが、母はなぜかそれを拒みます。私は途方にくれてしまいました。今は私の働きで家族はなんとか生活をしていますが、もう経済的にも精神的にも限界にきています。この先、私はいったい、どうしたらいいのでしょうか」
女性は顔色も優れなく華奢な身体からは生きる気力さえ失っているように感じられたそうです。
相談を受けた中高年の男性はこう答えたそうです。
「まわりで問題が起きている場合、問題の原因は、そのことで一番に悩んでいる人のところに原因があります。娘さんであるあなたは、お父さんのことをどう思っていますか?まずはそこから反省してみてはいかがですか」
意外なアドバイスでしたが、相談者の若い女性は何か思いあたるところがあるのか、お礼を言うと口数も少なくその場を後にしたそうです。
数週間後、彼女から手紙が届きました。
「あの日、あれから反省をした私は、父に対する自身の思いの間違いに気づくことができました。私は幼い頃に父の優しかった笑顔や、私のことで喜んでくれる顔、そして長い年月、休みも惜しまず働き続けてくれた父の姿を思いだし、感謝の気持ちを取り戻すことができました。翌朝、父が仕事をしていた時のように朝食を用意しました。心をこめ感謝の気持ちでつくりました。父が起きてきたときには、以前の優しい父の笑顔を思い浮かべながら「おはようございます」と自然に言えたのは随分久しぶりのことでした。父は戸惑いながらも無言でテーブルにつくと、いつものように酒を呑み始めました。私は「身体、大事にしてねお父さん」と言いながら温かいご飯と味噌汁をだすと少し驚いた様子でしたが、少しづつではありましたが口にしてくれました。それから、毎朝、食事を用意し数日たった時、珍しく酒も呑まずに母と私を前にしてのことでした。「つらい思いをさせてしまった」と、しっかりとした口調で話す以前の優しかった父がそこにいました。父はいま、あれから酒もやめ、前向きに求職活動を始めてくれました。まだ仕事は決まっていませんが、我が家にも笑顔が戻ってまいりました。あのとき相談させていただき、本当によかったと思っています。ありがとうございました」
☆反省で意図した神性
当時、僕はこの記事の娘さんの心情に心うたれたと同時に、一体なにを反省したのであろうかと考えはじめた。
文面から推測する限り反省しなければならないのは父親であって、決して娘さんではないはずです。
しばらく、腑に落ちるような回答が得られず、娘さんの美しい心情を思い描くほどに謎は深まり、忘れられない話となってゆきました。
起きた家族崩壊の出来事は父親の自己責任だろうし、巻き込まれた家族にどのような責任があるのだろう。
ある日、自分ならどうするだろうと深く考えてみようと、思いがよぎったとき、ふと、天使ならどう思い、どう行動するのだろうと思い至りました。
彼女はおそらく、父親の凄惨な暴力を目前にし「こんな父親、死んでほしい。この世界から消えてほしい」と、ほんの一瞬であったかもしれないが思ったのかもしれない。
いや、第三者の僕でさえこの記事を読んだー時、そう思ってしまった。
しかしながら、どんな状況であったにせよ天使ならどう思うだろう。人の存在を否定するようなことを果たして思うだろうか。
今の僕ならわかるような気がする。あるがままに見つめ、あるがままに受け入れようとするだろう。
彼女は一時でも悪魔のような心にならざる得なかった自身を反省したのだろう。そして、天使の心を取り戻した。
人の心が愛に満ちるように変容してゆくこと。それを僕は「奇跡」と呼んでいます。
☆スピリチュアルの境界
この月刊誌の記事をよんで、人それぞれ思いや捉え方は多様であるのかもしれません。
この記事との出会い。そして深く考えてみることによって僕はこの世界の見え方が大きく変わってしまいました。
✡人には神性があること
人間の尊厳、人はみな素晴らしい。人はみな神である。
✡世界は自分自身が創っていること
彼女の思いが変化してゆくことで世界が変容していった。
自身の思いが世界に投影されている。
ゆえに、この世界に他人の責任にできることなど、なに一つない。
✡世界はワンネスであること
全ては一つ。「あなたは私」。悪も善も大いなるものに包まれながら存在している。
✡今に生きること
彼女が「過去」の父の暴力に拘り続けず、父の仕事の「未来」、未だ果たせない就職に不安にとらわれず今を大切に意識していた。今という一瞬に思いを抱くことによって愛は満ちてゆくのか。いや、認識できると言ったほうが正しいかもしれない。
✡愛の存在
彼女が自身の心を見つめた。内なる世界に立ち入り、向かい合うことで本来の自身を取る戻すに従い、愛が目覚めはじめたとしか思えないエピソードであったと思います。
今、アセンションを前にして大切なことは、『外なる世界』を、他人を社会を変えることではなく、『内なる世界』と立ち合うことで、自身が変わってゆくこと。『本来の自身に立ち返ること』。その真髄がスピリチュアルの境界線なんだろなと思っています。