『全身小説家』(日本・1994年) | Cinéma , Mon Amour.。.:*☆

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こんばんは


今宵ご紹介する映画は


『全身小説家』



敬愛する『シネマの万華鏡』のゼルダさんが

ひと足先に同作品のレビュー投稿をされておりますが

別に『一緒に書きましょ、じゃそうしましょ』って、

示し合わせたわけじゃあないんですよ


にも関わらず我々二人が、

何故このタイミングで今作を俎上に載せたのか?


実はまだゼルダさんの記事を拝読していないので

(書く前に拝読すると絶対影響を受けるので)

なんとも申せませんが、当方は『あちらにいる鬼』が

映画化されたことに端を発します


『あちらにいる鬼』は著者である井上荒野氏が

不倫関係にあった父であり小説家の井上光晴氏と

瀬戸内寂聴氏氏、そしてこの二人の関係を容認して

いた(かのように見えた)母である井上夫人の三人を、

モデルとしたお話です


その筆致は娘の立場としてではなく

あくまでも作家目線で紡がれておりまして

原作の帯には


と、あり、ご丁寧なことに裏表紙にも


と、あり

父の不倫相手である寂聴氏とも親交を

お持ちだったご様子で、それについての感想は

今回は差し控えさせて頂きとう存じます


だって作家先生の考えなんて

凡人にはわっかんないんだもーーんっっ


、、、


前置きが長くなりました


今回取り上げた

映画『全身小説家』は荒野氏の父君である

井上光晴氏の晩年の5年間に密着したドキュメンタリー

作品です


1989年に癌告知を受けた氏は

それまでと変わらず、1977年に自身が創設し

日本各地に広がった文学伝習所を渡り歩きます



文学伝習所は小説家を目指す

アマチュアのための指導の場で講師はもちろん

光晴


作家さんて

話すより書くことの方が得手であると

思い込んでいたんですけれど、光晴氏は

書くことも人前で話すことも両方お好きだったようで


受講者は女性が多く

彼女たちはカメラの前に座り、

光晴センセについて、恥ずかしげに語ります


恥ずかしげに、、、と言うのんは

彼女たちは光晴センセに心酔してるからであり

それは作家としてはもちろんのこと、男性としてでも

ありました


例えばこちらのご婦人は

ご自分に自信が持てないままずっといらしたのだけど


一点だけ、お母様から

『貴女の耳は素晴らしい』と褒められたことがあって

でもそのことは胸に秘め生きてこられました


それですのに

そうとは知らぬ光晴氏センセから

『耳が良いね』と褒められて自信を持てるように

なったと、ご主人が横にいながらにしてお話に

なるんですよね。←ご主人たら形無しだー


つまり光晴氏は人の美点を探すことが得意で

それって女性にとってみれば

『先生はわたしを特別視している、、、』と

そこに繋がっていくわけで


相反する同志の女性共産党員でさえ

彼には魅力があると認め、ですからよく申せば

フェミニスト、下世話な言い方をすれば女好き


しかし軟派に見えて

ニッチな部落解放文学賞の選定委員を務めるなど

硬派な一面もお持ちな光晴氏。


かと思えば

文学持論も独特でフィクションは

ノンフィクションに挿げ替えることが可であると

臆面もなく言いなさる


貧困家庭に育ち、

父が出奔したせいで辛酸を舐めた幼少期のくだりも

実は誠でなかったりして昵懇の作家埴谷雄高氏は

幼い頃から渾名は『嘘つき光っちゃん』だったと

暴露されとりますから。


その胡乱をカメラで捉えるのは、かの原一夫


食えん御仁を

一癖も二癖もある監督が撮る、、

それだけで今ドキュメンタリーの意向が

見えたり隠れたり


ただし光晴氏とて人の子

門下生や朋輩には臆面もなくホラを吹いても

死が忍び寄る中、お医者様には至って従順


今から30年ほど前の作品ということもあり

実際の手術場面も出てきて、よくカメラが術室に

入れたなって、そこから繰り出される蠢く臓器の

リアリティー、、、


覚悟して観るべし


ただそれよりも私的に肝が冷えた場面が

ございまして、それがコチラ


この頃は不倫関係が解消済みとはいえ

元不倫相手と並び歩く、その後ろに控えしは

本妻の図、、、でした


だがしかし

どこぞの火宅の人とは違って

不思議なことに家庭も円満に見えるという

いくら他の女性が至近距離に入ろうとも

光晴氏と共に診察室に入室出来るのは夫人だけ


娘に『嵐が丘』を彷彿とさせる

荒野(こうや)と名付けようとも、

その娘から『父』(ちち)と慕われ


憎みきれないナニカが

氏にはあったとしかいいようがなくて

けれど家族がいても氏はとても孤独な方

だったんじゃないかと

だから側に、人を置きたかったんじゃないかと



それが、嘘も誠も一緒くただった生育歴に

起因するものかどうかは計りかねますけれど

不倫精算後も友人関係にあった寂聴氏に向かって

『一度子供を捨てたのなら捨てきれ』にはある種の

生き様なり覚悟を感じました


かなりの多作家でいらっしゃるのだけれど

わたしが読んだのは『虚構のクレーン』のみで

それも娘の頃の話ですからもう随分前のことですね


恋した少女が被爆死し、主人公が怒りをぶつける

といった話だったと記憶しておりますが


『明日一九四五年八月八日 長崎』が原作の映画

『tomorrow 明日』も原爆投下で明日を奪われる

人々のお話で、反戦、反体制は作家、井上光晴氏の

ライフテーマだったと思います


最期の最後まで執筆の手を止めなかった氏は

1992年、66歳で永遠の眠りにつきます


『全身小説家』とはまさしく言い得て妙


井上光晴氏は

小説家にしかなり得ない

そんなお方、でしたから、、、