診断からからもう何年かになるけれど、20代初期の頃は普通に仕事にも行けていたし、それなりにバリバリ働いていたんです。
けれどその中で、なんだか変だなと思うこともありました。
接客販売員だったのですが、商品をお取り寄せされたお客様への商品到着のお電話、または他店舗への業務関係の電話など、電話全般が緊張して出来ない時があるのです。
それは日によってマシな時と深刻な時と、気分的に変わりましたが、概ね電話対応をさせられる=不安でした。
誰でも電話対応って嫌なもので(単に面倒くさいという人もいる)、職場でも、誰かが取ってくれるだろう、とコールする電話を聞こえていないふりをする人も多く、私もそうしていた部分もあり、きっとみんな同じだろうと思っていたんです。
電話は緊張するから嫌だと笑いながら愚痴をこぼす人も居ました。つまり私だけではないのだろう。そえ思っていました。
けれど程度が違いました。
まず、笑いながら愚痴を言えるほど、笑い事ではなくなってしまいました。
緊張で妙な汗をかき、心臓が耳元に移動でもしてきたのか?と思うほどドクドクと音が聞こえ、電話口の相手の言葉が聞き取れません。
それらのせいで頭がこんがらがって、電話の内容がまったく頭に入ってこず、それでもなんとか相手の名前と電話の内容を確認し、仕事に支障が出ないよう必死でした。
これ以上大変なことにならないようになんとかしなくては。
そう思い、学生時代からお世話になっている心療内科に相談したところ、社会不安障害だと診断されたのです。
主治医に話を聞くと、これも、これも、と当てはまるものが沢山出てきました。
まず、職場までの道のりは何度か人に付き添って貰ったので行き来出来るのですが、それ以外の場所に一人で行けない。
職場までの道も、どこかが通行止めになってしまったら、回り道や別の道から出勤する、ということが出来ない。
当時は一人でガソリンも入れられない。
職場の忘年会や送別会など、日取りを決められるとドキドキして当日までそればかり考える。
他にも諸々と小さなことから困ったことまで当てはまり、自分でも他人よりかなり行動範囲が狭いなと自覚はしていたのですが、診断されて初めて分かった部分もありました。
元々解離性同一性障害と同時に、パニック障害とも診断されていたのですが、どうやらパニック障害ではなく、社会不安障害の方だったようで。
解離性同一性障害の方は、今はかなり改善され、ほとんど別人格が現れることもなくなったのですが、困ったことに社会不安障害の方が悪化の一途を辿っています。
結婚をし、病気により仕事を辞め、家で引きこもることが増えました。
何度か外出時に不安発作を起こし、救急車で運ばれるなどをしたこともあり、外出への恐怖がぬぐい去れず、夫なしでは病院にも行けない日々を送っています。
そんな状態で子供を望むことも出来ず、また、私が母に虐待を受けて育ったということもあり、子供は欲しいと思いながらも、今の自分の行動範囲と精神状態、おまけに金銭的にも難しいだろうと判断し、諦めました。
夫も、何年か無職の時期があり、今後何10年か後の夫婦二人の老後の蓄えをするのに精一杯で、夫は義母のみの片親で長男、私の実家は自己破産してからも父のギャンブル依存で火の車なこともあり、援助などはじめから期待していませんでした。
子供は諦めました。これは未だに悔やまれます。私を虐待した母を恨みました。他人のせいにしたかったのです。
自分が至らないところは沢山ある。仕事をし、安定した収入さえあれば、子供一人くらいならギリギリでなんとかなるかもしれない。そんな人達は沢山いる。けれど、自分のことで頭がいっぱいになって発作を起こすような人間が、子供に万が一の事が起こった時、落ち着いて行動が出来るのか。そもそも行動自体出来るのか……
全てやってみなくてはわからないことです。火事場の馬鹿力というやつもあります。しかし、社会不安障害が何も改善されていない今の自分が子供を授かるには、リスクになることの方が多かったのです。
産んでからでは遅い、と私は思います。
自分の母のような母親になりたくはない。反面教師にしているつもりでも、ヒステリックな部分はしっかり受け継いでしまっている。ほぼ絶縁した実家に頼らずに、生活保護で暮らしている夫の母にばかり負担をかけることになる。義母は、子供は授かりものだから、出来ないなら出来ないで気負わなくていいと、温かい目で見てくれています。(ひしひしと感じるものはありますが)
夫も、子供が欲しいかと聞いても、私に任せる、という態度で、確かに産むのは私ですが、一緒に頑張って育てられるように、様々なことを改善していこう、という気にまではなっていないようでした。夫も仕事や私の世話でいっぱいいっぱいなのでしょう。
とても申し訳ないです。
そんなこんなで恐らく四五年は引きこもりをしていました。障害者手帳1級と、精神障害者年金を貰い、自分の身の回りの支払いはこれまでの貯金もふくめ、自分でなんとか出来ています。(夫が丸二年ほど無職で、その間の生活費を私の貯金で賄ったため、今では半分以下の額に減りましたが……外出恐怖の人間としては、夫に先立たれた場合、最後に頼れるのは金だけという感覚だったので、さすがにかなり痛手です)
お金がなくては始まらない!
お金を貯めるには、いつ打ち切られるかわからない国からの援助ばかりではいけない!
仕事を探さなくてはならない!
そのためには外に出なければ!
そう決心したのが今月の頭です。
夫が仕事へ行くのと同じ時間に家を出て、家の周辺を散歩することを目標にしました。
玄関を出て駐車場まで夫を見送ることから始め、外の日光が気持ちいいと感じてきた頃合から、今までずっと部屋着だった服を、運動用の外出着に着替えることを心がけました。
着替えるだけです。それだけでも違います。
そして、家の周辺の散歩を開始しました。
さすがに不安があるので、夫と一緒に家を出て、夫が職場に着くまでの間、ずっと電話を繋いでいてもらいます。そうすると、不安発作が起こっても、夫からの「大丈夫、落ち着いて」などの言葉が聞けて、夫がそばにいなくても、気分的には全く違うのです。
夫は素晴らしい男性だと尊敬しています。
そしてなにより、ウチは夫の休日に買い物などをまとめて済ますのですが(少し前まで鬱が再発して、それすら夫1人に任せ切りの時期がありました)、その時に、外出用の服を着て、よそ行き用のメイクをするんです。
気分が急に変わります!
たとえ出かける場所がスーパーだろうと、とっておきのおしゃれ着を着る。ナチュラルなメイクをする。それだけで勇気が出るんです。
私も今では二十代も最後の年になりましたけど、久しぶりにメイクをしてオシャレな服を着てみると、まだまだ大丈夫じゃないか!と嬉しい気分になれます(笑)
メイクやオシャレは女の武器、武装だとよく言いますが、本当にそうだと思います。することに意味があって、すれば鏡を見るのが苦にならなくなり、どこかへ出かけたい!という前向きな気分にしてくれるんです。
さすがに化粧品も服もただではないので、朝の毎日の散歩などの時は、スッピンジャージの有様ですが(笑)
何が言いたいかというと、私のように引きこもっている人に、外には出られなくてもせめて、きちんと朝に起きて、ベランダでもどこでもいいから少しでも外の空気と日光を浴びて、毎日違う服を着て、家の中だけでもファッションショーをしてみて欲しいんです。
全部しなくてもいいんです。
私も、ちゃんと朝に起きることから始めました。
ウチのアパートは立地上日が入りづらいので、ベランダで洗濯物を干す時に、ちょっと意識して日光を浴びてみたり、窓を開けて空気の入れ替えをしてみたり、部屋を少しだけ片付けてみたり。
そういう小さなことから始めていけばいいんだと
、個人的に思います。
どんな小さなことも自信に繋がります。
溜まった食器を洗い終わったあとのような、スッキリした気分を味わえると思います。
長々書きましたが、先日心療内科に受信した折に、思い切ってパートをしようか考えていると告白しました。
主治医はとてもいい笑顔で、ハローワークの障害者支援のチラシを下さいました。
まずハローワークまで一人で行けないので、今のところどうすることも出来ないのですが、もう少し外に慣れてきたら、お金を貯めるという目的のために、ほんの少しでもいいので、働いてお給料を貰えるという感覚を、久しぶりに体験したいと思っています。
