羽仁進、土本典昭は記録映画(ドキュメンタリー)の台頭といえるが、それ以前に日本の記録映画の先駆けとなったのが亀井文夫。


亀井文夫の『戦ふ兵隊』(1939)の裏話というのを「知ってるつもり?!」という、1989年〜のテレビ番組で見た。(録画)
亀井文夫の正義感溢れた78年間の人生を1時間前後のテレビ番組で分かってしまう。今の時代なんて、テレビ番組といえばなにかを食べてそれについてリポートしたりだとか、バラエティ番組に富んでいるが、この時代はいいものだ。俗にいう、教養が身につけられる番組ばかりだった。(らしい)


それにしても亀井文夫は非常に正義感に溢れていて私はなんともいえないくらい彼が好きだ。

というのも当時、日中戦争の真っ只中に戦意高揚映画の製作を依頼された亀井。完成後、日本軍を対象とした初号試写にて日本軍は戦意高揚映画の『戦ふ兵隊』を見ていた。…と思いきや中盤に差し掛かって兵士が一斉に立ち上がり怒号が響き渡る。「これは戦ふ兵隊ではない。疲れた兵隊だ」と。まるで、リュミエールのグランマカフェでのシネマトグラフ初公開の観客の様子とは大違いだ。
亀井は戦意高揚映画とは全く違う、とてつもない皮肉を込めて、反戦争を、戦争真っ只中に訴えた。この行動に勇気と正義感、そして強い優しさを持った亀井文夫に惚れてしまうほど。

しかしその後、治安維持法に反するとのことで一年ほど彼は投獄されてしまう。

疲れた兵隊という真実を映し続けた『戦ふ兵隊』は今でこそ傑作記録映画(ドキュメンタリー)として評価されている。私はそんな亀井文夫の貫き通した信念が今生きていることに、喜びを感じるとともに、疲れた兵隊ではなく戦ふ兵隊を撮っていたら戦争の真実を知ることにひとつかけらが落ちていたように思える。

しかし私が思うに、強くて優しそうに思える人ほどとても心が繊細で実は弱い人なんだと。

それ以上に衝撃的だった亀井文夫の『世界は恐怖する 死の灰の正体』(1957年)のことについて書きたいことがあるがそれは後日。