注意欠陥多動性障害(ADHD)と学習障害(LD)の二つを持っている当ブログ管理人。
だが「あくまでもあなたはそういう傾向が強いのであって、グレーゾーンです。でも困っているのなら工夫を一緒に考えましょう」と担当医に言われたため、月1回の頻度で大学病院に通院している。
外の世界では大抵「ふはは」と言った具合で、嫌なことも嬉しいこともやり過ごしているため、自分の殻に閉じこもるとそれはそれはネガティブ全開。
そもそも注意欠陥多動性障害だと診断されたのは、昨年の12月、ちょうど今頃であった。無論、突然…というわけではなく、幼い頃から今に至るまでその「変」という「変」の積み重ねから病院を受診することにした。
日本で唯一、発達障害外来がある「昭和大学付属烏山病院」。千歳烏山…と少し遠方ではあるが母親と一緒に受診して、精密検査をし、そう診断された。その時驚きは?
いや、特にない。驚きというより、私は安心という方が優ってしまった。
そんなこんなで“病名”とやらをつけられ、薬も服用してみた。発達障害に処方薬があることすら知らなかった私にとって、「これを飲めば頭の中が整理されてミスをしにくくなる」という罠に陥った。事実、服用すると気分は高まり、動悸がするようになり、いつも以上にハキハキとするようになる。しかしその他副作用も出てしまったため、薬に頼る治療は断念したのである。
ちなみに発達障害に有効とされている処方薬とは「ストラテラ」「コンサータ」、この二種類である。ストラテラに関しては成人した大人だけではなく、処方する量によっては子供も服用することができるため、比較的副作用は強い方ではない。
だから私は余計に安心して、服用した。
だけど私の体には合わなかったし、コンサータなんかは、胃に影響を及ぼすなど、どちらの処方薬もわたしには合うものではなかった。
薬からも離れ、今まで通り、“病名”がつく前の生活と変わらない生活を送っている。
では何が自分にとって治療になるのか?
私は私を思うに、治療ではない。工夫なのだと。
その工夫を治療に変える為のきっかけとして、今月末から千歳烏山病院のリハビリセンターで私は「ADHDグループ療法」に参加する。担当医の勧めでこのグループ療法を受けることになった。
どんな人がいるのだろうか。少し、また、忙しくなるなぁ…と考えながらも、工夫が治療になればいい。私は私だし、根本的な私という人間は変えることはできない。でもそんな私に工夫を与えることはできるはずだから、私にプラスαできるように。
何も私は特別でも、普通でも、なんでもない。なんの定義にもいないただのコピーに過ぎない。病名をつけられたって、そんなのただの擽りに弱いだけのような例えだってできるのに。