聖教新聞【SGI会長と共に 新時代を創る〈24〉】-世界の若人と広布の山を- | SHInのブログ

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◇台風が猛威を振るった東北、北海道はじめ各地の方々に心からお見舞い申し上げます。被災された皆さま方は大変でしょうけれども、『わざはひも転じて幸となるべし』〈御書 1124p〉と仰せの如く、必ずや変毒為薬していかれますよう、真剣に祈っております。


いずこにあっても、創価家族は意気軒高である。

先日(8月28日)、久方ぶりに東京・大田区の森ヶ崎文化会館を訪れると、地元の三つの支部の同志がにぎやかに集われていた。

和気あいあいと座談会が行われ、婦人部総会の準備が進められていると伺い、『ふるさとに帰ってきました』と伝言を託して、題目を送らせていただいた。

誇り高き法城は、守る会の方々の真心で荘厳され、牙城会の青年が凜々しく厳護してくれていた。会館の庭には、牧口先生のご揮毫『生々世々』の記念碑と、『森ヶ崎海岸』の詩碑がある。周りを彩る折鶴蘭は、50年以上前、わが家から友人たちに差し上げた株分けの生命力豊かな子孫だ。

懐かしい周辺の地域も、見違えるように発展していた。蒲田支部の2月闘争(1952年)で奔走した『今上人界の思出』も蘇ってくる―。

『一句をも人にかたらん人は如来の使』〈1448p〉との御聖訓のまま、皆で勇んで対話に打って出た。

新しい人と一緒に訪問・激励に歩いた。小さな集いで一緒に勤行・唱題した。学会歌を一緒に歌い、友人へ弘教に向かった。『一緒に』という同志愛の中で、地涌の人材が育った。

当時、支部の会場だった私の妻の実家に来て入会を決意したお母さまがいる。後継のご子息が、アメリカ広布の指導者として名指揮を執るようになったことも、不思議な縁である。

『物だねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり』〈971p〉

妙法の下種は、時とともに無量の広がりとなる。


2月闘争の渦中、立ち寄ったお宅で留守番をしている未来部の友がいた。私は紙に、大勢の人が富士山の山頂を目指す絵を描いて見せた。そして最後に、麓から勇敢に進み始める若人を大きく加え、『これが君だよ。将来、一緒に広布の山を登ろう!』と贈った。

世界から尊き青年リーダーも来日した。さあ共々に新たな広布の山を登攀だ!