・彼は、たまたま学会員が引き起こした事件などを、あたかも創価学会の問題であるかのように取り上げ、学会批判を重ねるマスコミの報道について、言及していった。
『これまでも、精神の病で苦しんでいた人が入会をし、その後、事件を起こしてしまったこともありました。あるいは前科があり、誰からも相手にされなかった人が学会に入り、また犯罪に関与してしまったこともありました。
そのつど、新聞や週刊誌は、創価学会自体が罪を犯したかのように書き立て、私共は、非難されて参りました。
しかし、本来は、そうした人達が人間らしく生きられるにはどうしたらよいかを、政治家や国家等が責任を持って考え、面倒を見ていくべきであります。だが、それを切り捨て、誰も、何もしようとはしない。不幸な境遇の人を見て見ぬふりをしているのが、今の多くの政治家であり、高級官僚と言われる役人ではないですか。日本の指導者層は、あまりにも利己主義であり、無責任です。
それに対して、私達学会員は、この世から不幸をなくそうと、苦しんでいる人を見れば、人間には等しく幸福になる権利があるのだと、信心で教えてきた。創価学会には、一切差別はないからです。そして、なんとか幸せになって欲しいと、皆さんは真心を込めて、あれこれと面倒をみてこられた。社会的な体裁を繕い、自分のことだけしか考えない人達には、決してできないことです。
様々な悩み、複雑な問題を持つ人を、数多く抱きかかえていけば、なかには、事件を起こしてしまう人が出ることもあるでしょう。しかし、そうなることを恐れて、人間を切り捨てていくことと、どちら正しい道なのか』
伸一の言葉には、強い確信が脈打っていた。
『つまり、社会が見捨てた人をも、真心で包み、共に幸福の道を目指してきた最も尊い教団が、わが創価学会であります。心ある指導者ならば、学会の在り方を見て、称賛するのが本来の姿です。
たとえば、社会的な地位が高く、財力があり、身体も健康である等、様々な条件を設けて、学会が入会を制限していれば、“貧乏人と病人の団体”などと言われることもなかったでしょうし、問題はほとんど起きなかったでしょう。
しかし、それでは、苦悩に泣く民衆を救うという、宗教の、なかんずく、仏法の精神を捨てることになってしまいます』
◇100p~102p