暴き続けるドルバッキー
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皇室典範改正(悪)について

戦後日本の典型的な例でしょうか。
御皇室が政治問題として様々な形で議論されるようになりました。

問題点は多いですが、私はこのように考えます。
国民の象徴であるという現憲法下においても、御皇室の伝統である皇統の継承方法を変えることは、
国民の象徴が伝統を放棄することになり、最終的には日本が伝統を放棄したと見なされると。

伝統なしに国家はありえません。ましてや、日本には連綿と何千年にも及ぶ歴史があるのです。
私は覚えるのが苦手だったため、歴史の授業はあまり好きではなかったのですが、
気が遠くなるほどの沢山の歴史、それも偉人の偉大なる功績を持つ国に生まれたことは
とてもありがたいことだと、最近つくづく思います。
日本人は身近な恩恵には気づかないと言われます。水と安全に加えて、歴史までもただだと思っている。
しかし、このどれもが、周辺諸国や地球全体の現在ある国家にとって、のどから手が出るほどほしい物だと言うことを、私たちは再認識しなければなりません。

御皇室のお話に戻りましょう。
皇統の継承方法、と言いますと、私たち一般国民にはいまいち感覚がつかみにくいので、
このような例えは失礼にあたるかもしれませんが、「節分」に例えて考えてみたいと思います。

2月3日、節分になると、私たちは普通大豆を撒きますね。
幼稚園の行事などでは鬼の面をつけた先生に豆を投げ、部屋の中にも厄払いとして豆をまきます。
「鬼はー外」
「福はー内」
日本に住む人間なら、誰しもが知っている習慣です。

この大豆を今年から小豆に変えよう、と言っているのが、小泉首相はじめ有識者会議・左翼思想の人たちです。

彼らの言い分はこうです。
「今年は今まで買っていた店に大豆がおいていない」
「大豆だけ撒くのは小豆に対する差別だ」
「何故大豆を撒く必要があるのか。小豆だって良いじゃないか。」
「小豆でダメだと言うことはないはずだ。小豆も大豆も撒けばいいじゃないか。」
「我々は一年間も議論したんだ。小豆にしよう。」

さて、あなたはどうしますか。
「そんなの節分じゃない」
と思いませんか?

まさにその通りなのです。節分じゃない、すなわち御皇室ではなくなってしまうのです。
このことは、女系・女帝推進論者(あえてここでは容認ではなく推進と書きます。彼らの姿勢はそこまで必死なのです)が
皇室廃止論者のメンツと被っていることからもわかります。
御皇室ではなくすことが、女帝・女系容認の最終目的です。

私は「二千数百年に及ぶ皇室の歴史」や「世界的に見た皇室の尊さ」といった
極めて現代的、即物的な男系護持派論は好みません。
これでは向こうの土俵に引きずり込まれてしまっているからです。
現代の価値観で古くから連綿と続いてきた御皇室を論ぜるほど、今の日本人は賢くないと思うのです。
勿論私も含めてですが、戦後教育により私たちは「日本に疎い日本人」という、極めてへんてこな、矛盾した生き物になってしまったので
ある意味仕方がないことなのかもしれませんが、それでも上記のような論理展開は
「古い価値観」というレッテルを貼られたり、「外部からの目でしか御皇室を語れない」という男系派の歯がゆいジレンマを感じさせ
論として弱いと思うのです。
古いから、長いから、女系ではダメなのでしょうか。
世界的に見て御皇室が一番尊いから、女系ではダメなのでしょうか。
これは、男系護持派の私から見ても、「男系ありき」の論に見えて、あまり説得力を感じないのです。
それよりも、「御皇室が御皇室ではなくなってしまう」という一点に絞って反対をした方が、
御皇室から制度的な要素を排除出来る第一歩になるのではないでしょうか。
彼ら女系容認派は「皇室など不要」と腹の底では思っているはずです。何人かは「男女平等狂」かもしれません。
だからこそ、男系護持派は「御皇室が必要であること」を日本人の視点から述べられなければいけないと思います。
しかし、そこまで論を構築する時間はなさそうです。
「御皇室を御皇室でなくしてしまうので」女系に反対する。
御皇室そのものを歪曲させようとしている女系容認派の腹の内を暴き、価値や地位と言った即物的な議論を避け、
女系容認派の革命的な目的を阻むのが、男系護持派の務めではないでしょうか。

現代の一般の日本人は今までの歴史の中でもおそらく最もリベラルです。
フェミニストが「男女平等」と叫びながら、実際やっていることは「女性の特権確保」だということも、
大半の日本人はあまり考えずに見逃してしまっているでしょう。
また、有識者会議のメンバーに対して、いわゆる右翼が全く反応していないことから、
実効的に動く右翼は今の日本にはいないのではないかと思います。
保守的な方は沢山おられますし、自民党も本来保守政党なのですから、
自民党内から猛反発があるというのはある意味当たり前の話なのですが、
これは保守以前に国体として日本をどうしていくかというところまで繋がっている問題だといえます。

ある意味この皇室典範改正、すなわち女系女帝容認案が提出されようとしているという事件を好機とみなし、
戦後途切れていた「日本人としての教育」を再生させるところから見直すべきではないでしょうか。

初めましてのご挨拶。

初めまして。
HN:香奈と申します。

多くの日本人が感じているように、日本は今大変換を遂げようとしています。
戦後六十年を過ぎ、先の大戦がどのような意味をなしたのか、日本は今何をすべきなのかを
戦争・戦争直後を知らない世代が考えなければいけなくなったからです。

問題は山積みです。
近い将来に解決しなければならないことは、拉致被害者及び特定失踪者の消息・安否確認と返還要求、
そのための北朝鮮に対する経済制裁の発動でしょうか。
官から民へのかけ声と共に進められてきた「民営化」への歯止めも、
姉歯元建築士にまつわる一連の事件で、考慮されうる問題として浮上してきたと思います。
その他在日利権の撤廃、フェミニストへの牽制、同和利権・人権利権の撤廃、歴史認識の再考、
教育改革など、今世紀中に片づけるのは至難の業でしょう。

しかし、いつの時代にも忘れてはならないことは、「次の世代」を意識することだと思います。
政治も、商売も、どの分野だって、最終的には「次の世代」へ今の恩恵を繋げることを目的としています。
最近「今」の利益を優先し、他のことは考えないというスタンスを持った会社が増えていますが、
それでは会社である意味がないのです。
便利でインスタントで後腐れのない世界、それは、私たちが受け継いできた恩恵とは異なるのではないでしょうか。

文化とも呼べるその恩恵を大切にし、難しい今を未来へ繋げていくために、
私の意見が少しでも参考になれば幸いです。