パパはドレッド
今日は「生きる」ということと「稼ぐ」について話す。
タンザニアでは殆ど原始的な生活をして生き延び、どんな環境でも生きれると思った。
日が昇ったら起きて、海で魚を獲り、海でからだを洗い、日が沈んだらテントで寝る。
1日1ドル以下の生活らしい、それはWHOに規定によると貧困なのだという。ただそれしかコストがからないという言うだけなのに。
もちろんその生活にたどり着く前や裏側では、お金もエネルギーもたっぷり使われてはいるのだが。
今僕は、色々なものが発展したこの国「日本」の現代社会に合わせて暮らし始めた。
以前の僕は夜はテントで寝て、湯たんぽ2個のお湯もロケットストーブで沸かしていた。
そして昼間はぬくぬくと両親の家で過ごしていた。もちろん両親の生活や仕事の手伝いをして自分の存在価値を持ってはいたものの、特に働きに行くわけでもなく、いつになるかわからない自分の好きなことを仕事に結びつける為に日々好きなことをして、たまに何でも屋になって誰かの手伝いをしに行っていた。
本当にいろんな人の支えがあってここまできた。最近になって教育にも沢山エネルギーを注いでもらっていたことに氣がついた。おじいちゃんが教育費を援助してくれていたおかげで、語学留学や予備校なんかも行けてたわけだ。その頃の僕にとって勉強はある意味勉強に集中さえしておけばよかったのでプレッシャーなどなかったのが幸いだ。
勉強を沢山してこなかったとはいえ、培っているものは多くの国と比べれば、高いレベルだろうし、何より物心というのか、色々なことに氣付いてしまう能力、外国の情報を仕入れられる量が半端ではない。
しかしそれが現代、人を悩ます種になっているのも事実だが、何が言いたいかというと、ここまで養われてきた自分の能力を存分に発揮して生きていこうということだ。
この間母が言ってくれたセリフはこうだ「あなたに後必要なのは経済力ね」
そう経済力以外は沢山持っている、自分で言うのもなんだが人望や表現力、適応能力にサバイバル能力、運動神経に精神力もある。
それを活かしてここまで生きれてしまった僕に、それまでお金を稼がないといけないと言う発想はなかった。
言い訳に聞こえたらそれは間違いだが、前まで「無駄に稼がない」と言う格言を持っていた。
と言うのもあまりお金を使わない生活を(もちろん裏でかかっているものは沢山あるのだが)してきたのだ。
服も長持ちするし、直したりリメイクが好きで、買うのは靴下くらいだった。最近ふんどしも作り始めたので、どうやらこの先も服は大丈夫そうだ。
食べ物はもちろん親のすね肉もあるが、山梨に来てからは所属する農業コミュニティで毎年60キロの無肥料無農薬米がもらえるし、野菜ももらえる。それに加え春には山菜、夏もちょろちょろ食べれるものが採れ、秋もキノコがある。
水は最近湧き水を汲んできている。
家は親の家とテントだった。
いつもロケットストーブで自分の玄米を炊き、冬は湯たんぽのお湯も沸かす、燃料は庭に沢山落ちている。
昔からお小遣いももらえる家ではなかったので、もちろんこっそり手に入れたお金を使いに行くことはあったが、コンビニやスーパーでお菓子やジュースを買う習慣もなかったので、結局大きくなっても行くことはなかった。
逆に言わせて貰えば、現代人はお菓子やジュースにお金を浪費していると言えた。たかが一回数百円も一年ではすごい額だ。でもそこに使うがあると使ってしまうのだ。
もちろん稼いでるからこそ使う権利があると言えばあるが、究極のところエネルギーは消費されているのだ。
だから僕は僕自身エコだと思っていた。
でもそれを目指していたわけではなかったんだ、ただそうだったと言うだけで、臨時収入があれば使ったし、あるのに越したことはない。
そしてようやく自分でも稼げるようになってきていたのは山梨に移り住み始めた時だった。オリジナルのお香を販売し始めたのだ。今まで作品を作っても見せるだけの一点物だったのが量産できる物になり、そしていろんな人の手に渡るようになったんだ。
デザインていうのはそういう利点がある。大量すぎる生産の実態は嫌気がさすものの、お香のパックが100セットも並ぶとなんとも言えない嬉しい気持ちになる。
そして展示販売もしたし、どこか遠くに行くにしてもそれを背負って行き、現地で売り捌いて滞在を稼いだ。
そうお香は僕の貨幣だった。どこかのお店に置いてもらうこともあって、たまに委託代金が支払われると預金が増えたような気分だ。
だからお店(オンラインストア)も始めた。今までは細々やってきたが、そろそろ軌道に乗り始める時だ。
しかし彼女ができて、妊娠までわかると流石に外に働きに行かねばと働きにもいった。でも心の中はそれは一時的なものであって、すぐに自分のやることで稼いでやるぜという気持ちだった。
無事子供も産まれて、家を借りてついに三人の生活を始めると、僕の中に「安定」という言葉が浮かび上がった。
そうなんだ、安定という氣持ちがないと生活はしにくいのだ、来年の誕生日までは、まず働きにも行こうと決めた。それは家族のためだ。
と思っていたが、なんとそれは自分のためでもあったということが数日前にわかった。
というのもそこまでの僕は自分のやってきたことを、ここで完成させてお金と結びつけるつもりで頭を捻らせていた。
しかしそれでは自分が本当は成し遂げたいレベルに持っていけなかったように思える。逆にここで自分に猶予を持たせ、空いた時間でゆっくり熟成させればきっと良い物になる。
またここで外に働きに行くのは、社会勉強になる。実は社会人になった覚えもなく、半端な社会力しか持ち合わせていない。社交力はあると思うが。
そんなこんなで自分も納得する形で働きに行けるのが嬉しい。よく考えたら、自分の稼ぎと外の稼ぎを合わせたら収入が増えるじゃないか!という単純な発見。そしたら今よりもっと楽しくなる。
色々なことを経験してみて大人になっていくんだな~
今まで家族友人知人の皆様ありがとうございました。そしていろいろすいませんでした。
これからもよろしくお願いします。