折りたたまれた記憶 | jamlog"

折りたたまれた記憶

ご無沙汰です(^^;;
私もnicoも元気です(*^_^*)

気が付けばとっくに新年も明けてしまって、もうじき長い冬が終わり春が来そうですね。

断乳以来記事が止まってしまってましたが、nicoもすっかり大きくなって、
心の成長も著しく、日々戸惑いながら娘の自我と格闘しています;;

早くも反抗期?!なnicoちゃん。。。
悪魔のシッポと角が私には見えます(ーー;)

いよいよ育児らしくなってきた!!って感じです。
毎日「コラー!!」と追っかけ回してます(^^;;

今日は久しぶりなのにnico様のことは置いておいて、ちょっと最近あった出来事を。



忘れていたわけではないけど。

思えば一人目の娘の死産からもう4年もたってしまっていた。

いつからか、命日の数を数えなくなっていた。

先日、何年かぶりに死産した産婦人科へ行きました。
ちょっと調子が悪く、いつも検診をしている総合病院へ行った方がいいんだろうけど、
予約なしではあまりに時間がかかるためプチ反抗期のnicoを連れて行くにはちょっときつかったので、そちらへ行くことにしました。

久しぶりの待合室。

一歩入った途端にあの時の記憶が蘇りました。
でも、全く辛くなかったです。むしろ、なんだか暖かい気持ちになったというか。
なんとも不思議な感じでした。

きっと、nicoがいたからでしょうね。

待合室を見渡すと、死産後の一週間健診の時に、一番隅っこの席でうつ向いて泣いているあの時の私の姿がふと見えた気がしました。

娘の手をひいてなんとなくそこへ座って、あの時と同じ光景を見たんです。

正面には、生まれたばかりの子を愛おしそうに抱くお母さんの姿。
大きなお腹をさすって、笑顔を見せる人の姿。

白黒だったそんな光景が「普通」に見えました。

お腹の大きな女性が、nicoを見て笑顔で手を振っている。
彼女にとって私たち親子はいたって普通の親子に映って見えていたはず。

過去にここで何があったかなんて、誰も知るハズがない。

実は、診察券をなくしてしまって、しかも保険証も旦那の職場も変わったり、住所も引っ越して違うのでもう過去のカルテはなく、年数もたっていることから新患扱いとなった。
クリニックの誰も私の経歴を遡って知ることはできなくなっていた。

私からもあえて話そうとは思いませんでした。

あれ程、自分が経験した辛く悲しかった出産、何より大切なたった一人の娘の存在を忘れられるのが嫌だったはずなのに。

私はあの時、「娘の死を泣けなくなる日が来るのがコワイ。」と思っていました。

なのに、今ここに座っていても涙は出ないし、あの日の記憶を見覚えのある看護師さんや先生に語ろうという気がさらさらない。

私は「天使ママ」だ。今も。

でも、きっともう同じ経験をして泣いてる人がもし隣にいたとしても、
「私もあなたと同じだよ。」って、言えない。

なんなんだろうこの気持ちはって思いました。

私は「天使ママ」じゃなくなっちゃたのかなー…

遊ぼと手を引っぱてくるnicoの顔を見て、
「ここでね、ねぇね(お姉ちゃん)は産まれたんだよ。」と言うと、
「ねーね?」と首を傾げるnico。

写真を毎日のように見ていて、私が「これはお姉ちゃんだよ」と教えていたので、nicoはあの写真に写ってる赤ちゃんの話をしているのはわかっていたと思います。

その日は、なんとなくいろんなモヤモヤを残したまま帰宅しました。

数日後。

症状が良くならないので、今度はnicoはばぁばに預けてクリニックへ行きました。

一人で待合室に入ると、やっぱりあの時と同じ席に座って、呼ばれるのを待ちました。

ふと正面に座っていた妊婦さんを見ると、本を読んで泣いてたんです。

よく見ると、ここのクリニックの先生の著書でした。
タイトルから流産や死産のことが書かれた本だということがわかりました。

しばらくすると、妊婦さんは呼ばれて診察室へ入って行き、本はケースに戻されました。

「そのての本」は、自分が流産死産を経験してから読もうとは思ってなかったのですが、今の私なら大丈夫かも。
そう思い、手にとってページを開いてみました。

内容は先生の経験した流産や死産の話や、死んでいく魂の話。
ここの先生はちょっと有名な先生で、「胎内記憶」の研究の第一人者なんです。
そんなちょっとオカルトチックと言っては失礼ですが、スピリチュアルな考えをお持ちの人で、死んでいく魂のことなんかもいろんなお考えがあるようです。

何気なくページをめくっていくと、「出産予定日数日前に死産となった例」(正しくは違うかも)みたいなタイトルがあって、
「あ、私と同じ」
と思い目を引きました。

「数年前こんなことがありました。」
から始まってずっと読んでたら、涙がボロボロ出て来るんです。

お姉ちゃんの安らかな顔が突然頭に浮かんで、診察室から泣きながら出てきて、2階の病室へ肩を看護師さんに抱えられながら上がっていく自分の姿が見えた気がしました。

その本の内容は、




私のことだったんです。




そっと本を閉じると、表紙はヨレていて、ボロボロでした。

きっと沢山の人が読んでくれてるんしょう。


なーんだ。
私も忘れてないし、先生も忘れてないし、沢山の人がお姉ちゃんのことを知ってくれてるんだって思ったら、嬉しくて、涙がとまらなかったです。

そっか。
色んなことが「普通」に感じられるようになったことは、別に天使ママとして恥じでも罪でもない。
周りから「普通」のお母さんと思われることに嫌悪感を抱くこともない。

自分が天使ママだってだけで、なにか「特別」だなんておこがましいことを思っていただけだった。

今「幸せ」ならそれでいいじゃないか。
もう、nicoとお姉ちゃんの「お母さん」なんだ私は。
それだけのこと。

お姉ちゃんが
「もういいじゃん。」
って、あきれ顔で笑った気がした。

私もそろそろお姉ちゃんの気持ちを自由にしてあげる時が来たのかな。

いつだって優しかったヒメカ。

お空へ帰る時も私の身体になに一つ負担をかけずに帰って行った。
そして、とんでもなくいい子を私のもとへ誘ってくれた。

私はnicoを宿した時、この子はヒメカじゃないって思った。

ヒメカは人として産まれる道を選んでない気がするのです。
だから、これから先再び妊娠することがあったとしても、きっとヒメカはもう私のもとには来ないでしょう。

寂しいけど、でもそうすることによって、私の大切な人たちをみんな守ってくれてるような、そんな気がするんです。

だから、天使ママである前に、nicoのたった一人の母親として、誠意一杯nicoを愛してあげてって言われたみたいで、心の中で何度も「ありがとう」を言いました。

うちに帰ってnicoに、
「今度ねぇねのお家(お墓)に行こっか。」というと、
「ねーねんちー、っくー(行くー)。」
と言ってくれました。


4年という時間が、長かったかというと、とっても短かった。
こんな短いうちに立ち直るなんて薄情な天使ママと思われるかもしれない。

でも、もう私は「天使ママ」だけど、「天使ママ」じゃないんじゃないかと思うんです。

私は今でもヒメカを愛してます。

でもヒメカはもう「亡くなった娘」ではないんです。私の唯一の神様をも越える存在。


いつも心の中にそっといる「存在」。

心を優しくしてくれる「存在」なんです 。


だから、本に書いてあったことも、私が経験したことも、そっと大事に折りたたんで心の奥にしまおうと思います。

忘れるのではないです。

たださらに前へ進むだけです。