もうこんな時間なんですね
![]()
バイトがOFFなので、普段、なかなか時間がなくてしたいのだけど、時間の関係上出来ない
。。という事をしたいのに・・いざ、休みとなると何をしていいのかわからない
やりたい事リスト
を作らねば![]()
ところで、、
今朝~TVで観てビックリ
島根行った日に、「受験生の皆、お疲れ様
」って感じだったのにね。。mixi
のニュースのチェック
に載せましたよぉ![]()
そして、今日は阪神淡路大震災から、ちょうど今日で17年・・。
TVで、あの忌まわしい震災で、家族や大切な人を失った悲しみから、喘息が悪化したり、アルコールに走ったりした時期もあった人が
、復興と同時に、乗り越えていく・・という番組を観ました
阪神淡路大震災
は、皆様のご存知通り、関西で起こりました。。
←関西地方の兵庫県の神戸ね。。
1994年1月17日の早朝・・ 皆、静かに寝ていた時間帯だと思います。。
都会で人口が多いという事もあり、多くの犠牲者を出してしまいました。。
当時、リンシャンはまだ3歳
・・ニュージーランド
のホームステイ先のマミーからも言われたけど「覚えているはずない
」って。。確かに、家族では私だけが覚えていません。。
その頃、リンシャンパパは、地元の消防署から、救急救命士の資格を取るため、学校に通っていたんですね
まだ、早朝のニュースでは、関西で大きな地震があったらしい!としか報道されていなかったので、パパが学校へ行くと・・・
学校のテレビに群がる人!人!人! おかしいと思って観てみると信じられない光景が目に広がったそうです・・
リンシャンの地元からも、何人も救助隊が駆けつけに行きました。 小学校の頃の担任の先生の同僚も、教師として行ったそうです。。
ちょうど、その時期、オウム真理教の地下鉄サリン事件があって
日本中が騒然としていたようです。。普段は観ないようにしているテレビもついつい、安全か、無事か、気になって見てしまっていたようです。。 そのおかげで、テストの点が一時期下がったそうですが。。![]()
そして、リンシャン19歳になり、大学1年次の春休み
に
ニュージーランド
の北島にある、経済・産業の大都市オークランドに留学に行きました
2月22日のお昼、南島の大都市クライストチャーチ大震災発生
当時、私のmixiの19歳の男の子で足を瓦礫に挟まれ、切断したニュースのチェック欄に、「私と同じ19歳が多い。。何でこんな悲しい事が起こるのだろう、どうしてこんな辛い事が起こるのだろう。。
」と記しています。。
それから、帰国も迫り、語学大学の終了式の日
。。忘れもしない出来事が起こりましたね。。
そうです。。東日本大震災が、東北
で起こりました
午後を過ぎた時間帯でしたね。。
そして、テレビを観ない家庭という事もあり、事実を知ったのは、その次の日のお昼・・
一人で歩いていたら、たまたま偶然、広島の大学の先輩と街で遭遇したんです!「東北で何やら、大きな地震があったんだって
」
リンシャンは、当時、付き合っていた彼氏と最後のニュージーランドでのお話を終え、お家に帰ると「リンシャン、今日はあなたにとても悪いニュースがあるのよ・・・」とクライストチャーチ同様、暗い表情で言われたのを覚えています・・![]()
その後、すぐにマミーとテレビを観ると・・・まるでCG画面のような津波の映像、観るのに、酷すぎる押し流される家屋、泣き叫ぶ人の声、・・・これが本当に日本なの
そう思い、「こんなの日本じゃない
私は信じない
こんな状況、信じられないよ
」と言っていました。。
3月13日、正午に無事に関西空港に帰国![]()
それからというもの、ブラザーからは、
「アイツ(リンシャン)は、地震をかいくぐって留学してきたようだ
」
おばあちゃんからは、
「ご先祖様に見守られとるんじゃね~っ
」
本当に、リンシャンもそう思います
自分がどれだけ、ラッキーであったか家族・友人、大切な人達が皆、無事であった事・・心から、神様に感謝したいです![]()
でも、リンシャンは、2011年にお花見を自粛しました。。理由はどうあれ、やっぱり自分だけが浮かれてはダメだと思う。。当時の彼(東北出身!北海道在住)からは、いや、むしろしろよ~っ!と言われたけどね。。まあ、する友達もいないんだけど。。
私は、「地震」という言葉にすごく敏感だと思います、、そして、自分をラッキーとは、素直に喜べるけど・・ちょっと何かが違う気がするんです
複雑な心境ですね・・![]()
なぜならば、テレビで、パパと同じ職業を持つ、被災地の女の子が震災発生後に救助に向かった父親が、瓦礫の下敷きになり、そのまま亡くなったと卒業式で、読んでいたからです。。
リンシャンのパパも本来で、あれば行く予定でした。。リンシャンママもリンシャンもずいぶんと止めたけど、振り切ってちゃくちゃくと防寒対策
や、マスク
等の準備をしていました・・
ですが、部隊があり、いざ!パパの番!!という時に、元々、お金のない地元の市役所から、退去命令が出てしまい東北で救助する事は叶いませんでした。。(阪神淡路大震災の時は、学生だったから行けれなかった
) リンシャンママとリンシャンからしたらホッ
としましたが、本人は、おそらく最後の大震災救助だろうと張り切っていたので、腑に落ちない感じでしたね。。
夏休みにボラバイトという、ボランティアをしながらバイトもするグループや、ボランティアツアーに参加しようと思いましたが、夏休みこそ、かなり大変
で叶いませんでした。。いつか東北で、皆さんを笑顔に出来る日が来ればいいなあ・・![]()
