ずっと前の記事(1月頃)に少し触れましたが。
覚えてる人はいるのかわかりませんが…

飼っていた猫(15)が、4月、急に天国に。

本当に、朝、いきなりです。
なんの予兆もなく。
桜が散っていて、とてもキレイにほわ~と晴れていました。

ちょっとまぁ、今まで公にはいろいろできなかったもので、
一応、ご報告まで。


聞いた時は、頭がかち割れそうになって、
「無理」「もうダメだ」「どうしたらいい」
のみの単語しか浮かばず、頭を抱えてずっと首を降るのみ。
とにかく涙は止まらないし、力も全然出ない。

でもまぁ、49日経つと、少し心が落ち着くって本当にあるものですね。
毎日手をあわせていると、少しずつ受け入れられてくるというか。
あと、その時は展示などもあったり、それで紛れられたのもあったのかな。

15年、私が東京に来て実家から一緒に連れてきて、かわいがっていました。
とは言っても、世話してる割に、あまり好かれてはなかったのですがね(笑)

猫のいない東京は初めてです。

いつか、猫カフェにも行こうかな…とか思ったりもしたり。
ノラちゃんのいる保護猫カフェというものもあるみたいですね。

まだしばらくは飼いませんが、やはり猫パワーはほしい…(笑)
でも、うちの子じゃないなーとかを感じそうで、少し複雑。

猫でも、一応姿形だけじゃなくて、性格とかあるのですよ。
仕草とかも、お決まりの行動、好みとかも。
名前呼んだらきちんと分かりますし、人の判別もあるし、ちゃんと学習もしますよ~

まぁ、性格とかがわかってきたのは、10年近く経ってからなのかな。
その頃に、やっとこの子が家族なんだな、と思うようになりました。
自分に、「愛情を持つ」という感覚を教えてくれたな、と思います。
もちろんずっと可愛がってはいましたが、
それまではあくまでも「ペット感覚」だったかなと思います。
そうやって気がついてから、これからもっと仲良くしていきたい、と思っていましたが。

急だったので、まだどこかにいそうな感覚がします。
最期のお別れの時(火葬)は、眠っている時に撫でるのと同じ感じで、
家を出る時にいつもしてた、「またね」といった感覚でした。

でもどこかにいる、そう思うことで、
少し心を落ち着けられてるっていうところはあるかもしれませんね。
それに、10歳過ぎてからは、存分に意識してかわいがってきたので、
その後悔もないのもあります。

ま、その分、ついに来たかという衝撃が大きくなっちゃうのかな。
またわしゃわしゃしたいな…触れたい。


それから、祖母は、入退院を繰り返し、ホームに入ることになりました。
ひどい認知症ではありませんが、やはり体調面がとても心配で、
急な対応が厳しくなってきました。
祖母も意識がハッキリしてるので、少し辛いかな、と思います。
ずっと働いていて、穏やかながらも少々そのプライドも持っていたし、
まだお年寄りには、ホームの印象が良くないみたいですので…
今後は、復帰もおそらくはないでしょう。

東京では、ずっと私は祖母の家で暮らしていました。
まぁ、私は住居を変え一人暮らしみたいなのもありましたが、
行ったり来たり、そこもひとつの拠点みたいなものでしたので。

母にやっと余裕ができ、
両親が今更ながら、二人の時間を過ごせるようになったようです。
両親共に、ずっとお互い祖父母の介護があったので。


今は私は引っ越しをして、家族と一緒に過ごしています。
東京に住んで10年以上経ちます。
10年というのは、そういう時間なのだな、と感じました。
最近、今までとはいろんなことの切り替えを感じます。
いやはや、きっと区切りなんですね。