2021年6月
お風呂でしこり発見。行ったことのない病院の乳腺外科で細胞診を受ける。2週間後、悪性と判断され地元の大病院に紹介される。
しこりの大きさ約3cm。リンパ節転移あり。

2021年7月
大病院にて針生検。2週間後、HER2陽性乳がんステージ2b と確定診断を受ける。
病院の手術が満杯な事と、化学療法がよく効くタイプとの事で、術前化学療法を勧められる。

2021年7月
喘息持ちのため、PETCTを受ける。閉所恐怖症のためものすごく怖かった。
その他心電図、心エコー、レントゲン検査をする。

2021年8月
遠隔転移がない事を確認し、術前化学療法開始!

【今後の予定】
AC療法4クール
1クール目(8月18日〜)
2クール目(9月8日〜)
3クール目(9月29日〜)
4クール目

ドセハーパー
1クール目
2クール目
3クール目
4クール目

手術

ハーパー



新聞のお悔やみの欄で、紹介元のドクターが亡くなった事を知った。



私は、市の乳がん検診は、地元のAクリニックに行っていた。


実は2年前の検診で、石灰化があるとの事でAクリニックからB病院に紹介状を書いてもらっていた。


B病院では、一年3ヶ月ほどフォローしてもらったけど、石灰化は変わらずだったので、診察終了となった。


その9ヶ月後の今年6月、シコリを見つけた。


今思えば、石灰化はもうガンだったのだけど、AクリニックでもB病院でも見つけられなかったんだ。


6月、シコリを見つけた私は、次の日、Aクリニックに行った。


そしたら、いつのまにか完全予約制になっていて、診察はできないと言われた。


B病院に電話したら、診察は一旦終了してるのて、町の医者に行って紹介状を書いてもらって、予約してから来てください、と言われた。



どちらにしても、診察するまでは、2週間以上かかる、と言われた。


すぐにでも診察してもらいたかった私は、自分で調べて、行った事ない病院を見つけた。


この町で、紹介状のいらない乳腺外科は、もうここしかなかったから。


古い、暗い病院。


こんなところにこんな病院があるなんて、知らなかった。


病院の玄関まで来ても、暗過ぎてやってるのかやってないのか分からないほど。


初診手続きして、待合室にいる間も患者は私1人。


すれ違った人と言えば3階にある入院部屋から降りてきた、おばあちゃん1人。


不安で、怖くて、なんで私はここにいるんだろうと泣きたくなった。


それでも、乳腺外科らしくマンモの機械もあるし、エコーもやってくれた。


先生は、口の悪いおじいちゃん。


AクリニックにもB病院にも断られた事を話すと、激怒していた。


自分で診た患者の後始末もできないのかと。


その後、紹介状制度に文句たらたら、長いこと愚痴ってた。


その後、自分がこの町に乳腺外科を1番最初に開業したんだと、自慢たらたら。


この辺のお医者さんは、みんな私が叩き直して育てたんだ、とか。


私は、そんな事はどうでもいいから、早く診断結果を言ってくれと、ウンザリしてた。


「エコーで見た感じは乳がんだけど、うちでは手術やってないから。大病院に紹介するには細胞診やってからになるから」


と言われて、細胞診を受けた。


乳がんだと分かっているなら細胞診要らないんじゃない?早く紹介状書いて欲しい。


と思ってた。


実際、細胞診の結果が出るまで3週間近くかかり、紹介状書いてもらって、大病院で診察になるまで、さらに2週間かかっている。


この5週間は、私にとって地獄の時間だった。



この、暗い病院に行ったのは、全部で2回。


初診時と、細胞診の結果を聞きに行った時。


2回目、先生は、


「乳がんだけど、大丈夫、治るから。今は乳がんじゃ死なないから。ちゃんと治療受ければ80、90まで生きるから。これを機に痩せたらいいよ。痩せるつもりで抗がん剤やったらいい」


「大病院のあいつ(私の主治医)に頼むから。あいつは私の教え子だから信用できるから。腕はいいから安心して」


「10年後、治ったらまた来い」


と言った。



私は、


「2度と来ねーよ。てか、治ったら来る必要ないでしょ」


「痩せろって何?抗がん剤受けて痩せろって意味わからん」


と思った。


失礼なジジイだと思ったし、たかが細胞診しただけでサブタイプも分からないのに治る治ると連発するのも信じられなかった。


ちょいちょい入る自慢話も、ウンザリだった。


2度とこの病院に来る事はない。


たとえ乳がん以外の病気にかかったとしても。



あれから、約5ヶ月。


あんなに元気で、自慢好きなあの先生がお悔やみ欄に載ってた。



あの時は、不安で恐怖で、自慢してくるあのチャラい感じが本当に嫌だったんだけど。


今、治療が進んでみると。


この先生ほど「大丈夫大丈夫」と言ってくれた先生は他にいない。


ステージ2くらいだけど、大丈夫。


大したことない。


80、90まで生きるから。


あんなに嫌だと思った先生なのに、その言葉が、今の私のメンタルを支えている。



良い先生だったのかもしれないな。


お悔やみ申し上げます。


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