坂本龍馬という人物の偉大さに触れようか | ジャミラ!  

坂本龍馬という人物の偉大さに触れようか




誕生日おめでとう。


ということで今回は軽く重く龍馬特集いってみますタイムスキップ~


1835年(天保6年) 11月15日、郷士・坂本長兵衛(のちの八平直足)の次男として高知城下本丁筋1丁目(高知市上町)に生まれる。

背中に毛が生えとったんね。馬のたてがみみたいやちゅうことで龍馬と。因みにわしもお腰におけ毛生えております。龍馬の素質充分ということで。ぁだまれ?すいませんすいません。ちなみの因みに腰に毛が生えとる人はヘルニア率が高いそうで。高校ん時ちょいヘルになりましたわし。ぁどうでもいいて?すいませんすいません。


1846年(弘化3年) 龍馬12歳。母・幸病没。龍馬は漢学の小高坂村楠山塾に入門するが、間もなく退塾。

ちっちゃい頃は泣き虫で頭も悪くいじめられっ子で、まわりからこの子は将来どうしようもない奴になるやろなと言われておりました。しかし優しい母の死を期に心身共に強くなっていくのです。母強し。ツヨシ。ツヨシしっかりしなさい。因みにあのアニメのツヨシ役の声はすぽるとでナレーションしている人と同一人物ですね。ぁうざい?しね?すいませんすいません。


1853年(嘉永6年) 龍馬19歳。「小栗流和兵法事目録」を授けられ、江戸に出て北辰一刀流・千葉定吉道場に入門する。

もうこの時はばりくそツヨシ。強かったわけですね。でこの千葉定吉の娘・さな子は龍馬を本当に好いとったらしく、自ら嫁にしてくださいとプロポーズ。すると龍馬は自分の紋服の左袖をべりべりと引きちぎり、「わしは何ももっておらぬ。これを貰うてくれ」とさな子にさしだして「志士ハ溝壑(こうがく)二在ルヲ忘レズ、でありますかな。いつ、この世から消えるかもしれぬ。その時の記念でござる」と。これを聞いたさな子は龍馬がOKしてくれたと思って生涯独身で過ごしたんやと。ずうっと龍馬を慕ってこの時もらった左袖を肌身離さずもっとったん。一途やなあ。龍馬19歳で千葉道場へ。因みにわしは18歳で千葉県へ。ここでも龍馬の素質を遺憾なく発揮してますね。ぁ鉄パイプ?ぇ金属バット?勘弁してください黙りますから。


1858年(安政5年) 龍馬24歳。千葉定吉より「北辰一刀流長刀兵法目録」を授かり、江戸から帰国。

北辰一刀流ちゅうたら剣先をプルプルふるわせて「ぷぷぷーあいつびびって奮えてやんの」とみせかけて実はしっかり敵を見据えている斬新なスタイルですね。確か。あー僕も僕もーえんぴつとか使いよったら時々プルプルなるよーもうやだなー知らず知らずのうちに北辰一刀流を身につけてたなんてぇ?シャ?ぇ?シャブ中と違うかって?ちちちち、違うにきまってるじゃないかなんてこというんだよ!


1861年(文久元年) 龍馬27歳。武市半平太(瑞山)の結成した「土佐勤王党」に血盟。

武市さんとは親戚で幼なじみやったね。武市さんは小さい頃から勉強も剣術も達者な御方やったね。けど今じゃ龍馬の方が上さ。でも龍馬は武市さんに勝とうとはしません。優しいなあ先輩を立てるという。あーあーちーなーみーにぃ、わし中学ん時剣道してました。え?お前は有段者かって?ユウダンシャ?何それ出版社かなにか?・・・・・・・・・・・・・すいません一年間でやめました。だってな顧問の先生の面打ったらなんでか正露丸のにおいするんやもん・・・


1862年(文久2年) 龍馬28歳。武市と意見が合わず、土佐勤王党と別れ、3月24日に同志・沢村惣之丞(関雄之助)と携えて土佐国を脱藩。長州下関から九州を経て、閏8月江戸の千葉家に入る。

脱藩・・・。脱藩=家族と今生の別れ、おまけに見つかったら死やで。どんだけの思いで出たんやろなぁ。確かこんときお栄姉さんが龍馬脱藩がばれんために自害したんよな。で遺体もばれんように乙女姉さんらが自宅に埋めた。皆龍馬を信じとったんやろなあこいつはでっかいことしてくれるて。龍馬もでかいけど家族もでっかい。因みにわしは指の第二関節でっかいよ。おかげで指輪の類のアクセサリーは入った試しがありません。あーまたしても龍馬の素質!ぁええ加減にせえ?埋めるぞ?許してくださいすいませんすいません。


1863年(文久3年) 龍馬29歳。勝海舟の尽力で脱藩の罪が許される。 10月、海軍塾の塾頭となる。土佐藩の帰国命令を拒否し、再び脱藩の身となる。

一度ならず二度までも!!普通の人間なら一度奇跡的に脱藩の罪が許されたら命ありがたやと思って大人しくするよなあ。やっぱ龍馬は違うのう。けどね俺もね小学生ん時スズメバチに刺されて死にかけたんやけどね見事復活してねそしたら一年後ぐらいにおとんに轢かれました車で。といっても足の甲ぐにゃってゆっくり踏まれただけなんですけれども、一歩間違えば死んでましたよね。はい一度ならず二度までも。俺ってつくづく龍m・・・だまりますそろそろ。


1864年(元治元年) 龍馬30歳。池田屋騒動、禁門の変で多くの同志を失う。 勝海舟の使者として西郷隆盛に会う。

元治のジャニーズこと新撰組の活躍ですね。ぁそんなこと誰も言ったことない?失敬失敬。ついにでた西郷どん!桃鉄では神のように有り難い存在!お金じゃらじゃら~物件ばんばか~さすが太っ腹でごわすとか言ってる場合じゃないよねこの運命的な出会いが後の日本の運命をも動かすことになるんですもんな。


1865年(慶応元年) 龍馬31歳。閏5月ごろ薩摩藩の援助で長崎に「亀山社中」を設立、通商航海業を営み、そのかたわら薩長和解に尽力。

こんな鎖国時代に通商航海業に手ぇだすとこがもうとてつもなくグローバル。けどしっかり国内のことにも目ぇむけて、むっちゃ仲悪かった薩摩と長州に仲直りしなさいゆうて説得しよんね。すごいわ。はい断言しますわしに龍馬の素質などございませんこんなでっかいことばっかできんちや・・・


1866年(慶応2年) 龍馬32歳。1月21日、「薩長同盟」成立。 1月23日、伏見寺田屋で遭難、寺田屋の養女お龍の注進で脱出。これをきっかけにお龍と結婚、西郷らの計らいで薩摩へ新婚旅行。

龍馬1おりょう1
龍馬               おりょう

ついに薩長同盟成立!幕府びびーる。そんぐらい強力なタッグ。そしてそしておりょうと結婚!有名な話ではございますがこの龍馬とおりょうの薩摩旅行(九州霧島の温泉)が日本で初めての「新婚旅行」ですな。ちぅことは龍馬がおらんかったら日本に新婚旅行ていう行事はなかったかもしれんのやで?てことはてことは新婚旅行ビジネスで生計をたてとる会社の人とかは今ごろ飯食えてないってことやで?まなけりゃ無いで別の仕事するやろけど。そんぐらいすーごーいってKOTO!女性と手をつないで堂々と街を歩くのも龍馬以外にはおらんかったらしいやん。かっこええ・・・


1867年(慶応3年) 龍馬33歳。4月、亀山社中は「海援隊」と名前を変え、龍馬が隊長となる。 後藤象二郎と会い脱藩の罪が許され、海援隊隊長を命じられる。中岡慎太郎が「陸援隊」隊長となる。
11月15日、京都近江屋・井口新助方2階で、夜5ツ半(午後9時過ぎ)、数人の刺客に襲撃されて闘死。同席の中岡慎太郎も遭難、17日絶命。供の藤吉も16日絶命。12月2日、下関にいたお龍に龍馬の死が知らされる。


海援隊ちゅうたら金八先生の武田鉄っつぁん思い浮かべる人も多いでしょうに。そう、金八先生は龍馬のこと大好きで大好きでマンガまで出しちゃうくらい大好きで、ついでにドラマの中にも龍馬エッセンスをふんだんに盛り込んでます。まず金八の名字が「坂本」やろ。んで娘の名前が「乙女」。乙女っちゅうのは龍馬の一番年の近い姉ちゃんの名前で、男勝りな大女。けど一番龍馬を信じて応援してくれた温かい姉ちゃんのことでして。で。で・・・11月15日。33歳の誕生日に暗殺された。みんなで酒のんで誕生日おめでとうとか言いながら楽しく過ごしよったんかなあ。そんな最中に。まだまだ龍馬には生きといてほしかったなあ。生きとったら今の日本もだいぶちがっとるやろなあ。

この日からちょうど138年。今の日本をみて龍馬はどう思っとんやろ。いかんぜよ!ゆーていよるで絶対。こんなんじゃいかんぜよ!ぁれ、無意識のうちにいかんぜよとか言ってました僕も。も、もしや僕・・・・龍馬の生まれ変わり!?ぁ本気でしんでくれって?ぇ散れ?ち、散れってひひどいこと言うなあ君そんなことゆーなよ俺達仲間じゃないかぇ?ぁ、そうですか。すいませんすいません。


てことで長々と意味不明にお送りしました龍馬スペシャル。歴史上の人物で誰が好きですかときかれるとおそらくコンマ8秒ぐらいの間隔でついでに質問してきた相手にキクちゃんつぶし(目つぶし)くらわしながら「龍馬です!」と答えるほどの好きっぷり。けど実は歴史ってあまり得意分野ではないのでおそらくこの記事の中にも間違っている点、多々あるかと思われます。指摘ポインツ発見されましたらばごりごりっと教えてくださいませ。ということで今日一日は138年前を想って過ごしてみますかしこ。


------------おまけ------------


武田 鉄矢, 小山 ゆう
お~い!竜馬 (第1巻)

これが例の金八先生原作のマンガ。一番わかりやすくておもろい竜馬本。


おりょう2
おりょう。凛としてかっこええな。

乙女姉さん
乙女姉さん。そこらへんの男より男らしかったそうな。

おりょう3
晩年のおりょう

龍馬が暗殺されたとき、お龍は豪商の伊藤助太夫のもとにいたため、助かった。龍馬の死を深く悲しんだという。その後、龍馬の姉・坂本乙女に引き取られて面倒を見られたが馴染めず、間もなくそこを去って各地を放浪した。その後商人の西村松兵衛と再婚し、1906年(明治39年)11月15日、横須賀にて66歳で死去。


うわ。龍馬の誕生日に死んどる・・・・単なる偶然やろか。