母、祖母の三人家族。三人のバランスがとても絶妙で、大好きな家族。
父親役の母、母親役の祖母といった具合だ。祖母には幼い頃からどんな些細な事も相談してきた。心を丸裸の状態でさらけ出しても、いつも私を理解し、信頼し、心から応援してくれる、絶対的な安心感がそこにはあった。
私が東京で暮らすようになってからも、声が聞きたくなるといつも祖母と2時間ほどの長電話。話す内容は、日常の報告からはじまり、料理レシピや事ある場面での心の持ち様のアドバイスや、所作など幾ら話しても尽きる事がない。
盆暮れ正月・GW・お彼岸などは必ず実家に帰り、祖母とともに’ずんだもち’を作ったり’ちまき’を結わいたり、母の主導で家族定番の’松島’へドライブに出かけたりと、季節行事を大事にする家族だった。
4年半前に母が突然脳梗塞で倒れ、後遺症で会話が出来なくなり障害を煩ってからは、祖母が私にとって唯一の何でも相談できる家族となっていた。
その祖母が、2年半前に他界した。震災の半年前のこと。
祖母の生前の希望から、他界する2ヶ月前に戒名を貰い、近所の墓地から実家から60キロも離れた、春には桜のトンネルが名所の土地にお墓をうつした。祖母の望むことは何でも叶えてあげよう、その一心だった。
しかしながら、その大切な場所に震災以来一度も訪れることが出来ていない。
原発から2キロほどの場所。
親戚からは、一周忌も出来なかったじゃないか、と叱責する声もある。その声が私に向くこともしばしば。
でも、祖母が望んだことを叶えたことに後悔はない。
当時は、会話ができる家族を無くした虚無感や孤独感を感じていることを自分で認識することすら意図的に避けていたけれど、
今は、突発的に虚無感や孤独感に苛まれることがあっても、それを認識することができる。
それが2年経った、ということなのかもしれない。
今日、あの時以来開くことを封印していた3年日記を手に取ってみた。
2年ぶりに、再開してみようと思う。


