
セルジュ・ゲンスブールとの一週間
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2,980円
真剣な表情でレコードを聞くアルディさん♡

この曲の誕生秘話については 多くの方々が書かれているので 何を今さら…ではあるのですが 最近アルディさん自身が2008年に出版された自伝『Le Désespoir des singes... et autres bagatelles サルの絶望』を読んでいて その中でこの曲について語られているエピソードから ちょっとご紹介☺️
1968年のある日。音楽プロデューサーに呼び出されたアルディさんはレコード製作の為にセレクトされた多くの楽曲を丸一日かけて聴いてました。でも なかなかピンとくるものがなくて…苦痛😭
ブティックに長居したて(買いたい服が見つからないのに)店員さんに申し訳くて
手ぶらで店を出られずにいる…そんな気持ちになり鬱になっていたアルディさん。
「アメリカのメロディを聴いたら 少し気分が晴れるメロディーのがあるかも?」と考えていくつか曲かけてもらいました。
そしてその中に「It Hurts to Say Goodbye」があったのです! 気に入ったアルディさんは家に持ち帰りたいとテープにコピーをしてもらいました。(当時はカセットテープの時代ではなかったからリールだと思います)
そして信頼するマネージャーのリオネル・ロック(Lionel Roc)氏に曲を聴いてもらい相談したところ
セルジュ・ゲンズブール氏に作詞を依頼しては?との提案。 アルディさんは"ゲンズブールはシンガーソングライターなので自分で作曲したメロディーにしか歌詞を書かないのでは?“と 提案に反対したそうなのですが…
「このメロディに詞をつけられるのは
フランス・ギャルやジュリエットグレコなどに面白い曲を提供していたゲンズブール氏しかいない!」と マネージャーの熱意ある主張を受け入れました。
そしてセルジュ・ゲンズブール氏の自宅に直接会いに行きこの曲の作詞を依頼する流れとなったのでした。
この時アルディさんがオフィスで聞いたのは⬇️このバージョン。
忘れられない印象的なイントロ。メランコリックな素晴らしい作品になるという閃きがあったのでしょうね☺️✨️✨️
「It harts say goodbye」 はアメリカ人の
※アーノルド・ゴーランド氏(Arnold Goland)とジャック・ゴールド氏(Jack Gold)の2人のコンビで作られた作品ですでにスローバラードの女性ボーカル曲として 英語圏ではヒットしていた作品でした。でもアルディさんが聴いたバージョンは歌詞無しのインストゥルメンタルでした。当時流行っていた高品質のラウンジミュージックとして作者のアーノルド・ゴーランド氏が自分のオーケストラで録音したアップテンポな明るいメロディ。
曲調も変わっているので 過去にヒットした経歴のある曲だとアルディさんは全く知らなかったそうです。
エックスex-を多用した言葉遊び♪
つい口真似したくなる 実際この言葉遊びは🇫🇷の若者の間で大流行し 翌69年の大ヒット曲になったのでした。
ex-amour(元恋人)ex-plication(説明)、
s’ex-poser(さらけ出す)pyrex(パイレックス火にも耐える心)、Kleenex(涙を隠すティッシュ)…
ヴォーグレコードからの独立をめざして
自分のレコード製作会社“アスパラガス“を立ち上げたばかりのアルディさんにとっても アイドル路線から脱却し 大人の歌手として認められる大きな一歩となりました。
ところでこの原曲の作者アーノルド・ゴーランド氏は ビートルズやビーチボーイズ
そして日本のJ-POPの大瀧詠一さんなどにも
影響を与えたフィル・スペクターの楽曲作りにアレンジャーとして参加し貢献した方なんだそうです。
「ウォール・オブ・サウンド」というフィル・スペクターの特徴である多重録音と同時演奏手法の作品を強力に支えられたとか。
音楽業界ってつながっているんですね☺️
この曲が日本版タイトル「さよならを教えて」としてリリースされたのは 4年後の1973年の事なんです。 ユーミンに影響を与えるなど日本ではなんとなく'70年代のイメージのある この曲 実は'60年代の曲なんですね!
なお 「さよならを教えて」この日本語タイトルを命名し この曲の魅力をさらに詩的に印象的づけてくださったのは当時レコード会社でアルディさんの担当をされていた音楽評論家でプロデューサーの立川直樹さんです。 立川さんと言えばゲンズブールとも交流があり…あ〜っまだまだ書きたい事があるので…近いうちにまた深掘りの続編を書きますね☺️
アルディさんが亡くなられて早くも2年が経ちましたが SNSではカヴァーやネットミームも数多く作られていて🇫🇷フレンチポップスの⭐️アイコン⭐️としてますます愛されていますね
