深掘りボブ・ディラン♡フランソワーズ・アルディ  | 僕らの日々 Tant de belles choses

深掘りボブ・ディラン♡フランソワーズ・アルディ 


 ボブ・ディランの若き日々を描いたという伝記映画 「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」ご覧になられましたか?
 私は見に行く予定でおりましたが 先月は 立て続けに高齢の家族と親しい友人の突然の訃報を受け…ショボーン気持ちに余裕がなくなり気がつけば地元での公開が終わって見れず…とても残念。
いずれ配信されたらいち早く見たいと思ってます。

さて この映画には 恐らく描かれていないと思うのですが…ボブ・ディランがフランソワーズアルディさんの大ファンであった事は ご存知の方も多いかと思います。

 本日のブログではアルディさんとボブ・ディランの1966年の2人の出会いをあらためて深掘りしてみたいと思います。

パリのオランピア劇場でのコンサートの1部が終了した時
ディランが「アルディが会いに来ないなら続きの第2部はやらない!」 とゴネました。そこで関係者が大慌てで 会場で観覧ていたアルディさんを楽屋連れて行った…???
 実はこの日 5/24はボブ・ディランの25才のお誕生日でした。 このコンサートのあと 宿泊するホテルで大規模なBirthdayPartyが催される予定だったのです。そこで ディラン氏は 自分から大好きなアルディさんにご招待をお伝えたい…という事だったようです。


1966/5/24 パリでのBirthdayParty㊗️
左隣りはジョニーアリディ氏

 さて この日から遡ること2年前の1964年発表されたディランの4作目のアルバム 「Another side of Bob Dylan」の裏面にアルディさんへ捧げる詩を掲載されている事はよく知られていました。
裏ジャケの⬇️この部分

フランソワーズ・アルディに捧げる/セーヌ川のほとり/ノートルダムの/大きな影が/僕の足を捕まえようとしている/ソルボンヌの学生たちが/幅の狭い自転車で駆け抜け …

以下略 原文⬇️


曲としてでなく あくまでも詩作品(poem)としてのDedicateです

 なぜディラン氏はこのアルバムにアルディさんへ捧げる詩を掲載したのでしょうか…? 

  ヴォーグの表紙を飾ってた美しいアルディさんにディランがひと目惚れした?説もありますが…

1963年のヴォーグの表紙を飾るアルディさん⬆️
 実はこの1964年ディラン氏は失恋の痛手にとても苦しんでいたようなんです。ディランの最愛の恋人
スージー・ロトロさん(スーズとも呼ばれてます)

Suze Rotolo&Dylan♡

 ボブ・ディランと同じ🇺🇸生まれだけど 生粋のイタリア系のcuteなスージー・ロトロとディランの出会いは ロトロ17歳 ディランは20歳 青春真っ只中でした✨️
 左派寄りの両親の影響で公民権運動など社会活動をしていたロトロはまだ無名だった当時のディランに多いに影響を与えたとか…2人は一緒に暮らすほど愛し合っていたのだけど ディランが歌手として急速に有名になり ロトロは 姉の家で暮らすようになりました。
 ところがロトロの姉は ディランとロトロの交際を良く思わず…問題が起き 更にディランは この頃 ジョー・バエズという女性シンガーソングライターとの同志のような関係から恋愛に発展していたとか…😮
 この事実はスージー・ロトロをとても傷つけ 「イタリアに留学に行く」とボブの元を去って行った…💔
 この失恋を元にした作品「Ballad in plain D」も このアルバム「Another side of Bob Dylan」に入っています。
ハートブレイクなディランが自分と同じ頃水星の如く有名になった🇫🇷シンガーソングライターフランソワーズアルディに(会った事ないまま)心惹かれたのはわかる気がしますウインク 以上は私の勝手な推測です。 
雑誌などに掲載されているアルディさんによると… 
その日 楽しみにしていたコンサートは期待したほど全然よくなかったそうです。 アコースティックギターのチューニングに問題があり…ディランも困っていて演奏Qualityが良くなく"残念なコンサート"だったそうでした。 そしてお呼びがかかった楽屋での面会では 自分はこの頃 まだあまり英語がよくわからず(アルディさんはドイツ語は堪能でしたが)ディランもフランス語がよくわからず だんだん気まずい雰囲気に…    
 確かに⬇️の楽屋での写真はなんだか2人ともつまらそうにも見えますね。 座っている箱が小さいからなのか無理やりの距離感を取らされての…パチリ📷️ 
アルディさんが手に持っているのはこの1966年のツアーパンフレットだと思われます。 実は このパンフレットにもアルディに捧げられた詩が掲載されていたというウワサもあります…(SNS書き込み情報なので真偽未確認です)
 コンサートの終了後アルディさんは宿泊ホテルのボブ・ディランのスイートルームのBirthdayPartyにジョニー・アリディなど他の招待されたフランス人アーティストたちと一緒に行きました。
 「普段はこんなことはないので本当に恥ずかしいんですが…ボブ・ディランは(Partyの最中に)寝室にいて 私を招き入れました。そして フランスではまだ発売されていなかった彼の最新アルバムブロンド・オン・ブロンドから2曲『Just Like A Woman』と『I Want You』を聴かせてくれました。嬉しかったわ (誤解が多いのですが演奏されたわけでなく試聴版のレコードをディランがかけた) 彼の言いたいことは はっきりわかりました。でも 私は曲を聴くことに夢中でした。それまで聴いてきたものとはあまりにも違う音楽だったので…彼は私に恋していたわけではなく "私のイメージ"に恋していたんです。彼は 舞台裏で見た時よりずっと痩せ細っていて 青白くおかしな様子で… 正直長くは生きられないんじゃないかと思いました。本当にそれで終わりで2度と彼に会うことは ありませんでした。」
 当時 著名なカメラマンのジャン・マリー・ペリエ氏とお付き合いされていたというアルディさん 正直に雑誌記者からの質問には このように答えておりました。

たぶんボブ・ディランさんは これらのコメントを読んで
落胆されたのではガーンと思います。

 2021年のある日の夜の事  

 BS朝日でベスト・ヒットUSA「ボブ・ディラン80歳記念特集」を見ておりました。

するとディランのビデオに「アルディさんの姿」が

突然映りびっくり1人で大騒ぎしたことがありました。

前半0分55秒ごろ突然現れるフランソワーズアルディさん⬇️

 フル動画⬆️「Just Like Tom Thumb's Blues」 

親指トムのブルース

ドキドキしながら司会の小林克也さんのコメントを期待しましたが…ガーン残念ながらスルーでした。(笑) 

でも…笑っていますよね?

ちょっとホッとしました爆笑 

ボブ・ディランはこの時 パリでも もちろん大人気で アルディさん以外に 多くのセレブの方々に会ったそうです。 とても楽しんでたと思います。

しかしながら…びっくり私は気づきました

実はこの時ディランはすでに既婚者でした。お相手はサラロウンズ(Sara Lownds)さんという2歳年上のディランと同じアメリカ生まれの元モデルの美しい女性で 1965年9月からの全米ツアーの休暇中 11月22日 ディランの伝記作家ハワード・スーンズによると 結婚式はロングアイランドの判事事務所前の樫の木の下で行われたとか…サラはすでに懐妊中でした。そして1966年の1月にはジェシー・ディランが生まれていて…つまりアルディさんとの楽屋面会の頃 ディランは 

もうパパだったんですよびっくり

 プライベートは殆ど公表してなかったとはいえ ニューヨークの新聞には結婚の記事が掲載されていたとか…

アルディさんは ご存知だったのかしら? 

もしアルディさんといい感じになれてたら

全てを捨てる覚悟

ディランにできていたのでしょうか?  

ニューヨークのウッドストックの自宅にて妻と子供とくつろぐディランさん@1968 めちゃめちゃ健康そうですよね?

1967年のバイク事故で瀕死のケガから回復した頃かしら?素敵な家庭ですねニコニコしかしながら1977に離婚してしまわれたそうですが…恋多きディランの人生は続く

参考

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Sara_Dylan


アルディさんにディランが聞かせたという曲①

アルディさんにディランが聞かせたという曲②


 裏ジャケにアルディさんに捧げた詩が掲載されたレコード⬇️


この1966年のパリ公演の2日後にロンドンで行われた

ボブ・ディラン伝説のライブが2CDで楽しめます 

⬇️


スージー・ロトロとディラン♡の写真ジャケットで有名

⬇️