他人と会話する時、どうしてもセンシティブな話題というものが存在しますよね。
政治の話題。宗教の話題。スポーツの話題。


政治的信条は、本当に人それぞれ。こればかりは、その人の世界観や価値観、信念などにも影響されているものなので、むしろ対立して当然というか、だからこその民主主義であると言えます。ネット上ではよく、◯◯の政党を支持してるやつは馬鹿だ。とかいう主張も見ますが、支持政党を否定されることは、その人の価値観や信念を否定されることと同義だと思うので、政治や政党の話題というものは、慎重に言葉を選ばないと、人間関係に亀裂を生じさせる可能性がありますね。



宗教の話題。これは政治の話題以上に注意を要するでしょう。日本人は無宗教が多いと思います(私も無宗教ですが)。神を信じないって人も結構いるでしょう。しかしだからと言って、宗教を否定することはできません。たまーにネットとかで、神を信じる人間は心の弱さの表れ、的な書き込みしてる人もいるけど、宗教とともに生きてきた人間と、そうでない人間ではやはり世界観人生観も異なる。無論、どちらが正しいというものではなく、神を信じようが信じまいが、それぞれの生き方が尊重されるべきでしょう。

やっかいなのは、キリスト教やイスラム教など宗教間の対立。そして歴史が証明するように、それは多くの争いを生み出してきたという事実。宗教の違いだけでなく、同一の宗教の中にも対立が生まれ、それもまた争いの種になっている。キリスト教内におけるカトリック、プロテスタント(更に無数の分派に分かれる)、イスラム教におけるシーア派やスンニ派のように。

日本はよく、「働き方改革」など、なんでもかんでも欧米のやり方を模倣しようとする傾向がありますが、そもそも宗教観が違う国々の文化を日本に取り入れて、本当にうまくいくのか。宗教の理解なしに、欧米と同じことをやろうとするのは、よくよく考えたほうが良いでしょう。それはビジネスにおいてもそうですが。イスラム教国家は日本とも違うし西洋とも違う。それぞれの国でビジネスを成功させるには、やはり宗教の理解が欠かせない。



スポーツの話題。場合によってはスポーツも過激な行動を引き起こす要因となります。ワールドカップでは、サポーターが暴徒化する事件も多い。2018年サッカーワールドカップでは、優勝国フランス🇫🇷のサポーターが、一部暴徒化。2014年のワールドカップでは、決勝で敗れたアルゼンチン🇦🇷のサポーターが一部暴徒化。勝ち負けに関わらず、興奮を呼び起こすものは、人に正常な判断を鈍らせてしまう危険性があるのかもしれません。それだけ、スポーツが人の感情を大きく揺さぶるものであるということですね。

だからまあスポーツの話題ってのは、人の心に火をつける可能性があるので、注意が必要かもしれませんね。


政治的信条も宗教も、その人の人生に深く根を下ろしているものですが、自分が許容できないものは、排除する。それが人の本質かもしれません。しかし、心の中に留めていたほうが良い場合もあるかもしれませんね。余計な争いや諍いを避けたいならば。