ノンデュアリティは、究極にすごい教えじゃなくて、ひとつの考えである。
面白いけど、すがるものじゃないからね。


結局、「私」はいない。
それはやっぱりそうなのか。
そこはまだ、腑に落ちていないのだけど。


起こるべきことが起こる。
だから安心して自由に選ぶがよい。
自分がよいと思うほうを。


どーしよどーしよ、って言っても、
心配だー
不安だー
と言っても、


むかつく!しね!
と思っても、

それはそれで出てきたもので、
そのままポーンと、出してしまう。


そして、この体に起こる感覚を味わう。

私を通して、すべての感覚が現れる。


他にはない完璧な方法で、
いま、必要だと思うタイミングで、
この感覚を味わっている。


大丈夫なのだ。

いくらむかついても、
いくら不安で潰されそうな気持ちでも、
何も揺らがない。
何も壊れていない。


あなたのその、怒りで血が上った頭を、切り離してごらん。
そしてその頭に、幸せな顔のあなたの頭を乗せてごらん。
なんと心は、晴れ晴れとしている。

可笑しいじゃないか。
体は、空間は、何も変わっていないのに!


どっちでもいい。
どっちを選んでもいい。
どっちを選んでも、この雨がすぐに止んだりはしない。
どっちを選んでも、お腹はすいて、夕食を食べている。

どっちを選んでも、眠くなって布団にもぐる。
どっちを選んでも、家族が家に帰ってくる。



諸行は移ろい、
信念ですら朽ちて新しく生まれる。

変わらない自分を握り続けるなど、滑稽ですらある。
すべての正しさが移り変わるのだ。
今日の気持ちは明日変わるのだ。
友達は絶えず入れ替わるのだ。
好きなこと、好きな人も、変わるのだ。
だけど、つねに真剣に選択している。
何を選んでも、後悔する必要などない。

今を、存分に生きるだけだ。

雨に濡れたくないなら傘をさす。
食費を抑えたいから、鶏肉にする。
でもコーヒーは美味しいのが欲しい。

それで完璧な選択なのだ。
浮かんだ思考を、そのまま受け容れるのだ。


これこそが生なのだ。