「急遽」。

調べてみると、

・急に物事が行われる様
・あわただしく事を行う様

とある。

まさに今回の旅行準備はこれに当てはまる。

この旅では、
カリブ海諸国のうち、

ジャマイカ
トリニダード・トバゴ
キュラソー

を経由するが、
ジャマイカについてはこのブログで多くを紹介しており、
トリニダードには深夜に着いて翌朝出発するので、
特には書かない。

今回の記事では、
キュラソーを取り上げたい。

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地域の旗

キュラソー島は南米ベネズエラの北方にあり、
オランダ王国の領地である。

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オランダ国旗

1499年、
スペイン人とイタリア人に発見された。

それ以前には、
カリブの原住民アラワク諸族のカケティオス族が暮らしていたが、
1527年にスペイン人が奴隷としてイスパニョーラ島に連行し、
全滅した。

1634年、
オランダ艦隊がやってきて、
1642年、
オランダに乗っ取られた。

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さて、
特筆すべきは、
ある日本人との関係だ。

話は変わり、
第二次世界大戦前、
ナチスに迫害されていたユダヤ人たちは、
国外に逃亡するのに必死だった。

しかし、
欧米諸国はユダヤ人のビザを発行しておらず、
当時ユダヤ人への偏見が少なかったオランダが発行していた。

ところが、
当時のオランダはナチスに占領されていたため、
植民地であるキュラソー向けのビザを発行した。

とはいえ、
「キュラソー向けのビザ」は表向きで、
実際はその経由地であるアメリカや上海に居つく者が多かった。

その「ウソ」を承知で、
当時のリトアニアの日本国領事
「杉原千畝(すぎはら ちうね)」は、
経由地日本のビザを発行していた。


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この逃亡用のウソのビザは、
「キュラソービザ」と呼ばれ、
数千人のユダヤ人難民を救う結果となった。

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(ウィキペディアから引用)
(参考:http://www.chiunesugihara100.com/visa-unmei.htm)

ということであるが、
大航海時代のカリブ海における島取り合戦も壮絶だが、
第二次世界大戦当時のユダヤ人もまた壮絶だったろう。

そして彼らの命を救った日本人。

このことを思えば、
私たち夫婦のビザや渡航の問題など、
まったく小さな問題だ。

カリブ海。

大きな海を眺めながら、
大航海時代やそれ以前にいたアラワク族、
さらには今回の記事にある日本人の活躍などに思いを馳せずして、
カリブが好きなどと、
私は言えない。

私は今回の旅で、
より一層カリブを愛してしまうのだろう。

私はカリブを愛して止まない。

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ユネスコの世界遺産でもある、
キュラソー主都(首都ではない)ウィレムスタッドの町並み

来週出発します。

ONE LOVE