「急遽」。
調べてみると、
・急に物事が行われる様
・あわただしく事を行う様
とある。
まさに今回の旅行準備はこれに当てはまる。
この旅では、
カリブ海諸国のうち、
ジャマイカ
トリニダード・トバゴ
キュラソー
を経由するが、
ジャマイカについてはこのブログで多くを紹介しており、
トリニダードには深夜に着いて翌朝出発するので、
特には書かない。
今回の記事では、
キュラソーを取り上げたい。
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/16/jamaicadou/eb/2e/p/t01250083_0125008312245934539.png?caw=800)
地域の旗
キュラソー島は南米ベネズエラの北方にあり、
オランダ王国の領地である。
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/17/jamaicadou/9f/8e/p/t01250083_0125008312246003635.png?caw=800)
オランダ国旗
1499年、
スペイン人とイタリア人に発見された。
それ以前には、
カリブの原住民アラワク諸族のカケティオス族が暮らしていたが、
1527年にスペイン人が奴隷としてイスパニョーラ島に連行し、
全滅した。
1634年、
オランダ艦隊がやってきて、
1642年、
オランダに乗っ取られた。
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/17/jamaicadou/3d/a9/j/t02200118_0800042812246035361.jpg?caw=800)
さて、
特筆すべきは、
ある日本人との関係だ。
話は変わり、
第二次世界大戦前、
ナチスに迫害されていたユダヤ人たちは、
国外に逃亡するのに必死だった。
しかし、
欧米諸国はユダヤ人のビザを発行しておらず、
当時ユダヤ人への偏見が少なかったオランダが発行していた。
ところが、
当時のオランダはナチスに占領されていたため、
植民地であるキュラソー向けのビザを発行した。
とはいえ、
「キュラソー向けのビザ」は表向きで、
実際はその経由地であるアメリカや上海に居つく者が多かった。
その「ウソ」を承知で、
当時のリトアニアの日本国領事
「杉原千畝(すぎはら ちうね)」は、
経由地日本のビザを発行していた。
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/17/jamaicadou/aa/4a/j/t02000244_0200024412245980552.jpg?caw=800)
この逃亡用のウソのビザは、
「キュラソービザ」と呼ばれ、
数千人のユダヤ人難民を救う結果となった。
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/17/jamaicadou/d9/55/j/t02200169_0300023012246016575.jpg?caw=800)
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/17/jamaicadou/4b/40/g/t02200208_0233022012246016574.gif?caw=800)
(ウィキペディアから引用)
(参考:http://www.chiunesugihara100.com/visa-unmei.htm)
ということであるが、
大航海時代のカリブ海における島取り合戦も壮絶だが、
第二次世界大戦当時のユダヤ人もまた壮絶だったろう。
そして彼らの命を救った日本人。
このことを思えば、
私たち夫婦のビザや渡航の問題など、
まったく小さな問題だ。
カリブ海。
大きな海を眺めながら、
大航海時代やそれ以前にいたアラワク族、
さらには今回の記事にある日本人の活躍などに思いを馳せずして、
カリブが好きなどと、
私は言えない。
私は今回の旅で、
より一層カリブを愛してしまうのだろう。
私はカリブを愛して止まない。
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/17/jamaicadou/6b/e7/j/t02200165_0550041212245955154.jpg?caw=800)
ユネスコの世界遺産でもある、
キュラソー主都(首都ではない)ウィレムスタッドの町並み
来週出発します。
ONE LOVE
調べてみると、
・急に物事が行われる様
・あわただしく事を行う様
とある。
まさに今回の旅行準備はこれに当てはまる。
この旅では、
カリブ海諸国のうち、
ジャマイカ
トリニダード・トバゴ
キュラソー
を経由するが、
ジャマイカについてはこのブログで多くを紹介しており、
トリニダードには深夜に着いて翌朝出発するので、
特には書かない。
今回の記事では、
キュラソーを取り上げたい。
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/16/jamaicadou/eb/2e/p/t01250083_0125008312245934539.png?caw=800)
地域の旗
キュラソー島は南米ベネズエラの北方にあり、
オランダ王国の領地である。
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/17/jamaicadou/9f/8e/p/t01250083_0125008312246003635.png?caw=800)
オランダ国旗
1499年、
スペイン人とイタリア人に発見された。
それ以前には、
カリブの原住民アラワク諸族のカケティオス族が暮らしていたが、
1527年にスペイン人が奴隷としてイスパニョーラ島に連行し、
全滅した。
1634年、
オランダ艦隊がやってきて、
1642年、
オランダに乗っ取られた。
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/17/jamaicadou/3d/a9/j/t02200118_0800042812246035361.jpg?caw=800)
さて、
特筆すべきは、
ある日本人との関係だ。
話は変わり、
第二次世界大戦前、
ナチスに迫害されていたユダヤ人たちは、
国外に逃亡するのに必死だった。
しかし、
欧米諸国はユダヤ人のビザを発行しておらず、
当時ユダヤ人への偏見が少なかったオランダが発行していた。
ところが、
当時のオランダはナチスに占領されていたため、
植民地であるキュラソー向けのビザを発行した。
とはいえ、
「キュラソー向けのビザ」は表向きで、
実際はその経由地であるアメリカや上海に居つく者が多かった。
その「ウソ」を承知で、
当時のリトアニアの日本国領事
「杉原千畝(すぎはら ちうね)」は、
経由地日本のビザを発行していた。
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/17/jamaicadou/aa/4a/j/t02000244_0200024412245980552.jpg?caw=800)
この逃亡用のウソのビザは、
「キュラソービザ」と呼ばれ、
数千人のユダヤ人難民を救う結果となった。
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/17/jamaicadou/d9/55/j/t02200169_0300023012246016575.jpg?caw=800)
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/17/jamaicadou/4b/40/g/t02200208_0233022012246016574.gif?caw=800)
(ウィキペディアから引用)
(参考:http://www.chiunesugihara100.com/visa-unmei.htm)
ということであるが、
大航海時代のカリブ海における島取り合戦も壮絶だが、
第二次世界大戦当時のユダヤ人もまた壮絶だったろう。
そして彼らの命を救った日本人。
このことを思えば、
私たち夫婦のビザや渡航の問題など、
まったく小さな問題だ。
カリブ海。
大きな海を眺めながら、
大航海時代やそれ以前にいたアラワク族、
さらには今回の記事にある日本人の活躍などに思いを馳せずして、
カリブが好きなどと、
私は言えない。
私は今回の旅で、
より一層カリブを愛してしまうのだろう。
私はカリブを愛して止まない。
![$ジャマイカ道、YASJAMAICAのブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20121020/17/jamaicadou/6b/e7/j/t02200165_0550041212245955154.jpg?caw=800)
ユネスコの世界遺産でもある、
キュラソー主都(首都ではない)ウィレムスタッドの町並み
来週出発します。
ONE LOVE