昨日は教会に連れて行かれた。

彼らは私に何か悪いものがついたと思ったらしく、
お払いをしてもらおうとした。

大柄な女性がやってきて、
私の目をものすごい形相で見つめ、
ジーザスを連呼する。

私は最大の「愛」でもって見つめ返す。

彼女は、

ジーザスこそロード!!

ジーザスこそONE!!

ジーザスこそラブ!!

ギャーーーー!!!

それはほとんど絶叫で、
そのまま私は「鏡」になった。

ジーザスが私に訴える。

もういいかげんやめてくれ。

疲れきって死にかけている。

痩せた身体に、
あまりにも重量級の苦悩ばかりだ。

私は彼女を許すことにし、

「大丈夫、
私は日本からあなたを許しに来ました。

もうジーザスでも仏陀でもない。
神は一つだから、
心配はいらないのですよ。

楽にしなさい。」

彼女はさらにものすごい顔で、
NOを連呼しはじめた。

そこには恐怖と不安しかなかった。

私はラブを連呼し、
YASを連呼し、
神を自称した。

さっき彼女も、
「あなたこそが神なのだ」と言ってたのだから、
そんなに驚くことないだろうに。

私の身体は大きく震えていたが、
意識は確実に彼女を大きく包んでいた、
かな。

まわりはビックリだ。

彼女はあきらめ、
「あとで話しましょ」といって去った。

周りをみると、
みんなささやいた。

「ジーザスこそ、、、」

それがあるから精神が開放されない。

教会の外で彼女が帰ろうとしていたので呼び止めた。

仏陀を許せないから一つになれず、
ジーザスを許せないから一つになれない。

私は、

「仏陀を許せ、
私を許せ、
それがなぜできないのか?
それはラブじゃないのか?」

彼女、

「ジーザスは一つであるからして、
仏陀他はまた別なのだ。」



「ではブッディストの魂はどこに行くのか」

彼女

「ジーザスクライスト!」



「仏陀もそう言ってきたから戦争が起こる。
あなたのそれは戦争の種だ。」

彼女は逃げるように去った。

彼女の中に、
「許せない」ものがあったにちがいなく、
それを悪魔と呼ぶことを、
最も知っていなければならない立場の者が、
どういうことなのか。

そして周りの反応は、
私が悪者だ。

だがそれでいい。

そうなる者がいなければ、
気が付かないことだってあるし、
「自分」が何者かがわかった今となっては、
ジーザスが誰で神が誰などという話は、
私には不要だ。

気に食わぬといって殺されようと、
それが生きる道であるならば、
後へはひけないし、
それすらも許すしかないではないか。

あまりに「誰かの言ったこと」を信じるものだから、
自由になれない人々。

「自由になりたい」状態が大好きで、
その状態から開放されることは怖い。

が、
ジーザスその他の者たちがしきりに私に言う。

今こそ、
彼らを自由にせよ、
と。

すべての宗教は、
お互いを許しあうことで全能の愛を説くべきで、
「我こそは」という精神は、
もはや必要ない。

私はラスタが好ましいと思う。

一見宗教的ではあるが、
宗教的内容にバラつきがあり、
むしろ精神的な統一性のほうが重視され、
自然崇拝的な本質があり、
私の意識で言えば彼らはこの島の「自然そのもの」であり、
主張はワンラブで、
彼らの生き方が尊重されることこそ、
この島の幸福であると考える。

街を歩いていると、
どのラスタも私に目線をおくる。

鋭い眼光に、
それ以上の眼差しで返す。

誰もが目礼するようになった。

タカッてくる連中などいるわけがない。

私にはその理由がわかっていて、
彼らもそれをビシビシ感じてくれているからこそ、
尊敬を表してくれる。

島、
まわりますか。

YAS RASTAFARI

ONE LOVE