この際、、、

金の話は置いておこう。

生活のことも、
ひとまず置いておく。

宗教ということでもない。

「人類」という視点で語りたい。

世の中には、
とてつもない資産を築いた者たちがいる。

そういった連中にとって欲しいものはなんだろう。

金か?

権力か?

それをも手中におさめたら、
次は何をもとめるか。

貧困層。

何も無い生活の中で、
何をたよりに生きているだろう。

金に絶望し、
死を考え、
死ぬ者も多い。

が、
幸いにも死の淵から這い上がった者たちは、
何を希望に見たのか。

宗教家はいったい何のために修行をするのか。

悟りをひらいて見えるものは何なのか。

今、
人類は、
自らをジャッジするよう、
ジャッジされている。

支配層、
地球をぶっ壊す層、
貧困層、
経済活動離脱者(世捨て人)。

この振り分けで、
あなたは一体どこに入るか。

こんな振り分けなどバカバカしいが、
バカバカしい世の中にけじめをつける時が来ている。

そんなことでもしなければ人類が滅亡してしまうかもしれない、
そういう時期にいることを再確認すべきだ。

金を求める者は、
自滅するようにプログラムされた。

3S。

セックス、
スポーツ、
スクリーン。

毒は「毒」として流されている。

「メディアは国民を操作している」?

つまり悪魔は「メディア」という名札をぶら下げ、
堂々と歩いているということじゃないか。

テレビという悪魔の箱からは、
死の教育が垂れ流されているじゃないか。

彼らは、
「私たちは悪魔です」と、
ちゃんと言ってるじゃないか。

それに追従する自由も、
離脱する自由も、
まだ残されているじゃないか。

それが見えないからこそ「支配者」と呼ばれる連中は、
「あいつらはバカだ」と言ってるのではないか。

いつ、
だれが、
何の目的で、

そんなことはもうどうでもいい。

そんなのは、
崖っぷちでのんきに蝶々を追っかけているようなものだ。

「金(きん)」の代替だった「お金」。

もう「お金」に変えられる「金」などどこにもなく、
「お金」は「金」の代替ではなくなったことを見れば、
その「死のプログラム」の内容も明らかだ。

経済社会の未来が暗いのはそのせいで、
必死に消えないように酸素を送ってみたところで、
そのうち消えてなくなることだろう。

もう経済活動の炎は消えかけている。

最初は「金(きん)」という薪を燃やしていたが、
それが「紙幣」に変わった。

「金」だったものは、
「石油」や「石油製品」や「エネルギー」に変えられた。

「資源」が尽き、
炎は縮小された。

花火をするとき、
安全のために大人がそばにいるように、
経済の炎を大きくした者に、
鎮火する責任がある。

子供たちはまだまだ花火が続くと思っている。

顔を真っ赤にして興奮し、
勢いよく息を吹きかければ、
また炎は燃え盛ると思っている。

ろうそく程度の炎に、
皆で一気に息を吹きかければどうなるか。

金で買えるものは何でも手に入る大金持ちや、
金に縁のない貧困層の一部、
修行をする宗教家たちなどが、
そのことに気づいている。

それ以外の多くの者は、
それが「誰かのせい」だとしたい。

しかし、
それは「誰か」がやっていることではなく、
「時間の流れ」や、
それを司る「何か」がそうしている。

今ある「人類」は、
その「意思」に追従しているに過ぎない。

そのことを、
現存する「人間の言葉」などで表現しきれるものではなく、
それこそが「秘密」という言葉の意味ではなかろうか。

「秘密」とは、
その言葉や文章が秘密なのではなく、
その「意味すること」こそが秘密なのだ。

「秘密」が「必要」だったわけではなく、
「必然」としての「秘密」だった。

必要とされなければ明かす必要もなく、
気が付いたらそこにあればいい。

経済社会において、
目を伏せたくなるような、
耳を閉じたくなるようなことは、
すべて「警告」だと考えたい。

殺意をもったり、
今の生活が脅かされることに恐れず、
冷静に「こころ」を見つめたい。

その
「こころを見つめる恐れ」
それこそが最大の「罪悪」であることに、
はやく気がついたほうがいい。

「そのための目を持て」というメッセージは、
目を凝らせば今ではどこでも(肉眼で)見られるし、
そのメッセージは太古の昔から送られ続けていたことも、
しっかりメッセージに刷り込まれている。

「恐れ」はどこからやってくるか?

「恐れ」の出所に「悪」がある。

それを退治できるのは、
その宿主しかいない。

その宿主に呼びかけているのが「警告」なのではないか。

だからこそ、
古代の信仰の象徴は「鏡」なのではないか。

その鏡に映る者こそ、
「神」なのではないか。

鏡はどの家庭にもある。

のぞいてみるといい。

「人」は「人」で、
「人」のことを「人」として考えるが、
古代の信仰に思いを馳せれば、
「人」は「森羅万象」、
つまり、
地球を動かしている完璧なシステムの一員であることを、
忘れるべきでない。



だから、

もう、

金=個人の幸せの基本

などというのではなく、

森羅万象システムの正常稼動=人類愛

と思考したい。



これまでの、
すべての「歴史」を「許し」、
これからの「人類」を想像し、
「未来」を創造したい。

そういうふうに考えれば、
人間と同じ生物群にいる牛や豚やニワトリを工場で生産し、
製品として売買され消費されていることが不自然だとわかるし、
「一方で飽食 一方で飢餓」というアンバランスも見て取れる。

そのことに気がつかなければ、
「お前たちもそのようにしちまうぞ!!」というのが、
世界政府、
警察国家、
人類奴隷化などといった「警告」と、
私は考える。

お金=金
お金=資源
お金=食料(牛や豚=命)
お金=人(人=命)
お金=命

こんな方程式が成り立ったらどうなるか。

お金と命を天秤にかけ、
その重さを量る。

そんなバカな方程式が、、、

いや、
それを「知らされる」必要があったのかもしれない。

人類はこの方程式を確立させようとしていて、
今その「警告」が発せられた。

あらゆる頂点に立つ連中はそれほどバカじゃないし、
これまでの人類の歴史を見てもそれは明らかで、
すばらしい人類の発展に大きく貢献をしてきた。

そんな彼らが「悪魔」なはずがなく、
そうではないからこそ今の位置にいるのではないか。

彼らの育てた「企業」は、
いつの日か巨大になりすぎ、
その下に多くがなびいた。

「企業」は親の言うことを聞かない「不良」になり、
今では人間を食らう「悪魔」に成長してしまい、
親自らが、
自分の子である企業を抹殺する結末になった。

経済社会というピラミッドの頂点に立つ者たちが、
「目」というメッセージに込めた理由はそこにあり、
だからこそ「一ドル札」に刷り込まれたのではないか。

物質文明や経済活動に疑問を感じ、
自然と共に生きることを愛してやまない私も、
あるいは彼らと同じ境地にいるのかもしれない。

人は前を向いて進んでいるとき、
後ろを振り返ることをしないが、
目前にガケを見せ付けられれば、
立ち止まり、
振り返る。

そのことに気がつき、
「言葉」でコントロールをし、
「言葉ではない何か」でメッセージを送り、
人類の「精神」に呼びかけているのではないか。

それをつなげるのが「波動」と言われ、
その波動を発するのが「イメージ」で、
インターネットの世界はイメージの世界観だ。

そして、
最近の「金持ちになる本」には、
そのことに気がつく機能が多分に織り込まれている。

「金持ち」というキーワードに飛びつかせ、
お金の話を進めると同時に、
人間としての「生き方」を説いている。

それに気づかせ、
世界で起きている現状を見るように仕向け、
全人類が「自分たちのこと」に気がつくような、
壮大なプロジェクトが進んでいて、
それを長きにわたり影で操ってきた者たちがいて、
ようやく表面化されつつあり、
その「表面」とは、
現実社会ということではなく、
私たちの精神における「表面」、
つまり深層心理に呼びかけている、
しかも「お金」を使って、
そうは考えられないだろうか。

そう考えれば、
人類が心を改め、
お金という邪悪な心を生むシステムは消滅し、
新たな「平和」が訪れ、
人類は平和に過ごせる、
そういうことにはならないか。

そしてそれこそが、
太古の昔からの、
それこそ、
時空を超えた宇宙からのメッセージであり、
私たちが未来に伝えていくべきメッセージなのではないか。

911について調べはじめ、
ここまでたどり着いた今、
私は911の「事件そのもの」を愛する気持ちになっている。

企てた者、
仕掛けた者、
仕掛けられた者、
それを知っていた者、
犠牲者、
被害者、
どちらが悪いと判断をしようとして殺された者、
善意、
悪意、
そのすべてに感謝したいのだ。

私の精神は今、
自分で見てもまぶしいくらいに、
光り輝いている。

無限の「愛」以外、
私には何も「無」くなったようだ。

あなたの中のすべてが繋がったとき、
恐れを感じないように、
このブログが少しでも役にたてば、
私はなによりも幸せだ。

ONE 命

ONE DNA

ONE LOVE