hiya.

いよいよ今日から、来年2/17(土曜日)アクトシティ浜松大ホール公演のファンクラブ先行受付がスタートしました。

本当にあのステージに立つんだなと、少しずつ実感が湧いてきました。

そんな中ではあるのだけど。

とても残念な知らせが届きました。

CODE-Vの解散。


メンバーたちは今、どんな想いでいるんだろう?

ここ数日、実は「CODE-Vの裏方作業のお手伝い」をしていて、その最中の発表でした。
※詳しい内容は言えません、ゴメンナサイ。

とてもショックで。

先日もサンウがインスタをフォローしてくれて、いいねし合ったりコメントし合ったりしてて。

同じレコード会社なのに、しかも色々と携わってるのに、当日まで私に解散発表は知らされませんでした。

それが許せないとかじゃなく、それだけ重い発表だったんだなと感じた。



嘘なく、大好きなグループ。

縁あって、Jam9のライブにはCODE-Vのファン「ミラクル」と呼ばれる人も多く訪れてくれる様になりました。

CODE-Vと一緒にJam9も支えてもらってきました。

感謝しています。

今、ファンであるアナタはどんな気持ちでいますか?

永遠は無いと分かっているけど、オレも今アナタと同じ気持ちでいます。

何も出来ない悔しさとか、やり場のない憤りとか、それを越えるほどの悲しみや虚しさ。

何も変えられないけど。

メンバーと、そしてファンの皆さんに届く様に、Jam9というフィルターを通して見てきた「彼等との縁」を振り返ってみようと思う。

長くなるだろうけど、良かったら読んで下さい。



デビューした年の終わり、レコード会社の会議室に資料があって。

「CODE-Vって言うグループでJam9の弟分にあたる子達だよ」

当時オレ等が所属してた事務所のスタッフさんが韓国で見つけて、ドリーミュージックに連れてきた子達なんだと知らされました。

その場で資料に付いてたCDを聴いた。

「Addiction」

そう書かれたCDは、とても素敵なサウンドと声だった。

とは言え事務所まで同じにならずレコード会社内のマネジメントでデビューとの事だったので、お互い会う事も無く。

ジャンルも違うし、今後関わる事もないと思っていました。



2012年8月

初めて顔を合わせたのは、24時間テレビの静岡会場でした。

彼等は終始笑顔で、そして気さくで丁寧な子達でした。

でもオレはその日、大きな挫折を味わう事になりました。

「時代の移り変わりを感じてしまったから」

レコード会社から大勢のスタッフが彼等について来てて、その絵は「もうJam9じゃなくてCODE-Vを売る体制」で。

それまで主流だった「メロ混じりのヒップホップ」が終わって、ダンスボーカルグループのブームが迫ってて。

屈辱的でした。

心の中で「CODE-Vとは二度と一緒にやりたくない」と思いました。



時を経て2013年。

弟が彼等の曲「song for you」の作詞作曲を担当しました。

以来、CODE-Vファンの方々が「ありがとう」と言ってくれる機会が増えて、また少しずつCODE-Vに会いたいと思える様になって。



1年ぶりに彼等の浜松公演で再会。

その頃、彼等は色々あって人数が減っていて。

それでも負けずに頑張っていた姿や、日本語が上手くなっていた事に、すごく感動しました。

こいつら頑張ってんだな。

ブームの波に乗ってヘラヘラやってるワケじゃないという事を認識できたし、その努力を怠らない姿は本当に尊敬できて。

それからCODE-Vの見方が変わった。

自然に接する様になれた。

「自分たちより人気のある弟分」なのは引っかかるけど、可愛い弟たちだと思える様になりました。

以降2年間、兵役でオリジナルメンバーが抜けて行くという危機もあったけど。

メンバーは韓国に戻る前にメールをくれたり、ソルが帰るときはレコード会社の会議室で皆でパーティーしたり。

同じレコード会社という屋根の下にいる兄弟になって行きました。



そして2015年。

オリジナルメンバーが抜けた後、新メンバーの2人が「Jam9初の主催フェス」に出演してくれた。

でもそのブッキング内容は、周りにちょっとした波紋を呼んだ。

同じジャンルのアーティスト達から…

Jam9は身内じゃなくアイドルに頼ってフェスを開催する。

というバッシングの嵐。

同ジャンルで声をかけたのがSEAMOさんと逗子三兄弟だけだった事もあって。

仕方ない事だと思った。

オレが痛感した様に、みんなもダンスボーカルグループのブームに押されてしまったストレスを感じていたんだよね。

でも、こう答えた。

アイツ等は特別枠なの。
オレ等の弟だから。
あと、何も知らないくせにアイドルって言うなよ。


心の底から思った。

ウシク、テフン、CODE-Vに来てくれてありがとう。2人が日本に来てくれたから、CODE-Vが未来に続いたんだよ。

今もオレ等がCODE-Vの物語を見ていられるのは、2人のお陰だよ。

もうホントに弟みたいで。

2人も他のメンバーと同じくJam9を兄と慕ってくれる様になりました。


同じ年、下関で。

この頃から、時々頼まれてCODE-Vの裏方作業を手伝う様になりました。

ライブの入場SE制作を頼まれた時は「Giz'Moくんの声でCODE-Vを紹介してよ」と言ってもらって、アレンジだけじゃなく声を入れさせてもらった。

ハロウィンパーティーのテーマ曲アレンジもお手伝いさせてもらったり。

とても良い思い出。

基本的に、作家仕事以外で別のアーティストの手伝いなんて、頼まれてもお断りします。

手伝ってあげたい、手伝わせて欲しいと思える数少ない先輩/仲間/後輩だけに手を差し伸べて来ました。

その中でもCODE-Vは、未だにというか昨日今日も頼まれてお手伝いしてて。

そのくらい特別なヤツ等です。



2016年、アルバムリリースのタイミングが重なって、彼等のウェブ放送に混ぜてもらった。

久しぶりに再会。

お互いに当時より大人になってた。

初めて会った日に「二度と一緒にやりたくない」なんて思った事も、笑い話に変わってた。

あれから2年。

解散の知らせを聞いた。

ピンとこなかった。



弟であり家族であり、共に同じ時代を歩んできた音楽仲間。

永遠は無いと思い知らされた。

でも、言いたい。

ありがとうね。

知らない国に来て頑張り続けてくれたメンバーがいたから、オレ等はCODE-Vという思い出を得られました。

何度も同じステージに立ったね。

兄なのに、力を借りる事も多かったね。

オレ等が東京に住んでたら、もっと兄らしい事もしてあげられたのに。

もっと協力したかったよ。

頑張ってるのをずっと見てきたから、申し訳ない気持ちもあるよ。

解散後がどうなって行くのかは今のところ知らないけどさ。

次に会ったら少し話そうよ。



ファンの皆様に伝えたいのは「知ってると思うけど彼等はいつも全力を尽くしてきた」という事。

メンバーは会う度、ステージ裏でも常に笑っていました。

それは全力の努力に裏付けられた物だっていつも感じました。

出番前に腕立て伏せしてるのを見て「ねぇ疲れない?」って聞いた事を思い出します。そのくらい、いつでも全力なんだよね。

まだ彼等が来年どうなってるのか知らないけど(知らないからこんなブログを書けるんだけど)、もし韓国に帰って音楽を続けるメンバーがいるのなら、見に行きたいなと思う。

日本に残って続けるメンバーがいるのなら、出来るだけ協力したい。

解散は本当に辛いけど、今は彼等の決断を信じて見守ってあげたいです。

どんな物語であれ、その先も見せてくれるはずだから。

残り半年。

CODE-Vの半年間を、オレもアナタと一緒に楽しみたいと思っています。


兄であり、ライバルであり、そしてファンでもあるGiz'Moより。


追伸…
12/23、どうか東京に行けます様に。
兄貴顔して関係者席で腕組んで見ててやるから覚悟しとけよ。


peace out.
Giz'Mo