今、僕が戻って来ている場所は、東京の商業区(実家)。
その周辺には古い家屋・3畳の風呂なき学生アパート群・銭湯・伝統的なお店(煎餅屋とか豆腐屋とか)が軒を連ねていたが、僕が高校の頃から噂には聞いていた区画整理がすっかり進み、多くの真新しい住宅に囲まれてしまった。朝は小奇麗な小学生たちが、PTA同伴で集団登校している。
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僕の区は、点在する商業地区から徐々に住宅街化が拡がって出来た街なので…初期創設の小中学校はとーっても校区が広い(後から住宅街化した地域は、校区が狭い)。
中学への通学に関しては…雑居ビルに上れば都庁が見えてるのに、自転車で15分。
歩いて行くのがバカラシイくらいなんで、
学校を放棄した連中の数・質の悪さも素晴らしかった(僕の頃の話)。
とある雑居ビルに在るゲーセンの一番奥は、
X中学OB/OGが作るSilverFoxだかいう地回りの居場所だった。
格闘系ゲームで乱入対戦すれば、
恐喝や傷害に発展するようなカオスな場所だった。
「***君!●●君が拉致られました><」
「今、網張られてるんで、単車で送ってくれないっすか?」
(網を張る:門~通学路として必ず通る場所に、
極真空手君や…100連ピアス君や…態度L君(死語)が見張ること)
まぁ、変な地区に居たんで…どーでもいいクソガキには気をつけなければ成らなかった。
一応20に成る頃までは、そんな雰囲気は続いていたからね。
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ただ、僕がそこへ引っ越して来たのは高校時代。
中学は隣の校区のY中学だったのだ。
昭和40年代の古い高層住宅街があり、小/中学校が団地の真ん中に在り、通学者の8割が団地っ子。
団地に囲まれた場所はクソガキ達のプライベートゾーンでさ。
別にクソガキじゃなくても、「生まれた時からのご近所同士」だけが集う街なんで…
ヤンキー(絶滅種)もパンピー(死語)もそれ程の違和感無く接し合って。
「Boy meets girl(trf…もはや化石)」なんかを大音量で掛けて踊ったり(俺はノータッチ。そこまでレベル落として遊んでたら、指導下後輩にメンツ立たない)。
小沢健二やB’zに合わせてGやBを弾いていたり。
単車を整備したり。
煙草に酒に。
そして付けっ放したジッポライターで炙ったスルメ…。
トルエンとかも回ったDangerousなにーちゃんに絡まれることも在ったが・・・
とりあえず、不夜城だった。
単車乗り・茶髪・喧嘩収め…他にもナニかあったんだろうが、
取りあえずは「先輩」「***さん」と呼ばれてりゃ、
時に暇してれば「不夜城」に行く事もしばしばだった。
そこに、恋愛もあったのが間違…じゃなくて、最大の理由だが。
そして、今でも後輩達とオールした
「あの夏の夜風の感触は、優しい想い出」だ。
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そんな団地を経由しても、動物病院へ向かえる。
ただ、地面がタイルなんでね。単車や自転車じゃ滑るから、使わないだけ。
で…5年くらい前にも感じた過疎化/高齢化は、今は益々進んでいるようで。
置かれている自転車は数えられる程度…。しかも殆どは埃を被った放置自転車。
郵便受けの多くには、目張りガムテープ。
「不夜城」だった場所から180度見渡すと、
灯る家庭の明かりは数えるくらいだった。
恋仲だった子も、仲良しだった同級生も、後輩も、もう居なかった。
公団と言えども、月20万近いらしく。
子供が巣立てば、夫婦は引っ越すなんて当たり前。
月15万なり払うなら、多摩に一戸建て買った方が確実に良い訳だし。
理屈では、そう。
解っては居るけれど、
「あの夏夜の風の感触、優しい想い出」
が消滅したかのように思うと、寂しい。
でも違うんだよね、本当は。
本当はさ、
「あの夏夜の風の感触の、優しい想い出」
を持てた事に感謝しなきゃいけないんだよね。
あんなクソガキ時代は、僕は勿論、今の/これからの子供達は決して味わえないんだからさ。
(自力問題解決の最終手段が、親や学校だった。今は逆転してるからね…)