振り返れば今年はゴシップが溢れた1年だった。今年に限った事ではなく、以前から感じていた「潔癖症時代」を再度強く感じた年だった。

 

高度に進化する情報社会は悪い事じゃない。こうしてブログを書くことで私も自分の文章を多数に触れてもらえるわけで。生活の合理化は著しく進んだ。

 

虚像が勝手に歩き出すような世の中になっていることも肝に銘じなければいけない。では虚像とは何なのか。

 

先日、乙武洋匡さんがラジオに出演していた。今年、ゴシップの渦中にいた乙武さんは数ヶ月の謹慎中に開き直ったそうです。ハンディを抱えながら教育者として人格者然と生きていた自分と本来の自分のギャップに苦しんだ末の結論だったようです。

前段は真実です。間違えなく教育者としての乙武さんはいたのです。しかしそこから想像する人格者然という部分に虚像が入り混じっていたのでしょう。

 

虚像は自分が他者と関わることで他者が自分に対して抱く印象から始まります。それを形成するものが立場や「見てくれ」といった外見なのです。芸能人や政治家などテレビの世界に存在する遠い存在ほどそうした立場や「見てくれ」が印象に左右されます。

 

高度情報化社会では遠かったはずの存在がネット世界では身近になってしまう。例えばツイッターをフォローする事でダイレクトにコンタクトできるような。遠い存在なのに近い、これが錯覚を起こしている原因の一つです。そこに潔癖な○○たるもの不倫してはいかんと言った価値観が加わって騒動が発展してしまいます。

 

遠い存在なら遠い存在のままでいいと思うし、情報によって形成された虚像に本人が合わせてしまう必要もないのです。身近でも同じ事です。どうも他人が作る虚像に自らを摺り寄せてしまう。虚像に実像を合わせる事は本当は無理なことで、無理に無理すると心が疲弊してしまいます。虚と実が入り混じった末にスキャンダルのように実だけが表出した時、人は混乱してしまいます。やがて裏切られたという感覚が目を覚まし、攻撃へ発展するのです。

 

虚はあくまで虚であり、実は見えない所に隠されているものです。そうした割切りをどこかでしておこうと私は思います。