チャンピオンズカップの前身であるジャパンカップダートが初めて行われたのは今から16年前の2000年11月25日土曜日だった。私が競馬を始めて間もない時期だから私が第1回から知っている唯一のGⅠだ。来年から大阪杯がGⅠになるのでそう表現できるのは今年が最後になるが。

 

ジャパンカップの前日土曜日に施行されるとあってテレビ東京のウイニング競馬が張り切っていた事を覚えている。晩秋の見事な小春日和だった。

ダートの本場アメリカからユーカーとロードスターリングが参戦し、2番人気と8番人気だった。

大井の快速馬オリオンザサンクスも来ていて一体どんなレースになるのか胸が躍った。

この時、放馬して除外になったゴールドティアラの鞍上、後藤浩輝騎手が泣いている姿が記憶に残っている。

 

アメリカ勢を向こうに回しハナを叩いたのはレギュラーメンバーだった。今は調教師の松永幹夫騎手がテンから飛ばしていった。2番手にロードスターリングがつけてオリオンザサンクスが続く。ラップを見ると東京ダート2100Mらしからぬペースだった事が分かる。10秒台11秒台前半のラップが刻まれ、徐々に11秒台後半に落ちて4コーナーで12秒8に落ちている。これはペースを落としたわけじゃなく、恐らくハナにいったレギュラーメンバーが限界に近いペースで走ったことを物語っている。

 

超がつくハイペースを制したのはウイングアローだった。第1回という未知なるレースを冷静に読んで勝ったのは岡部幸雄騎手(当時)だった。大外を一気に伸びてきたシーンを覚えている。

さらに驚いたのは壮絶なラップの2番手にいたロードスターリングが直線でバテずに2着に入ったことだ。本場アメリカのダートホースの強心臓を見せつけられた。

 

翌年のクロフネの衝撃やフリートストリートダンサーVSアドマヤドンの死闘など経てジャパンカップダートは施行条件を模索し続け、現在はチャンピオンズカップという名称になり、中京のダート1800Mで行われる。これだけ模索が多いGⅠはない。原因は確実に当初のようなアメリカダート馬の参戦がないからだろう。左回りに戻し、距離も1800Mに短縮した。それでも今年は外国馬ゼロ。

 

ジャパンカップダートの模索はまだ続くのか。