2014年、新潟県燕市で3歳の女児が水死体となって発見された事件があった。橋から川へ女児を落としたのは母親だった。
この事件の裁判の模様が朝日新聞デジタルに掲載されていた。
母親はDVが原因で離婚し、相談相手だった男性と同居していたが、女児と男性との関係が悪くて母親は育児に疲れ果てた末の凶行だった。
事件当日も男性の機嫌が悪くなったために夜に女児を連れて家を出て、行くアテがなくなり、とうとう「この子がいなければ」という思いに至った。
橋の欄干に女児を立たせ、車が通るたびに降ろした。繰り返す事数度、ついに車が来ない時が訪れた。母親にとって最後の欠片が埋まった瞬間だっただろう。
女児はにこっと笑って言った。
「バイバイ」
その後、母親は女児を川へ落とした。
裁判の記録から語られた女児の最期の言葉が忘れられない。
子供を持つ親として言いたい事は沢山ある。こんなことは許される事ではない。母親を断罪するのは容易い事だ。育児は決して簡単じゃない。子供の不始末は親の責任だし、僅か20年足らずで赤子を責任ある成人にしないといけない。
親の責任は重いし、重いためにプレッシャーになる。育児はどんな人でも未知なる領域で、迷いながら迷いながら少しづつ進めていく。ノウハウは一般論に過ぎず、私の子供は唯一無二な存在なので私の育児も自然とそうなる。
この母親も役所に相談に行っていたが、相談員に言われた解決方法も彼女と彼女の子供には通じなかった。
誰が何を言おうと、間違えなく彼女は一生この罪を背負う。何十年経とうと忘れられるものではない。彼女は一生、この重荷を下ろす事は出来ないだろう。生き地獄が待っていると想像する。
女児の笑顔、母親に言った「バイバイ」
この映像が彼女の頭を一生涯巡り続ける。
親になってからこの手の事件を目にすると、条件反射で涙が出る。こんな事件はなくなって欲しい。それは当然の願いだ。だが、他人の芝生とは思えない自分もいる。
いつ自分の人生が不安定な状況に陥るか分からない。不安定な世界で心が健全である保証はない。その不健全さが子供に捌け口を求める事もある。
殺害に到らずとも自分の気分の悪さから声を荒げるなど子供に辛くあたる事はある。そんなこと一度もないなんて言える親はいないと思う。親ならみな経験している。だが、その後に必ず襲ってくる苦い苦い苦い後悔の味が忘れられない。
子供に罪はない。
最後に母親に見せた女児の笑顔。それが全てを語っている。