「私たちは何でも言える関係です」

そんな関係、あるだろうか。

言葉は難しい。
文章の解釈は常に読者側にあるように
言葉は受け取り手がどう捉えるかで決まる。

何を言っても許される。
言いたい事を言う。

言葉は自由ではない。言論の自由と言葉の自由は違う。
言論の自由は主義主張に制約を加えないことであり、
受け手の事はその外側にある。

言葉はいつも思いに足りない。

ある劇作家が描いたセリフだ。

言葉は誰かが受け取る事が前提になっている。
思いを届けようとしても、届かなければ思いはかき消されてしまう。

思った事を何でも口にしてしまう人がいる。
残念だが、思いはほぼ届かず、誤解という解釈がなされる。
何故、その思いを届けるための言葉を考えないのか。
思いを言葉にする事はとても難しい。

相手が誰でどういう状態なのか。
どんなトーンでどんな言葉をどれくらいのテンポに載せるのか。

まるで舞台俳優のようだ。いや、舞台俳優とはそういう作業をしている。
セリフという言葉をどのように観客に届けるのか。彼らはそれを常日頃苦悩している。

自分はそんな俳優じゃないから。
しかし、やる事は同じだ。

だからこそ、言葉は難しい。思った事をほぼ反射的に言葉にする事は
とても危険な行為だ。

相手がそれをどう受け取るのか。そんな人はもちろん、受け取り手の事は考えない。

相手がいる以上、何でも言える訳がない。言っていい事と悪い事がある。

とても複雑な行為、それがコミュニケーション。
出来ない人、苦手な人がいるのは当然な事だ。だが、そう自覚する事は大切だ。

コミュニケーションは喋ることではない。

相手と言葉が交換できる事を言う。

言葉を流す事ではない。

伝える力を見直してみたい。私はそういう人間でありたい。