こんにちは。
今回は営業の話から少し離れて、「人生におけるゴールの重要性」についてお話しさせていただきます。
突然ですが、私たちの身体を動かすために「心臓」が必要不可欠なように、人生を動かし続けるために必要なのが「ゴール」です。
この「ゴール」が消えると、人は驚くほど急速に老け込み、時に命にさえ関わることがあります。
それほどまでに、「ゴール」は人の存在を支える根幹なのです。
ここ数年、高齢者の間で「生前整理・終活」が静かにブームになっていると思います。(本当かな💦)
「生前整理・終活」を考えている方もいるかもしれません、若しくはご家族のだれかが。
「生前整理・終活」とは、自分が元気なうちに、身の回りの物や財産などを整理し残された家族や親族に迷惑をかけないようにすらための活動。
「亡くなったあと、家族に迷惑をかけたくない」
「自分自身の心を整えるために」
そんな理由から、家の荷物や財産、思い出の品を整理する人が増えています。
その気持ちは理解できます。
でも、私はこの“生前整理”という言葉に、どうしても強い違和感を抱いてしまうのです。
理由は、主に二つあります。
「ゴールの喪失」は、死に向かう引き金のように感じるからです。
「ゴールを失うと人は死に向かう」と考えているからです。
人の脳は、未来の“なりたい自分”──つまり「ゴール」に向かって、無意識レベルで身体の状態を整えたり、行動を選んだりしているのです。
しかし、その「ゴール」が消えてしまうと…意欲がなくなる、判断力が落ちる、生理機能が崩れ始めるなど。
このような変化が、わずか短い期間に心身を蝕んでいく可能性があります。
生前整理をすることで、「自分の人生はそろそろ終わりだ」と無意識に思ってしまえば、
脳は“終わりの準備”を始めてしまうのです。
もう一つの違和感は、もっと情緒的な視点からです。
本来、遺品整理というのは亡くなった方ではなく、残された人のための行為です。
アルバムをめくり、メモを読み、手に取った品々から思い出がよみがえる。
泣いたり、笑ったり、怒ったり──そうやって、残された人が少しずつ心を整理し、前へ進んでいく。
それを、当人が生きているうちにすべて片付けてしまう。
それは、人間の“あたたかい時間”を奪ってしまっているように感じるのです。
これはあくまで私の記憶に過ぎませんが、ある有名人がテレビ番組で「生前整理を始めた」と話していました。
「そろそろ身の回りの整理をね」と、どこか晴れやかに語っていたのを覚えています。
しかし、その数ヶ月後──その方の訃報が報道されたと記憶しています。
因果関係があるとは言えません。でも、あまりにもタイミングが近すぎたのです。
私はその時、ふと考えてしまいました。
「生前整理」という言葉が、その人の“未来”を閉じてしまったのではないかと。
さらにもうひとつ、見落としてはいけない視点があります。
それは、周囲の「親切」が、無意識にその人のゴールを奪ってしまうことがあるということ。
たとえば、高齢になった家族に対して、「もう無理しないで」「私が代わりにやっておくよ」と優しさから日常の役割を奪ってしまう。
でも、それは当人からすると、「自分の存在価値を否定された」と感じてしまうのです。
・料理を作る
・孫の送り迎えをする
・毎朝新聞を取りに行く
そんな“日常の小さな役割”が、本人にとっては人生のゴールであり、生きる意味そのものだったりするのです。
その役割を奪われたとたん、急速に老け込んでしまう。
中には、認知症のような症状が現れる人もいます。
それほどまでに、「ゴール」は人間の心身に影響を与えるのです。
「人は未来から時間が流れてくる存在である」
どんなに年齢を重ねても、
どんなに体が衰えても、
-
もう一度あの人に会いたい
-
あの場所に行ってみたい
-
誰かにありがとうを伝えたい
そんな未来がある限り、人は若返り、命が輝き出すのです。
もしも、あなたが高齢の親御さんと関わっているなら
あるいは、自分自身が“その時”を考えるようになったなら
「生前整理」ではなく、「未来創造ノート」を始めてみませんか?
これから行きたい場所、やってみたいこと、会いたい人、学びたいこと…
そうした未来の“ゴール”を書き出すノートです。
それは、心を若返らせ、人生をもう一度動かし始める“命のノート”になります。
心臓が止まれば、身体は動きません。
同じように──
ゴールを失えば、人生は止まってしまうのです。
あなたは、どんな未来を生きたいですか?
どんな自分に、これから出会っていきたいですか?
人生はいつでも、“再起動”できます。
ゴールがある限り、人はいつでも蘇れる。
人にとって、最も深い絶望とは“未来を諦めた瞬間”である──それを避けるために、今この瞬間から“未来”を描き直してみてください。