一日が一生、と思って生きる | 56歳人生5社目の再就職 放浪記(旧Tokyo単身赴任放浪記)

一日が一生、と思って生きる

わたしの心の支えである大阿闍梨 酒井雄哉さんの本(「一日一生」朝日新書2009年2月15日第10刷発行10頁~12頁)から少し長いですが書き出してみました。


一日が一生と思って生きる


行(ぎょう)に入ると、草鞋(わらじ)を履いて出て行く。登りが10キロ、わりと平坦な道が10キロ、下りが10キロの道を毎日ぐるぐる歩く。そうして一日山を歩き通して帰ってくると、草鞋がくたびれてボロボロになっている。翌日はまた、新しい草鞋を履いていかないといけない。

それを、毎日毎日、繰り返していたら、ある時、草鞋が自分に見えてきたんだ。

草鞋はボロボロになっちゃった。もし自分が草鞋だったら、今日でおしまいなんだなあって。明日になるとまた新しい草鞋を履く。それは、また生まれ変わるみたいだなあって。一日が終わって、また生まれ変わる。草鞋も人間も同じなんじゃないかって。


山をトットコトットコ歩いている時は、動きの世界。一日履いた草鞋を脱いで、お経を上げたり、横になったりしている時は、静かな世界だ。静かな世界が終わると、朝になり、また動きの世界が始まる。動と静っていうのは背中合わせ。動があるから、静があり、静があるから、動がある。


人生で置き換えるなら、「動」というのは生きること。「静」というのは死の世界。生まれるから死んで、死ぬからまた生まれる。


今日の自分は草鞋を脱いだ時におしまい。そこからは明日生まれ変わるために、一生懸命反省すればいい。復習するわけだな。今日はなぜこういう悪いことがあったのか。じゃあ明日は二度と再び同じことは起こさないように努力しましょうって……。


そしてまた、新しく蘇って出て行く。今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる。


一日が一生、だな。今日失敗したからって、へなへなすることはない、落ち込むこともない、明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない。


それには、今日を大切にしなかったら、明日はありませんよっていうことでもある。今が一番大切だってことだよ。


今自分がやっていることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないのかな。



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