ご存じのように大地震。
この日。
普通に、ひまりとセイディを送って
家で仙台に住む同僚と連絡取りながら仕事。
2時に仕事が終わって。
ひまりが帰ってきて。
駅の近くの警察署に用事があったので
自転車のうしろにひまりを乗せてもう警察署の目の前で
信号待ちしてるときに、揺れを感じました。
信号機が大きく揺れ、真下にいたので危険と感じ、
とりあえず、横断歩道をわたって
だんだん揺れが大きくなってきたので、
何も倒れて来なさそうな所に、
自転車からひまりを降ろし、
地面にしゃがんだ。
モノレールの線路が不気味な音を立て、
怖さを倍増させていた。
時間が止まったかのように、
青信号でも車も1台も動かず、
皆静かにその場にしゃがんでた。
今までに経験した事のない大きな揺れに
ひまりを抱きしめながら、
心臓ばくばく半泣き状態。
怖くて、しゃがんでもいられず、
お尻をついて座ってた。
『怖いね~。地球から怪獣が出てくるのかな』
なんて言うひまり。
地震がおさまった後も、怖くてしばらく動けませんでした。
人が動き出して。
普段だったら絶対しゃべらなそうなおじさんや
通りすがりの就活生みたいな女の子。
『今の、震度いくつですか!?』
『怖かったですね・・・』
みんな、本当に怖かったみたいで
気遣い合ってた。
この日の計画は、警察署行って、
お買い物をして帰るはずだった。
でも、怖くて怖くて判断がつかなくて。
セイディに電話しても実家に電話しても不通。。
家に帰るのも怖くて、
とりあえず、警察署に行った。
ひまりは、また揺れたら怖い。と
建物の中に入るのを嫌がった。
でも、なんとなく、警察署だと安心な気がして、
なだめて入った。
警察署の中も騒然としていた。
署内でも、みんな
『大きかったですね。』などと
会話をしてた。
会話をしながら、涙が出るのを必死で堪えたけど
手が震えてた。。
ひまりが
『地球が揺れたんだよ。怖かった。』
と一生懸命説明するのも
優しく耳を傾けてくれてました。
用事が終わって、帰るか、どうするかしばらく考えて、
結局家に帰った。
帰り道、オレンジの煙が港の向こうに見えた。
今まで、あんな煙見たことない。
地震のせいだろうか・・・
考えながら、家に着いた途端、
2度目の地震が起きた。
家の前の立体駐車場がもの凄い揺れ、
ひまりとレイアを抱きしめて
何か倒れて来ても当たらない場所でしゃがみ込んだ。
落ち着きのないレイアも怖かったのか、
じっとしていた。
地震が落ち着いてテレビを付けると、
東北ではもっと大きく揺れたのを知った。
(後々千葉でも、震度6弱だった事を知った。)
同僚はどうしてるんだろう。。
即座に内線かけたけど繋がらず。。。
被害があったと察知し、
けがしてないか、大丈夫か、、
もの凄く心配になった。
しばらくして、別の同僚から、
その同僚が家はめちゃめちゃだけど、
無事だったと聞き安心する。
だけど、停電になっちゃったので、
仕事を変わって欲しい、といわれ、
二つ返事で引き受けた。
テレビに映る津波の映像。
ディズニーランドが液状化してるのも見た。
実家が心配になるけど電話が全く繋がらない。
携帯も繋がらない。
セイディも繋がらない。
地方なら繋がるかも・・・とふと思いつき、
福岡にいるおばあちゃんに電話。
やっと、誰かに繋がった。
とりあえず、無事であること。
母と連絡が取れないので、もし連絡があったら
無事だと伝えて欲しいと伝える。
我が家は東京湾沿いの港のすぐ近く。
東京湾にも津波警報が出ている事を知り。
怖くなり、仕事を放棄して、(ごめんなさい。)
マンションの上の方に、津波の様子を見に外に出た。
幼稚園のママに会い、
子供たちが怖がっていて帰れないと話していた。
しばらくすると他の住人が避難をしようと
荷物を持って、階段を降りていた。
◯◯駅の方が高台で安全だから、
そっちに避難する。
と言われ、
そんな事を聞いてしまったら、
1階の我が家が避難しないわけにはいかず、
幼稚園のお友達と、『じゃあ、一緒に避難しよう。
荷物まとめて、下で会おう』と約束し、
荷物をまとめに家に帰るけど。。。
若干パニックで何を持っていいか分からなくて。
とりあえず、着替えと毛布とひまりのお菓子と
セイディの薬を詰めてマンションのロビーに。
マンションの住民が何人も下で待機してた。
管理人さん曰く、
津波が本当に来るときは、車が迎えにくる。
だから、大丈夫。
みたいな。
みんな、どうしていいかわからず、とりあえず待機。。
水が、2月に賞味期限切れちゃって、補充してなかったので
水の確保がしたくて、近くのコンビニに、
ママ友家族と向かう。
レイアをどこかにつなげられないかと探していると。
バーン
と、爆発音とともにコンビニの窓が揺れ、
オレンジの煙が出ていた所の空に
オレンジ色の光が大きく光った。
(上層階の人は、爆発の炎が見えたと言っていた)
慌てて、水を買って、マンションに戻る。
どうやら、対岸の石油コンビナートが爆発したらしい。
結局、マンションの下でずっと皆でどうする事もできず
足止めくらっていたけど、津波は来なかった。
相変わらず、セイディとも実家とも全く連絡取れず。
電車も全く動いていなく、
ひまりと二人でいるのも怖い。。
それはみんな同じだったみたいで、
パパが都内勤務で帰って来れない、
幼稚園のお友達2家族と
『死ぬときは一緒に死のう』と
一緒にうちで一晩過ごす事にした。
メールも電話も一向に繋がらず、
徳島の弟の家電に連絡がつながり、
実家が無事だと聞きとりあえずほっとする。
子供たちは、地震の不安の中だけど、
お友達と一緒に過ごせる事が嬉しいみたいで、
楽しく遊んでた。
それに、なんだか和んだ。
有り合わせで皆のご飯を作って食べた。
余震が続いたけれど、
みんなと一緒だったのが心強かった。
子供たちも、怖いと言いながらも、

みんな一緒にいるから、安心感があったのか
なんとか眠りについた。
10時頃、やっと母親と連絡が取れた。
家が液状化して、泥が溢れ出て来て大変な事になってると言っていた。
家がそのせいか傾いてる。と。
セイディとも、やっとPCメールで連絡ができた。
そして、スカイプで話し、
会社に泊まり、明日帰ると話しをした。
何度も余震が続き眠れなかったけど。
朝になって、テレビに映し出される光景に
映画かドラマでも見てるんじゃないかと
呆然とした。。
パパたちが帰ってくるまで皆一緒にいた。
去年の今頃にもし地震が起きてたら、
誰もマンションに友達がいなかったので
きっと不安な夜を過ごしたと思うと、
こうしてみんなと一緒に過ごせた事に感謝した。
ご近所付き合いの大切さを知った。
怖かったけど。一緒にいれたこと。
みんなのためにご飯を準備したり、
少しは、人のためになれたことが
嬉しかった。
翌日、昼間セイディが帰ってきた。
ほっとした。
不安な夜を過ごす間、
テレビで被害を見ている時、
いろんな人が頭に浮かんで、
みんな大丈夫なんだろうか・・・
と心配でしょうがなかった。
全く連絡が取れない仙台の同僚。
津波の被害を受けた旭市に住む友人。
大津波警報が出てた、九十九里の海から徒歩5分に住む中高の親友。
危ない現場に行っているであろう消防士の友人。
どこか分からないけど
コンビナートの辺りの工場で働いていると言っていた
ワードのペルー人の会員たち。
みんな無事だった。
良かった。。。
でも。
市原のコンビナートのチェーンメール。
ウソっぽいとは思ったけど。
あまりに近所すぎて怖かった。
てか、マンションのエレベーターに
張り出されたもんだから。
最終的に本当だと信じてしまった。
ああいう、いたずら。
本当やめて欲しい。。。
とりあえず、地震の日の
個人的な記録をしてみました。。