怒りのカタマリ | あなたがおしえてくれたこと

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娘が拒食症になりました。恐怖と悲しみの暗闇の中で、少しずつ少しずつ手探りでかすかな光をとらえ始めました。娘の病気を通して分かり始めたワタシの心のこと、主人の心のこと、そして家族のあり方のこと。

私はいつも怒っていた。


誰かのちょっとした理不尽な行為に怒っていた。


見知らぬ誰かが私の前をノロノロ歩いていると、まるでわざと自分の邪魔をされているようでイライラした。


誰かの失敗にもイライラした。


イライラ、イライラ、イライラ…💢


生まれつきの嫌な性格だと思って、そんな自分が嫌いだった。


いつも怒っている人は、心のどこかでそんな自分を嫌っている。


このイライラは私たちの「怒りのカタマリ」の反応だ。


本当は今の目の前で起きていることに怒っているのではない。


ずーっと傷ついてきて、これ以上傷つきたくない私たちの中にいる小さな子供が、「怒りのカタマリ」の鎧を着て、傷つかないように傷つかないように…


ささいなことにも一生懸命、怒りの反撃をしている。



この怒りは本当は、この「怒りのカタマリ」の元になった人に対する怒りだが、気づいてあげられていないと、発露を求めて、どこかしこで爆発する。



そして、私たちの中の小さな子供は、そんな自分を無視している自分自身にも怒っている。



私がカウンセリングを始めてしばらくした頃、自分のその「怒りのカタマリ」に気づいた。



元旦那に対する抑圧した怒りだったが、もっと遡れば母への怒りだったかもしれない。



気付きたくなくて抑圧していたが、気付いてしまったら、ドロドロと溢れてきた真顔


真っ黒でドロドロでものすごく気持ち悪い感覚だった。



イライラしているのは、そんなふうにに生まれついてきたからじゃあない。



「怒りのカタマリ」に気づいてあげて、ドロドロを感じてドロドロを認めてあげたら、自然とドロドロが小さくなった。


あれから10年。


今は滅多なことではイライラしない。



「 怒りのカタマリ」ではなくて、柔らかな心が些細な衝撃は吸収し、ちょっと大きな衝撃には少し凹むけど、しばらくすると戻っている感じ。



「 怒りのカタマリ」が反応しなくなると、自分のことをちょっといいな照れって思えるようになる❣️