航空自衛隊の峯岡山山頂のレーダー
(千葉県館山市)は、8月12日午後
6時25分、JAL123便がエマージェン
シースコークを発してから、チャー
リー訓練空域のF-4EJを、スクランブ
ル発進させ、6時57分、レーダーから
機影が消えるまでを、リアルタイムで
追跡して7時4分まで墜落地点を攪乱さ
せますが、海外報道から飛行から墜落
まで克明に画像撮影されていた事が分
かっています。
災害派遣要請を遅らせていましたが、
バートル(救援機)と、偵察機は飛ばし
て、火炎放射器の使用中と後を鮮明に
撮影した後、帰投させて、8時33分に
航空自術隊中部航空方面隊の司令部
(埼玉・入間)災害派遗要讀を受け
入れる流れでした。
陸上自衛
隊災害派遣には、届いておらず、待機
状態で、123便第四エンジンの粉砕し
た破片や、米軍大型輸送機(擬装、遠隔
操縦機体)の大破残骸回収、123便のエ
ンジンや尾翼回収、高速、低速標的機
の回収が行われていました。
こうやってみると、南相木村の役場
で沢山の隊員が寝ていたと言う状況
の説明になりますね。
陸上自衛隊災害派遣
千葉県船橋市の陸上自衛隊習志野駐屯地
第1空挺団の隊員、22時の消灯時点では
派遣要請などの命令はなく深夜に直室に
行き、「防衛庁長官からの命が下るはず。
ヘリからリペリング(ロープでヘリから
直接下降すること)し、災害派遣する事
になる」と聞きましたと語っています。
「早朝4時過ぎに命令受領ラッパが鳴り、
背のう(リュック)に水筒や乾パンを
詰め込み、V-107に乗った」と語ってます。



