自分のけじめのために書くものなので、愚痴や暗いネタが嫌な方はバックしてください。
どこかで終わりにしないと一生でも考えそうなことなので
今終わりにすることにした
うじうじ感情の中に浸っていても、多分前には進めないし
自分から抜け出す努力が必要だから
けじめのために
こんな形で終わっても、平和な方だった。
人に対する感情なんて、そもそも一言に集約できるようなものではないから
だから、複雑に入り混じっては頭の中を駆け回るいろいろな感情を
整理することも、醜い感情を抑えて清く弔う気持ちだけを持たねばならない、と思うことも
しなくていいんだと思う
私は死んだ人間を幸せにする方法なんて知らない
供養することが社会的に必要であることは理解するし
最低限のことをする意思もある
でも
供養に時間やお金をかけるのは、生きている人間の自己満足にすぎない
だから私は
供養のために金や時間をつぎ込めみたいなことを言う宗教は大嫌いだ
それでも何かできることはないのかと
何かしなければと
どこかから聞こえてくる
できることがあるんだったら
とっくにやってる
生きている時も今も
手を尽くしてボロボロになっても、
何度悔し涙を流しても、
這いつくばって耐えても、
100万回祈っても、
何も変えられなかった
私たちの絶望なんて
あの人たちにはわからない
分かってもらう必要もないし
それでも独りになる度
脅迫みたいに迫ってくる
それは愛情からなのか
後悔からなのか
ただの後ろめたさからなのか
そうやって
追い詰められた自分を見て
引きずり込まれそうになる自分を見て
また昔みたいに固執や執着の中に身を投じるのは危険だと訴えるもう一人の自分がいる
そこに入るなと
でも
そもそも
解放や自由なんて言葉は
長い人生においては一時的な気休め以上のものにはならない
きっとこれからあと何十年も
この複雑で入り混じった居心地の悪くなる感情と
付き合っていかなければならないんだろう
時間の流れとともに、受け留め方も変わるかもしれない
もっと楽に振り返るようになるかもしれない
でもなかったことになんかならない
何も変わらない
置き去りにされた感情はそんなに簡単には消えないし
長年付き合ってきた心の片隅にある不安も
相変わらずに存在感を発揮している
それでも構わない
どれだけ重くても
ちゃんと抱えて生きていく
私には支えたい人たちがいるし
守りたいものがある
今
この出来事を介して
生きる目的や意味が
自分以外の誰かによって与えられたものじゃないことを確認しただけだ
今自分にできることは
今まで通り普通に生きる
それだけ
だからこれで終わり
私は生きている人間のために生きる
生きている人間のために金を使う
清く慎くなんていう生き方を受入れるつもりはない
精一杯人生を謳歌してやる
少なくとも私たちにも幸せを追う権利ぐらいあるはずだ
だから
こんな私だから
堂々と言えるのはこれだけしかない
今までありがとう
生まれてきてくれて
生きてくれて