「ああモンテンルパの夜は更けて」 とらカラ008

作詞:代田銀太郎、作曲:伊藤正康、唄:渡辺はま子・宇都美清、カバー:とらじろう

音程外れですけど歌ってみました。
中学2年生の時に音楽担当の吉田敏文先生が、休み時間にこの曲をピアノで弾いていたのを聴いたのが懐かしい思い出です。
この曲を聴くと必ず思い出す恩師の吉田敏文先生の面影が浮かびます。
ビデオ制作にあたっては「二木紘三のうた物語」の《蛇足》から抜粋させていただきました。
この歌はフィリピンのモンテンルパにあるニュービリビット刑務所にいたBC級戦犯と女性歌手との交流から生まれました。
作詞の代田銀太郎は1914年長野県出身の陸軍軍人で最終階級は中尉。
作曲の伊藤正康は1923年愛知県生まれの陸軍軍人で最終階級は陸軍大尉。復員後は陸上自衛隊の要職に就く。
昭和27年1月、歌手の渡辺はま子は来日したフィリピンの国会議員から、多数の元日本兵が収監されて処刑を待人たちがいると聞いて衝撃を受けお香を同刑務所宛に送りました。
昭和27年6月、刑務所の戦犯から「ぜひ渡辺さんに歌っていただきたい」という手紙とともに、歌詞と楽譜が渡辺はま子のもとに送られてきました。
ただちに渡辺はま子がビクターに持ち込みレコード化され発売されると瞬く間にベストセラーとなり現地にも送られました。
それだけでは満足しなかった彼女は「現地の戦犯たちの前で歌いたい」と、一般国民の海外渡航禁止下の困難を乗り越え同年12月下旬、彼女はやっと同刑務所で109人の戦犯たちを前にこの歌を歌うことができたのです。
釈放や減刑を請願する際にキリノ大統領にこの曲を聴いてもらって内容を説明すると、彼はマニラでの日米の市街戦に巻き込まれて自分の妻と娘を亡くした辛い記憶を物語りました。
昭和28年7月22日、フィリピン政府から特赦を受けた日本人戦犯たちは白山丸で横浜港に帰ってきました。



ご訪問ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。