はい、というわけで連載してきております、37歳の私が免許を取ったお話ですが、意外にもリアルのお友達や長いお仕事仲間などから、「読んでるよ」という声をかけていただいております。
意外です。今までこんなことはなかったので驚いております。と同時に、こんな話を面白がってくださりありがとうございます。
ちゃんと免許証を手にするところまで書かなきゃというプレッシャーで数日、筆が進みませんでした。
嘘です。
……。
……。
気を取り直して続きです。
さあ!
私の入校から約1週間後、ちょうど仮免許を取ったころに、なぜかマニュアルの普通免許取得を目指す人がわんさか入校してきました。
なんと4人も女性がいます。みんな20代前半で、「マニュアル、難しいですよね!」と言っています。ちょっとだけ話題が共有できてうれしい37歳はこちらです。
しかし、どう見ても私が経験した仮免前の1週間の状態よりは、すでに運転できているような気がします。
実際の運転は見てないけど。見てないけどなんかそんな匂いがします。(←それはわたしが卑屈なんだと思う)
それにしてもうらやましいのは、同じタイミングで入校した人がいると、「複数教習」といって何人かで1台の車を交互に運転する授業があったりして、他人の運転を見ることができることです。
私はまるで一匹狼だったので、ほとんどの授業が教官と1対1。たくさん練習できる点は私にとってはとてもありがたいことだったのですが、路上に出ると2時間続きの教習になったりして、2時間一人でドライブしたときは正直ヘトヘトになりました。
教官が気を遣ってくださっていろいろ話しかけてくれるのが、かえって運転に集中できないんですけど(ごめんなさい)、そうこうしていると案の定スピードが落ちています。
雑談中にも容赦なく「アクセル踏みましょうか」「スピード上げましょう」と言ってくださる教官のスパルタに感じ入りました。
路上に出ることに少し慣れてきても難しいのは、どうしても道路上の走りたい位置を走れないことでした。寄せようと思っても全然寄せきれないし、キープレフトできないし。かと思うとすごい中央線に寄ってしまったり、道路上にはみだしている街路樹に接触しちゃったり。
教官いわく、「人間は、見ているものに寄っていく習性がある」のだそうです。
「ああ、あそこぶつかりそうだな」とか「なんか気になるからあっちに行かないようにしよう」と思えば思うほど、近づいていき、最終的にはぶつかりにいってしまうのだそうです。
それ、なんか、わかります!
物理的な話だけじゃなく、精神的にもそういうことは多々あります!
「あんなふうになりたくないな」「なんだか気になっていやだな」と、思えば思うほど、そういう傾向に近づいていってしまうということがあります。
かといって、見ないようにするということも、結局はそこを大変気にしているということであって、結局そこに寄っていってしまうというのは、本当によくわかる話です。
2週間近く学生生活をしてきて、いままでやったことのないことを習得しようとする日々を送っていると、「できない自分」に対して、あれこれ考えることが圧倒的に減りました。
できない自分であることに関して、他人がどう思うのかとか、
できないという現実に対する言い訳とか、
「できてませんよ」という指摘に対する羞恥心とか、落ち込む気持ちとか、そういうのって、
「本当の自分は違うんだ、本当はもっとできるんだ」って考えているから生まれるものなのかもしれません。
でも、とりあえず「車の運転」に関しては、100%私は「本当に運転ができなくて、不器用な遺伝子を持っている可能性が高くて、しかも性格も運転に向いてない」ということがはっきりしました。
入校したその日に受けた適性検査の結果は腰が抜けるほど悪かったのです……。
救われるのは、「これは、運転をしてはいけないということではなくて、自分の考え方とか性格の癖を知ることによって、運転に生かすためのものです」とちゃんと言ってくれることです。
自分の姿を自分で見るということはこんなにむずかしく困難なことなのだなあ。と改めて思いました。
まもなく卒業試験です。
(つづく)