藤山一郎さんとの思い出(3) | ヴォーカル三昧~観たい聴きたい語りたい

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『藤山一郎さんとの思い出』(3)


古賀・服部・古関 お三方の作品でのお気に入りは?
古賀政男作品では「夜の湖」藤浦洸・詞(昭和27)、服部良一作品では「銀座セレナーデ」村雨まさを=服部本人・詞(昭和21)が特にお好きとおっしゃっていたが、いずれも普段取り上げられる機会の少ない作品である。
古関裕而作品では複数お有りのようだったが詳細を聞き漏らし残念。「長崎の鐘」サトウハチロー・詞(昭和24)が格別に思い出深いと仰っていた。

随筆「長崎の鐘」の著者・永井隆博士は、サトウハチロー作詞/古関裕而作曲/藤山一郎歌唱による「長崎の鐘」に甚く感動し、三氏に「新しき」という短歌を送っている。藤山さん作曲の「新しき」は自身のコンサートで披露し、レコーディングもしているが、古関さんが主賓のテレビ番組やコンサートでは披露を遠慮していた。公表は遅れたが、古関さんも作曲していた事を承知しており、その辺りを配慮した結果であろう。古関版はだいぶ遅れ、声楽家・藍川由美によってレコーディングされた。いずれも本編に続き歌われる。


NHK『ビッグショー』では、藤山さんと美空ひばりの回が続いた事があった。「番組中のひばりの観客に対する態度・発言が傲慢だ」と新聞の視聴者欄に投書があった。比較として名前を出されたのが藤山さんだった。番組の終盤、藤山さんは観客席に向かって両手を合わせていた。

「藤山さん、美空ひばりという歌手をどう思いますか?」勇気を振り絞って尋ねてみた。
「あの人は“役者さん”だからねぇ」・・・たったその一言で片付けられてしまった。
「お好みの女性歌手はいらっしゃいますか?」
「倍賞千恵子くんかな」
二人きりだから訊けた質問である。
それにしても美空ひばりが役者で、倍賞千恵子が歌手という返答は面白い。SKD出身の倍賞は映画デビュー以来、レコードを出し続けヒット作もあるが、一般的には"女優"のイメージの方が強いだろう。何と言っても「さくら」さんですからね。


この辺りでようやく、藤山さんが「エバっていた」のかもしれない件について書かせて頂く。

今までの項で、古賀政男と美空ひばりとのエピソードを読んで頂いたので、既に気づいた方もいらっしゃるかもしれない。

古賀政男・美空ひばりの共通点は…お二方とも「音楽学校出身」ではなかった。
片や藤山さんは「東京音楽学校=現・東京芸術大学」首席卒業生である。従って、お二方を「見下していた」と思われるふしがある。
私の質問に対する藤山さんの発言でもわかるように、相手をバッサリと斬り捨てている。
そういう態度が「エバっている」と見られたのだろうと推察するに至った。
しかし、これはあくまで私の“推察”である。

もう一つ気になる不仲説。
「藤山一郎と東海林太郎は仲が悪かったらしい」という“噂話”はネットで目にすることはあるが、具体的な証言記事は一つも見当たらない。
若い頃、お二人で何度か『二人会』を開催していたという話はテレビ番組のトークで聞いたことがある。東海林さんが早稲田出身、藤山さんが慶応出身ということもあり、観客席が早慶戦(慶早戦)の如く真っ二つに分かれ燃えあがっていたとコメントしていた方がいらっしゃった。その辺りが不仲説の発端なのかもしれないが、この件も含め、東海林さんに関しては残念乍らお尋ねする機会が無かった。


最晩年、「“藤山一郎”やってるのにも疲れたよ」とおっしゃった事がある。
見事に演じ切った・・・と言いたいところだが。
体調を崩されたあとの最後のNHKテレビ出演だけは、どうして出演依頼を受けたのか疑問が残る。
何故かと言えば・・・

六十代後半の時、或るステージで気になる場面があった。
「先日、珍しく涙を流されてましたけど、どうされたんですか?」
「あの時はね、伴奏*がとても素晴らしくてね。感動して、つい」
 *補足 / ピアノ:福田和禾子(歌手・松平晃のご息女)&エレクトーン:桐野義文
「藤山さんには泣いて欲しくないんですけど。涙ながらの熱唱が似合う人もいるでしょうけど」
「君の言う通り。プロとして失格、自分でも反省してる」
このやりとりを聞いていた古参ファンの方から
「先生に対して、なんであんなに失礼な事を言うんですか。気をつけなさい!」と、かなり厳しくお叱りを受けた。

実はこの一時期、藤山さんは引退を考えていた。そのあたりの思いが涙を誘ったのかもしれない。
私は正直に疑問と苦言をぶつけた事を後悔していない。そういう普段の態度を見て、藤山さんは信頼して接してくれたのだと信じているからだ。

完璧さを誇りとし、六十代後半で引退を考えた人が、何故最後のステージでボロボロの歌を人前で披露したのか、今でもそれだけが謎。不思議でならない。


横浜市内の公会堂で 渡辺はま子さんとのジョイント・コンサートがあり、その控え室で、私が初めてライナーノーツ(解説)を担当したアメリカのクルーナー歌手ペリー・コモのアルバムを差し上げた。
この時は、半年以上もお会いしていなかったので「おぅ、平日なのによく来れたなぁ」と、こちらが驚くほど喜んでくださり、1週間もしないうちに「久しぶりに会えて嬉しかった。元気そうなので安心した。ペリー・コモ良かったよ」という殆んど同じ内容の二通の葉書が連続で届いた。あれっ?ボケちゃったかな、と不安にも思ったが、その気遣いはファンにとっては最高のプレゼント、それはもう“宝物”である。
直後のNHKラジオの公開収録へのお誘いも受け、お会い出来るのを楽しみに出掛けたのだが、放送ブースのガラス越しの挨拶だけに終わってしまった。ブース入口前で「中に入れろ。藤山一郎に会わせろ!」と警備員ともめている観客がいた為、トラブルを避けようと入室を遠慮したのだ。
残念ながら、その後暫くして藤山さんが体調を崩されたので、それきりお会いする機会を得なかった。

ファン冥利に尽きる出会いに感謝!
素敵な思い出をたくさん頂けたことに更に感謝!

(以上、この稿終わり)