STAR!STAR!STAR! | 元祖!ジェイク鈴木回想録

元祖!ジェイク鈴木回想録

私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

(※本稿はTHE ROLLING STONESの「Starbacker」とはまったく関係ありません。)
 
 mixiで知り合ったLED ZEPPELIN仲間で、このブログにも度々コメントを頂いているjimmy pageさんとぼくは同イ歳で、彼の御母上は郷 ひろみのファンらしい。
また、そのjimmy pageさんのお友だちのFさんの御母上は沢田 研二。
FさんやFさんの御母上のご年齢は知らないけど、LED ZEPPELIN繋がり故に親子共々ほとんど同世代とみても差し支えないだろう。
 ちなみに、長嶋 茂雄と同じ1936年生まれのうちの母親の場合は西城 秀樹。

 しかし、何で皆んな我々の時代のスターなんだよ!?

 我が家の例を改めて想い起こしてみると・・、西城 秀樹が我が家のブラウン管に初めて登場したときに唄っていたっちゅうか絶唱していた唄は「情熱の嵐」だった。
まるでエルヴィス・プレスリーのような、フリンジがたくさん着いた真っ白いぴらぴらした服装で、汗水垂らしながら絶唱していたことがことさら印象的だった。
jimmy pageさんやぼくが小学校6年生で、LED ZEPPELINの『永遠の詩』に収録されている、ニューヨークのマジソン・スクウェア・ガーデンに於ける3daysライヴが開催され、伊集院 大門が割腹自殺を遂げた1973年の夏のことである。

 ごくごく典型的な教育ママだったうちの母親は当時、TV画面に映っている西城 秀樹に対して、

「唄がヘタなもんだから、ああして動き回って誤魔化している。」

 と、その激しいアクションに先ず否定的だった。
しかしその一方では、唄の前後に深々と丁寧にお辞儀する森 進一について、

「あのひとは唄はヘタなんだけど、ああして丁寧にお辞儀をするから認められたんだよ。」

 と、実力以外の努力や謙虚さの価値や必要性もこの世に存在していることを、たかが歌謡番組を観ている最中にその長男に諭していたりもする。

「西城 秀樹が好きなんじゃくて、西城 秀樹の声が好きなだけ。」

 自分は決してミーハーではなく、あくまでも音楽に対する正当な感慨であることを主張するのは、さすがその長男が音楽について、あれやこれやとあることないことを記すことを生業にしているだけのことはあるだろう。(笑)
 また、滅多矢鱈に男性を好きだ、などとは云わない古風な女でもある。

 歌手が動きながら歌うアクション歌謡が大流行したのは、1966年に「こまっちゃうナ」でデビューした少女歌手だった山本 リンダが、大変身を遂げてカムバックした「どうにもとまらない」(:1972年)からだ。
そして、それをもっと大袈裟に拡大表現していったのが運動神経に優れた、西城 秀樹やにしきの あきらであり、横須賀くんだりのド田舎の一部の山間部のサルだかひとだか判らん少年たちは先ず、その解り易い運動神経こそ〝カッコイイ!〟と賞賛したものだった。
 それ以前には森田 健作がいたからね、ほら剣道2段の。(笑)

 同時期の郷 ひろみは「裸のビーナス」のギリシャ神話のようなコスチュームが非常に少女漫画的で、それだけでも自ずからマーケットが見極められていたものの、横須賀くんだりのド田舎の一部の山間部のサルだかひとだか判らん少年たちにしてみれば、ただただ気持ちがわるくて胡散臭いだけだった。
彼も運動神経が活発だったことは云う迄もなく、いま以上に激しく踊りながら唄っていたものだが、彼の場合はさすがジャニーズ事務所所属だけあって、いま想い浮かべると、その踊りやアクションが非常に洗練されていたような印象がある。
西城 秀樹も郷 ひろみも、それが歌手という商品である以上、それなりの販売戦略やコンセプトがあるわけで、郷 ひろみのそれに対して、西城 秀樹は先ず野性的であり直接的であり、また自由奔放でもあったような・・。

 なお、渡辺プロダクションの沢田 研二の踊りは、〝ドリフ大爆笑〟のエンディングのザ・ドリフターズと大差なく、それはそれで着実な日本の古典芸能だったような・・。
もっとも彼の場合は、その前の時代を一世風靡していたGSからの復活であり躍進であり、郷 ひろみや西城 秀樹のような新進とは先ず〝格〟が異なっていたんだけどね。

 うちの母親が「西城 秀樹の声が好き。」などと口走るようになったのは、ぼくが実家で起居していた末期だから、遅くても1980年くらい・・、44~5歳くらいからである。
戦前生まれの彼女にも、戦後には当然〝青春〟なんちゅう時期があり、石原 裕次郎の映画をよく観に行っていたと訊かされていたはずなのだが・・、

「裕次郎? そんなお婆さんの趣味じゃあるまいし・・。」などとのたまふ。

 そこで重要な事実を想い出した!

 母親の母親・・、つまり、祖母が好きだったのがその石原 裕次郎で、何しろ明治生まれの高齢故に、ぼくが中高生くらいのころにはもう夜は暗くなるとすぐ寝てしまっていたのに、毎週金曜日だけは「太陽にほえろ」を観るために、夜9時まで頑張って起きていたのである。
何たって、TVのハコの中に実際に野口 五郎が住んでいると信じているような世代なんだからねえ・・、刑事ドラマなんぞ、まるっきし解ってはいないものの、

「あ、裕次郎が笑った。」とか、
「何か困ったことがあったみたいだ。」とか、
「さあ、大変だ。」とか、それはそれはもう楽しみにしていたものだった。

 だから一瞬、石原 裕次郎を祖母の時代の〝スター〟のように錯覚してしまうものの、1896年生まれの彼女の時代にそもそも〝スター〟どころか青春時代なんちゅうもんがあったのかどうか?
仮に〝スター〟なんちゅうもんが有効な年齢を13歳くらいからと仮定してみたところで、祖母の13歳は1909年・・、明治42年じゃあ石原 裕次郎が生誕するまで、まだ25年も待たなければナラナイ・・。(笑)

 祖母が石原 裕次郎を贔屓にしていた理由には、当時80歳代半ばで現存していた彼女の唯一の弟が、ユウジロウという同名だったからかも知れない。
89歳で永眠した祖母の葬式に、86歳(だったかな。)という高齢で参列して号泣していたそのユウジロウさんは、兄弟とか肉親の情がそんな高齢になっても果てないことを、当時のぼくに伝えてくれたものだった。

 あながち見過ごしたり訊き過ごしたりしてしまうことを、こうしてWikipediaなどで手軽に調べられるようになった事実から解明してみると、結構おもしろいよね。

 危険なことは、知らない前時代をすべて前時代として一括してしまうことだ。
かつて、某音楽雑誌で「LED ZEPPELINやAEROSMITHなどの古いロック・・」っちゅう記述を観て以来、その雑誌を俄然認められなくなってしまったものの、それが異なる前時代を一気に全部、前時代としてまとめてしまった最悪の例で、仮にそのひとにとって前時代だったとしても、例えばそのひとよりも年上のひとにとっては前時代ではないことも頻繁にあり得る認識の著しい欠如っちゅうことになろう。
 LED ZEPPELINとAEROSMITHは、少なくても〝同時代〟ではないんだから。

 祖母はたぶん老いてから、その末娘であるぼくの母親が夢中になっていた石原 裕次郎・・、母親もまた中年を過ぎてから、弟やぼくが子どもだったころの西城 秀樹・・、つまり、ふたりとも自らの青春時代ではなく、我が子の青春時代の〝スター〟を選んでいる。
幸か不幸か、ぼく自身にはあいにく、少なくても認知している子どもっちゅうもんが現存していないため、親心なんちゅうもんはまったく解らず、また特に知りたくもないものの、例えばぼくに13歳の娘がいて、例えば東方神起のファンだったらまだしも、例えば(自らもある程度かっこいいと思われる)DAIGO☆STARDUSTだったら自信ないなあ・・。

「LED ZEPPELIN? そんなもんはジジイが聴くもんです。
いまはだんぜん、DAIGO☆STARDUSTでしょう!」なんて云ってたりしてな!(笑)

 ちなみにうちの母親の最新情報は、

「西城 秀樹? そんなお婆さんじゃあるまいし・・。
いまはだんぜん、香取 慎吾でしょう!」などと、あくまでも自らの〝お婆さん〟を否定し続けている。


※参考:Wikipedia
※文中敬称略