1,600万円の買いもの | 元祖!ジェイク鈴木回想録

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私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 多摩美術大学に支払った600万円は果たして高かったのか?安かったのか?

 いやいやいやいや、両親は入学金や授業料に加えて寄付金も納入していたはずだから、600+500で1,100万円・・、そのうち1年留年した加算ぶんの追加授業料100万円だけは追浜(=おっぱま:横浜市に隣接した横須賀市北東部の地名)の日本エアブレーキ(株)や久里浜の日本ビクター(株)の工場で働いて自己補填したものの、あの生真面目な両親がこのバカ息子に費やした学費は総額1,000万円にもなる
さらに仕送りとか、夏期や春期の長期休暇に於ける養育費(?)を月10万円としても10×12×5で600万円・・、5年間で合計1,600万円だから、平たくしても年間320万円!

 うちの家計は元銀行員であり、O型であることが関係するかどうかは判らないけど、明治維新以来(笑)、苦渋を飲まされ続けてきた没落士族出身で現実主義者でプライドも高い母親の裁量ひとつで、その一切が取り仕切られてきたようにも見受けられるものの、実は大蔵大臣に過ぎず、実際の最終的な判断を下してきた総理大臣は、現役の小学校教諭だったことはまったく関係なく(笑)、AB型である天才肌が間違いなく関与し(笑)、昭和の初頭に横浜市南部の比較的裕福な農家からの分家出身で、果てしなき理想主義者の父親にほかならなかったような気がしている
 そうでなければ、今年で満48年間も連れ添っている母親のほうが浮かばれまい

 一般的なブルー・カラーの従事者が多い父方の親族は、ぼくが物心ついて以来、何かと云えば皆んなで集まって餅をついたり、凧を上げたり、海や山や湖にドライヴに出掛けたり、やがては酒を飲んだりして、あははあははのうちに、既に何名かは酒を飲み過ぎてこの世を去ってしまっている
反対に警察官や独立経営者が多い母方の親族は、文字通り真剣に生きることしかできず、ことさら勉学に励むことを徳として、額に皺を寄せているうちに、既に何名かは自らこの世を去ってしまっている

 妹や弟は2家2種類の血のいいところを上手く引き継いでいたりする
妹は父親同様、ブルー・カラーでも警察官でも独立経営者でもない一般地方公務員として、とりあえず経済的な安定を得た上で、父方伝来のあははあははを上手に生活に取り入れているみたいだし、ホワイト・カラーの弟は相変わらず勉学に励み、母方伝来の真剣に生きることそのものを楽しんでいるようにさえ見受けられる
 極端なバカはぼくだけなんだけど・・(笑)

 父親もその豪放磊落な鈴木家に於いては異端児だった

 ぼくは大学1年次、略して寮生という学生寮の入寮者だったため、既に入学式の前日には入寮していて、住民票も八王子市に移していた(=故に成人式も八王子市)んだけど、その入寮する日の朝、横須賀の実家を出発する直前に、

“大学では生涯の友人を見つけるんだ”

 という、奇妙な言葉を頂戴している

 小学校教諭とは云え、父親は終戦直後の教員不足の折りの臨時教員からの採用故に、自身は大学生活というものをほとんど経験していない
また、現代の学歴制度というものに真っ向から疑問を抱き続け、ぼくなどが幼い頃には高校すら“行きたければ自力で行け!”なんちゅう理想だけを描いていたものだった
その父親が妙なことを云う・・、と思ったものの、よくよく思い返してみれば、果たしてその父親に“生涯の友人”なんてものが、満78歳の現在でもあるのかどうか・・

 社交的なんて言葉とは凡そ正反対な、むしろ希有な人種である
くるまにも乗らず、ゴルフもやらず、酒も飲まず、たばこは昭和43年2月の大雪の日以来、たぶん吸っておらず、家庭外のほうは知らないけど家庭内麻雀は昭和64年の正月以来、閉ざされたままで、競馬やパチンコはもちろん、財テクや株式投資などには縁以前に興味すらまったくナイ
いまも、ひまさえあれば・・、っちゅうか母親の話に依れば、年柄年中ひまなので(笑)、書斎に閉じ籠もって、ぼく同様、何やら記しているのが唯一の楽しみ、とか・・
 うーん、父子2代に渡る、ただのヒキコモリ?(笑)

 ブログなんちゅうもんも記してみるもんである

 キミやアナタはキミやアナタのお父上の“ご友人”をご存知かい?
ぼくはいま、よくよくよおーく思い返してみてはいるものの、父親の“友人”たるものの名まえが1名たりとも思い浮かばない
だいたい、実家に“お父さんのお友だち”なる人物が訪ねて来たり、また父親に“友だちだよ”などと、見知らぬおじさんやおばさんを紹介された記憶も皆無である
実家の近所には、共に父親の小学生時代の同級生であり、またぼくの小中学生時代の同級生の“みちる”や某Tのお父上もご健在なのに特に交流もない模様である

 育った時代が大幅に異なるとは云え、父親は友人に恵まれていなかった、というよりも、友人付き合いが上手くできなかった自らを顧みて、同じ轍を踏ませたくなかったがための、ぼくの幼い日のベートーベンへの憧れだったり(笑)、また、上記の大学入学祝い(?笑)の言葉に集約されているような・・
そしてそれは学歴制度に疑問を持つ父親が、ぼくの大学進学(の出資)に対する自らの理想という納得でもあったような・・

 小中学校時代の友人とは、地域的及び年齢的な選別の結果であり、義務教育である以上、それが他から与えられたものと云っても差し支えないだろう(だからこその思い入れも当然ある)
また、高校時代の友人とは、多少拡がったとは云えやっぱしある程度地域的であり年齢的でもあり、さらに当然、学力的でもある選別の結果ではあるものの、実は父親の(高校すら)“行きたければ自力で行け!”の言葉の真意には、それが他から与えられたものではなく、半ば大学進学的な、自ら選んだ道としての自覚や責任感を持たせたかったことと思われる
だが、大学とは云う迄もなく、地域も年齢も関係なく、自ら同じ道を選んだそれぞれが、それぞれの意志で集まって切磋琢磨する場所なんだからねえ・・

 しかもだ!

 1,600万円のうち、両親がそれぞれ800万円ずつ出費したとしよう
“デンツウとか入ってくれたら嬉しいわー”などと云っていた母親が800万円で購入した理想的な現実は、偏にぼくの怠慢に依るとは云え、既にものの見事に木っ端微塵に粉砕してしまっているものの(すみません!)、父親が800万円で購入した理想のほうは実はいまでも現実的に生きていたりする・・

 それがusagimaniaであり“さいとうくん”なのだ

 仮に1981年に父親に800万円のベンツを買ってもらったとしよう
それが2008年の現在でも動いていると思うかい?
借りに15年動いてくれて1996年に廃車にしていたとしても、その想い出だけで一生生きていけるほど、ぼくはバカでもロマンチストでもナイ

 小中学校、或いは高校時代の友人も永遠には永遠なんだけど、自身が大学進学時に選んだ道を現在でも生業としていれば、大学時代からの友人が現在の死活問題にすら関わっているのは現実というよりも現状と云ったほうがいいだろう
現に大学卒業以降、usagimaniaには主にインフラと人脈関係で、“さいとうくん”には具体的なデザイン・プランをほぼ無償で幾つも提案して戴いたり、実はぼくの音楽ライターとしてもっとも骨幹的な部分も彼に起因していたりする
 脚を向けて寝られない、という言葉にはまさに彼らに対して使われる実感が確かにある

 それに較べてダメなのは、社会人以降の友人のほとんどだなっ!(笑)
こっちがいいときには寄ってきて、ダメなときには去っていく、そのみっともねー生き方をぼくの前で晒すなよ、頼むから
過分に父親譲りのぼくには自由経済主義上のそれを許容できる度量なんぞまるでなく、むしろ何10年も前のTVドラマで中村 雅俊が云ってたかどーだか忘れちゃったけど、友人とはイイときにはそれを倍増させ、ダメなときにはそれを半減する効果的役割を持つ自身の廻りに特定される人物として定義して、それはまた真理でもある

 実はここ5年間、年賀状を出さなかったのは、それを見極めるためでもあった(笑)


※文中敬称略