『バイオハザード3』 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

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私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 映画館で映画を観る、なんちゅう行為はたぶん真田 広之ではなく唐沢 寿明主演の『高校教師』以来だから、いったい何年ぶりになるんだろう?
少なくても10年ぶり以上になる作品に大抜擢したのは、恐らくその演技力やシナリオの確かさでも先ず間違いがないジョディ・フォスターの『ブレイヴ・ワン』ではなく、ましてその反対の木村 拓哉の『Hero』なんぞであるはずは当然なく(笑)、映画館で観なければ(反対に云えば、自宅で観たところで)その怖さが充分に伝わらないであろうとみた『バイオハザード・3』である

 結果として、2人分なら¥13,000もの高額な前金を全納させられる上に、たかが2~3分程度のために酷いときには2時間も待たされることもある某アミューズメント施設に較べて、隣接しているシネマ・イクスピアリではレディース・デイの水曜日なら女性は¥1,000なので2人分でも僅か¥2,800だし、しかも2時間近くをほとんど断続的に楽しめるアトラクションとして考えれば納得がいくエンターテイメント“ではあった”と思う
 自宅からは6番の路線バスで15分くらいだし、交通費も2人分往復でわずか¥920だしね(笑)

 あ、でもね、久方ぶりに映画館に脚を運ばれる御仁っちゅうかオジンは、以前よりも若干うしろのほうの席で観たほうが無難だと思うぞ?
ぼくはスクリーンに向かって前後のほぼ中間辺りに座ったものの、画面左下のほうのジョヴォヴィッチに観とれているときに、右上のほうのゾンビ(この作品では何故か“アンデッド”)に気が付かなかったりしたからねえ・・
 己の老眼=遠視の進行を多少は自覚せいや!っちゅうこっちゃ(笑)



 で、その6番のバスを待つ間に、この映画の大まかなストーリーを推測してみた

“たぶん・・、たぶんだぜ?、先ず主人公のジョヴォヴィッチが何らかの苦境に立たされるんだな・・、で、そうだな・・、腐った死体(これは『ドラクエ』だっけ?笑)とかその肉を喰って狂犬と化したイヌに襲われたりするんだけど、何だかんだでそれらをやっつけて・・、ああ、そうそう、終盤15分ぐらいにちょっち難儀なボス・キャラが現れたりもするんだけど、それもまあ何とかやっつけてメデタシメデタシ・・、シリーズ3作めで儲かれば当然、柳の下の4匹めのドジョウも狙いたいところだろうから、間違っても主人公のジョヴォヴィッチが死んじゃうなんてことは、たぶん最後まで絶対に在り得ないんじゃないかなあ・・”
 それ以外に何があるっちゅうんじゃい!?(笑)

 ただね、主人公のジョヴォヴィッチ(配役名:アリス)が立たされる苦境は、前作の『バイオハザード2』を観ていないと、ちょっち解りにくいかも知れない
けどね、終盤15分ぐらいに現れる難儀なボス・キャラの倒しかたには、このシナリオならではのおもしろさが、チビッとだけどあることにはある
ロケットランチャーなんか出てきやしないんだよ、未だ3時間以内でゲームをクリアしているわけじゃないんだからね(笑)

 それとね!ジョヴォヴィッチは先ずしょっパナで死んじゃう!(笑)

 もっとも、それは主人公のジョヴォヴィッチ(じゃなくて、アリス)じゃなくて、主人公のジョヴォヴィッチから生成された“クローン”なんだけど、ここが先ず解せナイ・・
或いはぼくはゲーム版の『BIO HAZARD』も最初に出たやつしかやっていないし(しかも、ひとから借りて)、また映画の『バイオハザード』及び『バイオハザード2』はTVで、ほとんど真面目に観ていなかったから知らナイだけなのかも知れナイんだけど、ゲームでは主人公のジョヴォヴィッチ(じゃなくて、アリスでもなくて1.はジルで2.はクレア)はS.T.A.R.S.という、いちおう特殊警察みたいなもんのメンバーではあるものの、通常の生身の人間が細菌に汚染された苦境(ダンジョン)に立ち向かうだけのハナシで、“クローン”がどーのこーのとかいう展開はなかったような気がするんだけど・・
(予告編に依れば、ゲーム版の『BIO HAZARD 2』も大統領の娘が拉致されてどーしたこーしたっちゅう話しだったような・・)



 この映画でジョヴォヴィッチはひとり2役どころか、ざっと観て数えられるだけでもひとり100役以上はこなして(?)いる
もっとも、ちゃんと動いたり喋ったりするのは主人公のジョヴォヴィッチ(じゃなくて、アリスだってば!笑)のほかに、しょっパナで死んじゃう“クローン”と、さらに終盤で活躍する“クローン”の3役くらいで、あとは全部CG合成か何かだと思うんだけど・・

 例えば荒涼たる砂漠みたいなところで、遙か彼方まで転がっている実験で使用済みのジョヴォヴィッチの肢体じゃなくて死体の山とか、地下倉庫みたいなところの天井から、遙か彼方までずらーっとぶら下がっている目下生成中(?)のジョヴォヴィッチが1体ずつ入ったガチャポンみたいな入れモノの列(『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波 レイで同じようなシーンがあったよね?笑)とか、まあ確かにいい女ではあるんだけれども、同ンなじ女がそうごろごろごろごろ転がっていたり、或いはずらーっと並んでいてもなあ・・(笑)

 けど、何でまた“クローン”なんだ?
クドイようだけど、少なくてもゲーム版の1.や2.ではそんなもん出て来なかったと思う
インターネットでミラ・ジョヴォヴィッチを検索すると、現在は何と云っても最新作の『バイオハザード・3』が公開中なので、どこを観てもその代表作に『バイオハザード』シリーズが挙げられているんだけど、インターネットとは何でまたこう画一的なのだろう?とさえ思われる
 情報すらカネが流れる方向に統一されていて、何の意味がある?

 ミラ・ジョヴォヴィッチと云えば、何たって『フィフス・エレメント』だろ?

 TV-CFでさんざ使われた、半裸のジョヴォヴィッチが大の字になって高層ビルから落下していくのをさらに上方から撮影したシーンは非常に美しく、非常に印象的なシーンだったよね?
あれは物語の序盤で、捕獲に追われる“クローン”人間のジョヴォヴィッチ(配役名:リールー)が逃げ場を失って高層ビルから飛び降りる・・、っちゅうか中空を飛行して(2214年の設定なので高層ビルの高さがハンパではないのだ)、ブルース・ウィリスが運転しているタクシー(も、空を飛んでいる)に飛び乗る・・、ちゅうかタクシーの中に勝手に落ちてくるシーン(この辺りの災難の被りかたが、もろブルース・ウィリスだろ!?笑)なんだけど、リュック・ベッソン監督はよっぽどタクシーが好きなんだねえ・・(笑)

 けど、あの場合はあの美しい映像に描き込まれている未来感・・
そして、スラブ系のミラ・ジョヴォヴィッチが生まれながらにして持っている透き通るような白い肌と、綾波 レイばりの赤い髪・・(綾波 レイはみずいろだけど)
よっぽどの天の邪鬼にでもなければ、僅か15秒足らずで“この映画はひょっとしたらSF大作なのかも知れナイ”程度を伝えるには充分な映像だったんじゃない?

 映画の観どころとして奇抜なシナリオ展開のおもしろさは云う迄もないんだけど、ミラ・ジョヴォヴィッチが扮する“クローン”人間の悲しみや切なさ、或いは可愛らしさなどを引き立てるっちゅうよりもむしろ、それを映し出す鏡のような存在だったブルース・ウィリスの迫真の演技なくしては語れないと思う
ジョヴォヴィッチが生まれながらにして持っている(あたかも“クローン”人間みたいな・笑)肢体という素材、名優ブルース・ウィリスの小汚くて運がわるいだけじゃないズバ抜けた演技力、そしてこの映画の制作当時はジョヴォヴィッチの夫だったリュック・ベッソン監督の(usagimania氏のコメントに依れば)通常とは異なる製作姿勢が、非常に上手く絡み合った傑作だと思う

 映画『バイオハザード』シリーズはその2番煎じ? しかも恐ろしく中途半端な・・

 もう大分前にTVで観ただけなので定かではないものの、『フィフス・エレメント』は“クローン”人間であるジョヴォヴィッチ(全裸!笑)が生成されるんだか目覚めるんだかして物語が始まったと思うんだけど、実は『バイオハザード3』もまたまた然り(ご丁寧にやっぱし全裸!笑)なのだ
ゲーム版の『BIO HAZARD』がその後“クローン”人間云々を展開しているのならまだしも、これじゃあまるで、ミラ・ジョヴォヴィッチ=“クローン”人間を設定するためにわざわざ書き下ろされたシナリオであるような気さえする

 内容も恐ろしく陳腐なんだぜい・・
その『フィフス・エレメント』で汗まみれで戦ったり生死の狭間を彷徨ったりするのは、もちろんブルース・ウィリスなんだけど、『バイオハザード3』ではジョヴォヴィッチ自身が拳銃(ベレッタ?笑)を撃ちまくったり、ブーメランみたいなもんでゾンビ(じゃなくて“アンデッド”ね、“アンデッド”)を殺しまくったりしている
その格闘シーンのわざとらしさ、即席っぽさ、はっきし云ってかっこわるさ、ダサさは、あのスティーヴン・セガールといい勝負だぜい(笑)
細菌で汚染されて埃っぽい、荒涼たる砂漠を多数のオンボロ車を転がしてみたり、その中で一般民間人を詰め込んだバスがうろちょろしたりしてるのは何?・・『MAD MAX』(の出来損ナイ)か?(笑)

 ゲーム版の『BIO HAZARD』(1)は先ず少なくても戦闘ものではない
もはや全国的に有名な(?)ホビー・ショップ“浦安鑑定団”でも『BIO HAZARD』は“アドヴェンチャー”という棚に置いてあって、“アクション”とか“シューティング”の棚ではナイ
また、これもまたひとから借りたままの(笑)『バイオ ハザード 完全攻略マニュアル』(覇王ゲームスペシャル60:講談社刊)のP.6にも、“このゲームは謎解きがメインなので、云わゆる戦闘ものが苦手なひとにも簡単にプレイできます”とあり、戦闘もの(要するに指先の反射神経を問われるもの)が苦手、っちゅうか興味がナイぼくなんぞでさえも楽に楽しめるゲームなのである
『フィフス・エレメント』はまさに“謎解き”そのものだったんだから、いま思うと非常に皮肉っぽいよね(笑)

 ゲーム版の『BIO HAZARD』のコンセプトや魅力には“謎解き”以上にさらに“ホラー”がある
本稿を記す(初出の『ミラ・ジョヴォヴィッチ』から分離改訂)ために、これもまた恐らく10年ぶりくらいにSONYのPlayStationなんぞを引っぱり出してきて、実際にゲーム版の『BIO HAZARD』(1)をやってみたんだけど、初稿を記していた際にはごくごく単純だった記憶しかなかったダンジョン(迷宮)が、まあ久々だからかも知れないけど、先ず結構凝っていたりする
ストーリーもプレイヤーが選ぶ主人公やその難易度、さらに冒険中に於ける判断や結果などに依って、大きく分けても8つのエンディング(少なくても8回は楽しめる、っちゅうこっちゃ)があるっちゅう・・
もちろん、それらはゲームという媒体だからこそ楽しめる特性であり、同じものを映画に求めようとすること自体は確かにナンセンスではある

 しかし、このゲームの“ホラー”体験設定は、例えば主人公自らの靴音ひとつ(部屋と屋外、また室内でも廊下、階段、地下室、さらに敷物などに依ってすべて異なる)から、廊下を曲がった向こう側にいると思われるゾンビの息遣い(?)や足を引きずる不気味な音、さらにドアを開く音ひとつとっても、何から何まで“恐いように、恐いように”と凝って創られているのだ
絶妙なのは特にその音響処理で、その音が発するタイミングや大きさはもちろん、発する方向、持続する時間、反響の仕方などなど、こんなもんは当然、映画でも実現できていないほうがオカシイ・・
ゲームのマニュアルに“ヘッドホンを着けてお楽しみください”との但し書きまであるのは、発表当時(1996年)の業界全体のレベルに於いて、特に自信があった裏付けとも受けとれることだろう
残念ながら映画の『バイオハザード』シリーズは、どうも『MAD MAX』みたいなアクション映画にしたかったようで(笑)、せっかくの3Dだか何だかの立体音響システム(?)もただ単純な爆発音などで、ただただ瞬間的に観客を驚かせているだけに過ぎナイ

 確かに、画面上の主人公を追うしかない映画と、プレイヤー自身が主人公であるゲームのエンターテイメント特性は大いに異なろう
だが、このようにゲーム版の映画化やその逆に於いて、その原版が元々持ち得ていた決定的なテイストさえ失ってしまえば、映画化やゲーム化をしている意味がまったくないと、ぼくは思う
関連性を否定して、新分野としての『フィフス・エレメント』や『MAD MAX』の二番煎じ(以下)ならますます陳腐なことこの上ないしね(笑)

 ゲーム版(原作)で鮮明に感じられたテイストの著しい欠如・・、で、新しいものは何もナイ
申し訳ないけど、これが映画『バイオハザード3』のほぼ大まかな感想である

 公開中の映画をここまで晒してしまうのは、『ジェイク鈴木回想録』の読者の中にこんな映画をわざわざ観に出掛けるかたは決して多くはないだろうという期待と予測と、こんな映画に時間とカネを割くくらいなら、世の中にはもっとおもしろいアトラクション(例えば『狂熱のライブ』とか・笑)がたくさんあるよ、っちゅう良心的な示唆であることは云う迄もナイ・・(笑)

 世の中の娯楽は既に、例えば映画とかTVとか或いはロック・コンサートのように与えられたものをただただ受け入れられていた時代ではなく、自分自身が主人公なのが当たり前になってきている
キミやアナタのお父さんやお母さん、或いはオジイチャンやオバアチャンは石原 裕次郎や吉永 小百合がしている恋愛(の演技)をスクリーンで観て、そこに自己投影していたもんらしいけど、キミやアナタには携帯電話でもmixiでもブログでも何でもあるんだから、赤の他人の、しかも演技の恋愛に自己投影なんかしているヒマがあったら、いっくらでもリアル恋愛の主人公になれるチャンスがあるのが現代っちゅうもんだろ?

 故に創り手がハンパじゃ困る、っちゅう警告でもある


※2007年11月14日:初出『ミラ・ジョヴォヴィッチ』より抜粋、改訂
※文中敬称略