イヌキチ | 元祖!ジェイク鈴木回想録

元祖!ジェイク鈴木回想録

私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 ねこにも一匹一匹、明確な個体差と性格がある

 現在、茶々丸に代わる後任のねこを探していて、もっとも気に掛けていることは、
何よりもそのねこ(仔猫)の健康状態であり発育状態にほかならない

 茶々丸(♀)とうたえもん(♂)夫婦は、1990年~1991年の2年間に3回、
2匹、4匹、5匹と、合計11匹の仔猫をもうけた
その2匹なり、4匹なり、5匹なりの兄弟姉妹の中には、
身体が大きいやつ、中くらいのやつ、小さいやつ、気が強いやつ、弱いやつなどがいた

 例えば、仔猫たちの父親であるうたえもん自身は、
彼の兄弟姉妹の中では身体も小さくて、気もそんなに強くはなかったように思える
しかも、ネクラ(笑)
だから、元の飼い主さんも“こんなんでよければ”と、半ば申し訳なさそうしていたし、
獣医さんにも“うたえもんくんは(名まえは立派だけど)元々身体が弱いのよねえ・・”、
などと云われ、実際にもたった4年間の付き合いでしかなかった

 できれば、そーいうケースは避けたい

 ぼくは何に対してもたぶん、次から次へと新しい刺激を追い求めるタイプではなく、
とことん気に入ったものに対して長く執拗に愛着を持つほうである
だから、10年もたない服は最初から買わないし、10年もたないくるまも買わナイ
『ドカベン』はいまでも買っていても、『名探偵コナン』は買わナイ
LED ZEPPELINはいまでも聴いているけど、ZEEBRAにはまったく興味が湧かナイ
 できれば、新しいねことも茶々丸同様、永く付き合っていきたいと思っている

 仔猫が2匹産まれれば甲乙、4匹なら甲乙丙丁、5匹なら甲乙丙丁丁ぐらいの差がある

 父親であるうたえもんがそうだった(と思われる)ように、
丙や丁の仔猫は、例えば授乳の際に、ほかの兄弟姉妹たちに押し退かされてしまい、
ますます発育の差が開いていく・・

 母ねこには8つの乳くびがあるものの、それはせいぜい数センチ間隔でしかないため、
産まれた直後のまだ、ねこだかねずみだかわからないくらいの大きさの頃ならまだしも、
数週間経って、仔猫の身体が大きくなってくると、一度に授乳できる頭数は限られてくる
 元気で活発な仔猫ほど、真っ先にお乳にありつける、というわけだね

 そーいう“筆頭仔猫”にデイヴがいた

 彼は4匹産まれたときのオスねこで、身体も大きく、毛並みも非常に美しかった
ねこの毛並みは、まあだいたいはオスのほうが圧倒的に美しい・・
デイヴはそれにも増して、さらに積極果敢で、勇気とバイタリティーに溢れていた

 仔猫を網戸に張り付けてやると、ふつうは怖がってにゃあにゃあ騒ぐものの、
デイヴはまるでスパイダーマンの如く、黙々と上のほうへ上のほうへと登って行く・・
その姿が、デイヴィッド・ボウイーやデイヴィッド・カヴァーデイルであるはずもなく、
まさしく『SKYSCRAPER』のジャケット写真の“ダイヤモンド・デイヴ”こと、
デイヴィッド・リー・ロス!(ex. VAN HALEN / 当時はDAVID LEE ROTH BAND)

 デイヴは友だちのイラストレイター女史に引き取られたのち、
何と!彼女と共に飛行機に乗って、彼女の実家がある北海道へと旅立って行った
母親の茶々丸は、元々は沖縄から来ていた女性に拾われたのに
ん~・・、VAN HALENなんか何演っているんだかわからなかった2000年辺りでも、
こまめにスカンジナビア・ツアーなんか繰り返して、ロックを普及し続けていた、
まさにデイヴィッド・リー・ロス!関係ないか・・(笑)
(もっと関係ないけど、デイヴィッド・リー・ロスは確か、比較的最近構築された、
横須賀芸術劇場のこけら落としも演っていたような・・)

 このデイヴにはさらに曰くがあり、デイヴを一目見たイラストレイター女史のお父上が、
“何て素晴らしいねこなんだ! 兄弟がいるなら是非欲しい!”とか仰られ、
デイヴよりも一足先に兄弟だか姉妹の1匹が北海道へ送り届けられている

 だが、甲種や乙種がいれば、哀しいことに丙種や丁種もいるのである

 ひなと名付けたメスの仔猫は、11匹中唯一のキジトラだった
茶々丸が産んだオスねこは全部、上半分が茶トラで下半分がまっ白の茶トラで、
メスねこはひな以外は全部、三毛と云うか何て云うかパッチワーク柄だったが、
ひなだけは何故か全身がねずみいろとくろの見事なキジトラ模様だった

 獣医さんの話しに依ると、父親であるうたえもんがそうだったように、
そーいう突然変異みたいないろの仔猫は弱いことが多いらしい
デイヴが既に網戸登りなんかやっていた頃、ひなの身体はまだその半分くらいしかなく、
その美しいねずみいろとくろの毛が鳥のひなのようにふわふわしていた
(こーいう仔猫こそ、不憫なだけに異様に愛らしかったんだけど)

 仔猫の引き取り手はやはりオスねこから、また丈夫そうなやつから付いていく・・

 ひ弱そうなひなは随分最後のほうまで残っていた
苦し紛れでもなかったんだけど、我々はこともあろうにその哀れな仔猫を、
果たして親の承諾を得ているのかどうかすらおぼつかない、
小学生の兄弟に手渡してしまったことを、いまではもの凄く後悔している
 うたえもんがそうだったように、
気が弱いねこは、云い変えれば大人しくて優しいねこなのだ
彼女が幸せな生涯を全うしていることを切に願って止まない

 そんな中に、甲でもなければ丁でもない、異例中の異例もいた

 11匹もいれば、理解不能なやつも1匹ぐらいはいるみたいだね
以前記したように、切迫していたねこ(茶々丸とうたえもん)の食糧供給事情から、
一時、ねこ用の1/4~1/5の出費で済む、いぬ用の食事を与えていたことがある
 そのことに関して云い分けさせて頂ければ、これは、たぶん・・、たぶんなんだけど、
1990年当時の固形のドッグ・フードとキャット・フードは、成分的には大した違いはなく、
ただ単にその一粒一粒の大きさだけが異なっていたような・・(笑)
つまり、細かく刻んだねこ用100gと、大まかないぬ用400gを同じ値段で売っても、
その利潤に大した違いがなかったような・・

 って云うのは、茶々丸もうたえもんも、何の疑いもなく、それを喰っていた
さすがに茶々丸は女の子なので、その大きさを噛み砕くのに苦労していたものの、
うたえもんはいっぺんにたくさん喰えることが嬉しかったのか、
がつがつがつがつ結構喜んで喰っていた
 で、うたえもんはともかく、茶々丸は17年も生きている・・

 ただ、そのせいか、2回めの出産で、その異例が産まれた

 色柄はさまのすけや、すぐ上の兄のデイヴなど、ほかのオスの仔猫同様に、
上半分が茶々丸譲りの茶トラで、下半分がうたえもん譲りのふわふわな白い毛なのだが、
その色分けが、さまのすけやデイヴは通常のねこっぽかったのに対して、
その異例だけは丸っきし、いぬ!
 当然、イヌキチと名付けるしかなかった

 うたえもんもそうなのだが、イヌキチは白いソックスを両手両脚に履いている
だが、うたえもんはほかの部分が濃いグレーなので、まあそれほどヘンではない
イヌキチはほかの部分が茶トラと云うよりも、ただの茶色に近く(縞模様が濃くない)、
しかも、喉元からお腹にかけての白い部分が細く、顔も鼻先だけが見事にハチ割れの白・・
 そーいういぬ、よくいない?品種は何て云うか知らないけど

 しかも、こいつは性格も見事にいぬだった

 どーやって決められているのか、当然知る由もないものの、ねこにはねこの生活がある
即ち、授乳の時間が来ると仔猫たちは一斉に茶々丸のお腹に集まって来るし、
寝る時間は寝る時間で、皆んなほとんど一斉に寝ていた
まあ、アイデンティティーなんてものもだんだん湧いてくるのか、1匹だけ離れて寝たり、
うたえもんを枕にしているやつがいたり、やがていろいろな変化はあったものの、
まるで幼稚園や保育園のように、一緒に産まれた兄弟姉妹たちには、
まあだいたい、同様のきちんとした時間的設計がなされていたように思える

 ところが、イヌキチだけは、ほかの兄弟姉妹や両親が何をしていようと関係なく、
どちらかと云えば、我々人間の生活パターンに合わせていた
 まず、だいたいどこにでも付いて来る・・

 風呂に付いて来たのは驚いた
茶々丸もうたえもんもほかの仔猫たちも、その後さっぱりするのは好きなようでも、
風呂に入るそのときや、風呂場そのものが大嫌いだったが、
ある日、風呂に入っていたら、扉の向こうでイヌキチがにゃあにゃあ鳴いているので、
扉を開けてやったら、何と!のこのこ入ってきた
 まだ体長15cmかそこらの頃のことである
いっそ中に入れたら怖がって出て行くだろうと、タカを括っていたものの、
彼にそんな兆しはまったくなく、手脚をずぶ濡れにしながらも、
床を歩き廻っては、くんくんくんくん興味深そうにあちこちの匂いを嗅ぎ廻っている

 仔猫に対して人間がしでかす最大の危険は、何と云っても踏み潰してしまうことだ
まして風呂場は視認性もよくないし、仔猫に落ち着きなんかあるわけもナイ・・

 仕方がないので、こっちに来ないように、バスタブの向こう側のへりに置いておいた
こっち側に来たいのか、イヌキチはそこでにゃあにゃあ鳴いていたけれども、
こっちにはこっちの生活があるわけで、ねこばっかしにもかまっていられん
やがて、鳴いてもこっちに来れないと知るや、やつは何と幅4cmぐらいしかない、
バスタブのへりをそろりそろりとこちらに向かって歩いて来やがった

“げっ!”

 案の定、つるっ!すべっ! ちゃっぽおおおおん、こぽこぽこぽこぽ・・
パッと開いた両手(両前脚)を天に向けて、浴槽の底へと沈んでいくまぬけなサマを、
いまでも想い出す度に吹き出してしまう
もちろん、そのときには泡だらけだろうが何だろうが、すぐさま浴槽に手を入れて、
救ってやったけど・・
(ぼくはバスタブにシャンプーや石鹸の泡が浮かぶことが死ぬほど嫌い)

 そんなメに合っていれば、怖がって2度と浴槽なんかに近付こうとはしないのが、
野生動物の習性って云うか、学習能力そのものだろう
だが、イヌキチがそんじょそこいらのふつーのねこと違っていたのは、
その学習能力に著しく欠けていたところにある
 彼は浴槽の外に救い出してやっても、変わった(反省した)ところなどまるでなく、
相変わらずちょろちょろちょろちょろしていたので、風呂場の外に出した
そーでもしないと、こっちが風呂から上がれナイ

 茶々丸もうたえもんも、またほかの仔猫たちも皆、くるまに乗せられるのを嫌がった

 旅行に出掛ける際には、彼らを当時は土浦に住んでいた細君の両親か、
或いは某P社の帰国子女女史か、或いは横須賀の実家に預けたものだったが、
うたえもんなどは、日頃はまさに文字通り借りてきたねこのように大人しいくせに、
もの凄い力で、まるで羽交い締めのようにしがみついてくるため、
皮ジャンの着用が必須だった
 夏でも皮ジャン・・ まあ慣れてないこともないんだけどね(笑)

 だが、イヌキチだけは何故かくるまに乗りたがった

 土浦だろーが横須賀だろーが、“ぼくも行くー”・・
助手席に細君でもいればまだいいんだけど、単独で乗せたことも何度かある
もちろん、そんなところでちょろちょろされたのでは運転に支障を来して危険なので、
まあだいたいは首に紐を括り着けてダッシュボードの上に置いておいた
 彼は(イクジナシのうたえもんと違って・笑)くるまを怖がる様子などまるでなく、
時速100km以上のスピードで後方へと流れていく高速道路の照明灯を、
興味深くいつまでもいつまでも飽きもせずに眺めていたりした
 ね?へんなやつでしょ?

 従来のねこの生活時間帯とはただひとり、完全に逸脱しているもんだから、
食事の時間も(もちろん茶々丸のお乳も吸っていたけど)人間次第・・
 ぼくが食卓に着くと、ズボンの裾からイスに登り、食卓の上までよじ登ってくる
そんな行儀がわるいねこは、茶々丸やうたえもんはもちろん、ほかには1匹の半分もいない
で、食卓の上にちょこんと座って、ぼくが何かを食べている様子をしげしげと眺めている

 ある日、お汁粉を食べていたら、その様子をじっと見ているので、
喰いたいのか?と思い、比較的無難そうな小豆を一粒、箸で口元に運んでやったら、
まだ歯も生え揃ってない小さな口で、くちゃくちゃくちゃくちゃ旨そうに喰う・・
小豆なんか喰うんかいな・・、と思いつつ、今度は餅を米粒ぐらいにちぎってやった
ところが『我が輩はねこである』とはえらい違いである
これもまた、くちゃくちゃくちゃくちゃ旨そうに喰った
 んー・・・・・・
それじゃあ、まさかこれは喰わないだろうと思って、
タクアンをやはり米粒ぐらいの大きさにちぎってくれてやったら、
これもまた、バリバリバリバリ旨そう喰いやがった
 何てやつ!

 デイヴ、イヌキチ以下4匹が産まれたときには、
“今度産まれたら”という、仔猫の引き取り手(里親)の先行予約が入っていて、
その一番手は、当時、横須賀の本家に住んでいたサトくんの両親(叔父夫婦)だった
当時はまだ本家に祖母が健在していたため、“お婆ちゃんの退屈しのぎに、
いちばん飼い易そうなのを頂戴”がそのリクエストだった
 だったら、イヌキチだろう
何と云っても何でも喰うし、横須賀には既に何度も行っている

 現在、野良猫の保護活動をボランティアで行っていらっしゃる皆さまがたには、
叱られてしまうかも知れないけど、10年以上むかしの片田舎の旧家の話しだ
ねこなんか当然、外で放し飼いで、ねこのほうもしたい放題やりたい放題だった
もちろん、去勢なんて処置はその概念のかけらすらない(すみません)
 イヌキチはその後、まだまだ野や山や畑や藪がそこいらじゅうに残っている横須賀で、
自由奔放な生涯を満喫していたように報告されている

 ただ、この項を記す際に、
横須賀に行ったイヌキチが現地で何と名付けられていたのか、
思い出そうとしても一向に思い出せナイ・・
 ひょっとして、名まえなんかなかったような(笑)

 祖母の報告を思い返すと、
“ねこの耳が半分ちぎれかかってよー、1週間ぐらい帰って来なくてよー”とか、
“ねこの口がよー、耳のほうまで裂けかかってよー”・・
 ねこの口は元々耳のほうまで裂けているもんだが(笑)

 どうもイヌキチは、生意気にも本家及び実家近辺のボス戦に参戦していたらしい

 やがて、情けないって云うか、その辺りがやはりうちのねこらしいと云うか、
前ボスが病気か何かで死んだため、彼は繰り上げ当選的にボスに就任した、と訊く(笑)
そんなもんだから当然、彼の座を狙う敵も多く、生傷が絶えなかった模様で、
彼もまた、うたえもんほどではないにせよ、かなり以前に若死にしている

 ただ、以前にも記した通り、現在の実家近辺には、彼の末裔の末裔たちが幅広く分布し、
どこかしらに茶々丸やうたえもんの面影があるねこをしばしば見掛けることができる

 ま、そんなこともあって、その後、ねこにドッグ・フードを喰わせるのはやめた

 
※文中敬称略